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Channel: 英国式自転車生活
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The shape of content

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タイトルは誰の言った一言だか忘れてしまいました。ベン・シャーンだったかアレキサンダー・カルダーだったか。どちらにしても画家の一言です。たしかベン・シャーンだったと思います。

機械というのはやっかいなもので、「美のことをまったく考えずとも機能を果たすものは作れます」。

また、きわめて美しいのにまったく機能を果たさないものもある。

「芸術を解する設計者によって作られ、またその設計者がその機械を知り抜いている」というところがきわめて難しいのだと思います。

かつては一人とか、ごく少数の人が機械を設計し、またその図面もフリーハンドだったために、その設計者の美的個性がそのカタチにあらわれやすかったと言えるかもしれません。それがいまやコンピュータで画面上で設計したりする。いわば、雲形定規でカタチを決めるようなもので、フリーハンドの美はそこには出てこないでしょう。

私は、昨今の機械や工業生産品に「贅肉がついたラインが多いのはそうしたコンピューター曲線が姿を非人間的、無個性にしているせいではないか?」と考えています。

その昔、英国に生き残っている数少ないパブの看板描き職人さんに看板の絵を描いてもらい、日本へ持ってきたことがあります。さて、それを壁に取り付ける金具ですが、ある鉄工所に頼んだら、
「これは丈夫だ。絶対大丈夫だ。まず壊れることはない」
と壁に取り付けたあと、職人さんみずからぶらさがってみていました。

私は、それだけだと、看板の釣り金具のまだ半分しか出来ていないと思うのです。「看板を取り付けたときの美しさ」はどこへいったのか?

実際この看板釣り金具と同じようなことは、自転車の部品でも、身の回りの機械でも、あらゆるところで起こっていると思います。

自転車やモーターサイクルの場合は、自動車とちがって、機械構造がボデイのなかに隠れません。ですので、まったくごまかしがきかなくなってくる。

最近、自転車のフレームの車輪を取り付ける部分、フレームエンドに、「長靴のようにパイプにかぶせる台湾製のエンド」が使われるようになってきました。これはフレームエンドそのものも作りやすい。エンドをロウ付けしたあとの仕上げの手間も激減する。強度もあるでしょう。

しかし、それが美しいか?というと、人それぞれでしょうが、私はみっともないと思う。

フォークがまったく無駄のないカーブを描いて、うまく応力分散して壊れないように先端へ向かってゆき細くなる、そこへ繊細なハブシャフトがあって、そこからスポークへとつながってゆく造形が、エンドによって断ち切られているように思える。

また、ハンドルの曲線を作るのに、1920年ぐらいのドロップハンドルではハンドルを曲げる機械(ベンダーと言いますが)のコマを3つ以上使って、違うアールを微妙に手で曲げているものがあります。何かを訴えかけるようなダイナミックな曲線がある。これは作り手の内に、あるイメージがあって、それを作るためにフリーハンドで引いた線のように曲げている。フロントフォークの曲げ方を、いまだに2つの違う曲線のベンダーを混ぜて使って、競輪系のビルダーが先へ行ってきゅっと強く曲がる「いわゆる先だめ」の曲がりのものをつくるのと同じです。

ところが、駅の駐輪場へ行って町乗り車のハンドルを観察すると、ベンダーのコマを1個しか使っていないのがわかります。つまり「同じ半径の曲線が2回片側で繰り返されている」のです。つまり、ひとつの(一台の)安物街乗り車のハンドルの4つの曲がりはすべて同じサイズのアールで曲がっています。ぜひ観察してみてください。

それは製造する設備の節約、曲げる手間の節約。なかには曲げる手間を惜しみ、曲げると材料がたくさん必要なのと、輸送費が余分にかかるので、かさばらない一文字にしたりする。作り手の「美のイメージをそこへ投影する余地はない」し、短いハンドルは衝撃吸収も悪い。

さて、それがどんどん、機能を満たすだけのベクトルへすすんでいったら、人から、自分の道具からThe shape of content(こころを満足させるカタチ)の感性をにぶらせるのではないか?

どんなに醜くても、無骨でも、それが「パターン認識」で、「あっ、これは高いものだ」と認識されれば役目完了になるのではないか?

2年前、台所の換気扇を取り替えたのですが、まあ、一応問題なく機能してくれています。冷蔵庫も同様です。しかし、どちらの家電も、見て、「ああ、いいカタチだな」と思うことはまったくありません。「見るのが煩わしいくらいでなければいい」という消極的な風景になっているのです。

逆にほれぼれするぐらいの美しい機械なら、多少煙の吸出し性能で劣ってもいいと思うぐらいです。

なんでも新聞の記事によると、クルマがないと困るアメリカですら、若者の自動車離れがすすんでいるのだそうです。

これは、「用がたり、使えれば良い、生産上の都合で出来たカタチを『デザイン』でもっともらしく仕上げる」というやり方の果てに現れた、感動することがない産業製品に囲まれた生活のなかから出た態度だろうと私は考えています。

そして市場から多様性が消え、「自転車を趣味にする」ということが「その特定部品メーカーを趣味にする」状況にならないことを祈るばかりです。

その「無感動症候群」はじつは自転車の世界に着々と起こっていることなのかもしれません。

写真は、左側は60年前のスチールクランク。右は現代の日本製です。アルミ製ですが、スチールのものより逆に重いのに驚かされます。

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