毎日、病院へ行っているのですが、世の中、具合の悪い人が多いものだ、としみじみ思います。
診療がそれほどない週末はそうでもないのですが、普通の日、朝は駐車場が入れないほど混んでいる。具合が悪いから車に乗せてきてもらうわけだから、歩いてくるわけに行かないでしょう。
そうした状況に対応するために、建物は建てましされ、駐車場は増えているのですが、10年前に来た時にはあった庭と亀の居る池はなくなった。
これから高齢化で、もっと患者が増えたら、病院もたいへんだろうと思う。まさに『戦場』。ひとつ私が気になったのは、患者やお見舞いの人、患者の家族が、気を落ち着ける場所がないこと。
病院の中のコンビニの前のイスや、怒涛コーヒーでは気が晴れないだろう。
ケンブリッジでは、誰かが入院するとアデンブルックと決まっていました。私は自転車でよく行っていたので、ゴッホの絵のような畑の中の道を好んで通った。そういうところで人は思い詰めた気分から解放される。あの立地はよかった。
病院では「治らない」とか「覚悟を決めるように」と言われることがあるわけで、そういう場合の施設は、患者のためにも家族やお見舞いの人にも本来は必要だろう。
私のいとこは、私がこどもの頃、小学生の時に世をSAりましたが、St.Luke病院だったので礼拝堂があった記憶がある。東洋式の病院もあってよいだろうと思うがまだまだ少ない。
友人のJAズの人は、がんを宣告されて、東京近郊のお寺に入った。私は行く機会がなかったのですが、そこの雲水さんたちがケアをしてくれる一種のホスピスだったらしい。
一階の前に、日本庭園とか、英国式庭園とかがあって、小康状態の時とか家族やお見舞いの人が来た時、気分が良ければ散策したり、日なたぼっこが出来る。あるいは石庭があって、その前で坐禅が出来る。そういうところがあればよいのにと思う。
もう35年ほど前のことですが、日本のある高名なピアニストと食事をした時、その人が私と会う前にチベットの高僧と会っていたというのです。その時一緒に来ていた人がこれまた有名な金管楽器奏者で、チベットの長いホルンのことで、チベットの高僧とそのグループに会っていた。
チベットの人はその長いホルンを吹いてみてくれて、2人ともご満悦だったのですが、そのピアニストの人の方が、たまたま前夜からの疲れで頭が痛かったのだそうです。そうしたら、その高僧が「頭痛ですか?」とテレパシーでわかたかのように訊いてきたというのです。「はい」と答えると、「それでは治してあげましょう」となにやら呟いていたら、ほんとうにすーーーっと頭痛が消えたのだそうです。
「R&Fさんは信じないかもしれないけれど、ほんとうにさっきまではどうしようもなく頭が痛かったんだから。」
「いや。信じますよ。昔はそういう力のある人がシャーマンになったりしたのでしょうからね。」
なぜ、このような話を出したかというと、『不安はピリピリと伝染する』。『安心はやはり伝わる』と私は考えているからです。女性が男性の浮気に『テレパシー的直観』を発揮するのも同じでしょう(笑)。
その話を聞いていたので、私は手術の後でうめいていたりする人のところへ見舞いに行って、何かのことばを頭の中で唱えながら瞑想状態にはいって、痛みが和らぎますようにとやっている。ほんとうに呻きが停まって、すやすやと寝始めることがよくあります。相手は私がやっていることに気が付きませんが。
私は周囲の人の安心は病人に伝わると思う。
私だったら、病院を建てる時、日本庭園と英国のカントリー式庭園があって、一階のスペースでは落ち着く喫茶室があって、音楽無しで、鳥の声と海の砂浜の音、30分に3~4分やすらぐ音楽をかけたりするのが良いのではないか?とこのごろよく考える。
診療がそれほどない週末はそうでもないのですが、普通の日、朝は駐車場が入れないほど混んでいる。具合が悪いから車に乗せてきてもらうわけだから、歩いてくるわけに行かないでしょう。
そうした状況に対応するために、建物は建てましされ、駐車場は増えているのですが、10年前に来た時にはあった庭と亀の居る池はなくなった。
これから高齢化で、もっと患者が増えたら、病院もたいへんだろうと思う。まさに『戦場』。ひとつ私が気になったのは、患者やお見舞いの人、患者の家族が、気を落ち着ける場所がないこと。
病院の中のコンビニの前のイスや、怒涛コーヒーでは気が晴れないだろう。
ケンブリッジでは、誰かが入院するとアデンブルックと決まっていました。私は自転車でよく行っていたので、ゴッホの絵のような畑の中の道を好んで通った。そういうところで人は思い詰めた気分から解放される。あの立地はよかった。
病院では「治らない」とか「覚悟を決めるように」と言われることがあるわけで、そういう場合の施設は、患者のためにも家族やお見舞いの人にも本来は必要だろう。
私のいとこは、私がこどもの頃、小学生の時に世をSAりましたが、St.Luke病院だったので礼拝堂があった記憶がある。東洋式の病院もあってよいだろうと思うがまだまだ少ない。
友人のJAズの人は、がんを宣告されて、東京近郊のお寺に入った。私は行く機会がなかったのですが、そこの雲水さんたちがケアをしてくれる一種のホスピスだったらしい。
一階の前に、日本庭園とか、英国式庭園とかがあって、小康状態の時とか家族やお見舞いの人が来た時、気分が良ければ散策したり、日なたぼっこが出来る。あるいは石庭があって、その前で坐禅が出来る。そういうところがあればよいのにと思う。
もう35年ほど前のことですが、日本のある高名なピアニストと食事をした時、その人が私と会う前にチベットの高僧と会っていたというのです。その時一緒に来ていた人がこれまた有名な金管楽器奏者で、チベットの長いホルンのことで、チベットの高僧とそのグループに会っていた。
チベットの人はその長いホルンを吹いてみてくれて、2人ともご満悦だったのですが、そのピアニストの人の方が、たまたま前夜からの疲れで頭が痛かったのだそうです。そうしたら、その高僧が「頭痛ですか?」とテレパシーでわかたかのように訊いてきたというのです。「はい」と答えると、「それでは治してあげましょう」となにやら呟いていたら、ほんとうにすーーーっと頭痛が消えたのだそうです。
「R&Fさんは信じないかもしれないけれど、ほんとうにさっきまではどうしようもなく頭が痛かったんだから。」
「いや。信じますよ。昔はそういう力のある人がシャーマンになったりしたのでしょうからね。」
なぜ、このような話を出したかというと、『不安はピリピリと伝染する』。『安心はやはり伝わる』と私は考えているからです。女性が男性の浮気に『テレパシー的直観』を発揮するのも同じでしょう(笑)。
その話を聞いていたので、私は手術の後でうめいていたりする人のところへ見舞いに行って、何かのことばを頭の中で唱えながら瞑想状態にはいって、痛みが和らぎますようにとやっている。ほんとうに呻きが停まって、すやすやと寝始めることがよくあります。相手は私がやっていることに気が付きませんが。
私は周囲の人の安心は病人に伝わると思う。
私だったら、病院を建てる時、日本庭園と英国のカントリー式庭園があって、一階のスペースでは落ち着く喫茶室があって、音楽無しで、鳥の声と海の砂浜の音、30分に3~4分やすらぐ音楽をかけたりするのが良いのではないか?とこのごろよく考える。