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Channel: 英国式自転車生活
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1966~1969年と云う時代

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漠然とした思いなのですが、日本は1969年ごろからだんだんよからぬ方向へコースがずれたのかな?と言う気がしてならない。もし、あそこで少し経済成長の速度を意図的に抑えて、じっくり吟味しながら進んでいたらずいぶん住み良いところになったのではないか?とこのごろよく考える。

あの時代、自動車も面白かった。イタリア車とフランス車と英国車はすべてまったく個性が違っていて見間違える人はなかった。ドイツのクルマはちょっとマーケットが変わっていて、『ベルツの日記』とかを呼んでいるような医者がメルッェデスに乗り、バルタン星人のようなフロントグリルの(当時はセミと呼ばれた)サルーンやクーペに乗る人はドイツマニア、ドイツ礼賛者だった気がする。長野へ出かけると『肉のゲルマン』とかいう看板を見た記憶がある(爆)。WW2時代の同盟国礼賛傾向から『ゲルマン民族は優秀、その機械や道具は素晴らしい』という奇妙な刷り込みが一部の有産階級に残っていた。それに勝った英米の機械はもっとよいとは考えなかったようだった。

あの時代から、うまく開発すれば、多摩丘陵も奈良も、それこそレイクディストリクトのように、世界中から人が憧れてやってくる場所に出来ただろうと思う。しかし、そうはならなかった。茅葺・藁ぶきの屋根の農家はことごとく80年代に消滅し、造り酒屋の建物なども大半が取り壊された。道祖神や石仏は動かされ、風景と溶け合った昔の風情はない。

フランスから勲章を贈られた洋画家の梅原龍三郎は「どうして伊豆半島があれほど自然が素晴らしいのに、コートダジュールのようにならなかったのか?」と嘆いた。

1967年の雑誌には、自転車がそのまま積めるサイクリング列車が走っていた記事が出ている。

当時、キャンピング自転車は自由の象徴。日本中、それで行けないところはなかった。いまでは自転車でキャンプなどはそうとう制約がある。

自動車の公害も騒がれ始めたが、現在の隣国やインド、イランのような大気汚染はなかった。いまでは軽自動車の税制がどうのとやかましいが、現代の人には信じられないかもしれないが、あの時代、

『軽自動車に車検はなかった!』

軽自動車に車検が導入されたのは昭和47年、1972年のことです。だから軽自動車も面白いものがたくさんあった。ジムニーは今でも知られていますが、あの時代、ダイハツはフェロー・バギーを作り、ホンダはバモスというレジャーカーを作り、エル・ドミンゴなどというキットカーもあった。

何よりも、1969年までは人類は月面着陸しておらず、遠距離通信も、デジタル技術も、コンピューター技術もまだ今ほどではなかった。だから逆に隙間があった。1970年代に日本製のカメラがずいぶんアメリカ市場を席巻して、『それでは日本製・ドイツ製のフィルムカメラを時代遅れにしてやろう』と、宇宙技術からデジタルカメラに移行する動きがすすめられたのは意外と知られていない。

1970年代はEXPO70で大阪の万国博覧会で盛り上がったが、あの時、スイス館は光の木とかいう中身のない電気だけが点いたエネルギーの無駄のものを作り、そこへはじめて敦賀の原発から電気が供給されたのではなかったか。

つまり、あの段階なら原発もまだいらなかった。

年末整理した物置から出て来た古い雑誌をめくりながら、さまざまな思いが去来した。

あの時代、雑誌の写真で顔を知っていたアレックスの館に泊まるようになるとは、まったく当時の私には夢想すらできなかった。アポロ計画の時、『こちらヒューストン。ピーッ』という通信の同時通訳をされていた西山さんと食事をするようになるとも、まったく予想できなかった。アレックスも西山さんも今はいない。

西山さんはサダム・フセインが隣国へ攻め入った時、各国の人たちを呼んで会議を開いた時もいらしゃった。どうも世界は80年代から、かなり規模の大きい暗い話題の事件に満たされるようになった気がする。

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