さ~~~て、いよいよこの記事でブログ記事も5000回です。これでやめるか?続行するか?
昨日、たまたま昔ながらの村で食事にしていた時、隣のテーブルに座っていた男性の話が聞こえて来た。若いころは棒高跳びの選手で、最近すぐ近くのホームへ移ってきたと言っていた。『このあたりはいいですなぁ』とさかんに言っていた。
その方はホームからバスを乗り継いで散歩に出たという。足元はちょっと危うい。
私は最後の最後で『自分の根城をあけわたす老人の無念』をずいぶんたくさん見て来た。
本来は、そのかつては棒高跳びの選手の人も、この村のどこかへ住んで、息子たちの家の裏の小さい家にでも住んでいられたらよかったのだろうと思った。
実際、日本ではそういう構成になっている農村がけっこうあったのを見ている。息子夫婦が何か作ったものを持って来たり、庭で花が咲けば持ってきていた。私の親戚にもそういう人がいて、行けば自分の畑から出て来た縄文土器を分類し、記録を付け、私が行くと蔵から1升壜を持ってきた。シメジの漬物などで、果てるともなく囲炉裏のわきで飲みながらの雑談。
別の親戚が『うちへ泊まればいいに』というのですが、たぶん、ほかの村人への体裁もあったのだろうと思う。『目も覚めるような空色の瓦』(爆)。『デカいテレビ』、何よりも囲炉裏がなかった。
「どうして、立派な我々の家にあまりいないで、あんな古臭い小さいところへばかり行くのか?」ということだったのだろう。しかし、魅力というのは数値化できない。ましてや大きさや物の科学的進み具合でもはかれない。
いま、その家はもはやありませんが、空色の瓦の御殿はなんの価値もないだろう。しかし、囲炉裏がきってあって、黒光りした木の枠、そこに燻された自在鉤があって、鉄瓶がぶら下がり、その奥は居間からそのまま蔵で、シメジの漬物も、酒も、縄文土器も、古文書もみんなその蔵から魔法のように出て来た。
たいして骨董的な価値がない鉄瓶も、実用本位のあっさりした自在鉤も、トータルで豊かさを醸し出していた。ほんとうの生活の質を若い私は感じた。
家族が総菜を持ってきて、うたた寝していると思ったら息絶えていたというのが、その親戚を見ていて私が持った幸福な最期のイメージ。
四国を回っていたとき、あるお寺のふもとの宿が、すごい風呂場だった。『総ステンレス』で輝いていた(爆)。客はなんだか豆腐屋の水槽に入っているような感じ(笑)。たぶん、掃除の手間を考えて合理化したのでしょうが、私はダメです。木の風呂か、天然石の組んであるような岩風呂がよい。豆腐風呂はダメだ(爆)。
これは、しかし、病院やホームに入るというのは、ある種の人たちにとっては、ステンレス風呂に入るのと同じでしょう。ムラーノ島の手吹きガラスのシャンデリアがパルックの蛍光灯になり、サテンウッドのインレイ入りのイタリア家具がメラミン樹脂のトップのテーブルになり、リモージュのカップがプラスチックのストロー付きの吸いだしつき両手カップになるということだ。
医学的なサポートを受けて、生物的な長命は達成できるかもしれないが、私などはむしろ、みじめさを感じるだろう。
『生涯現役』とひとは簡単に言うが、それは運動をして、体を鍛え、名医にかかり、よい施設に入り、良い医療介護によって生物的に長命というのは、関係者と統計学者を喜ばせるだけだと私なら考える。
ねこや象ですら、最後は自然の中で果てようとするではないか。それは今の歳になって思うことは、『自分と自然は断絶することなく一体だ』という感覚にもどろことだと思う。『自分は自分で、ここにあって、ただデジタル腕時計のように時間を刻み、良いバッテリーと良い修理者に囲まれて、少しでも長く時間を刻ませよう』というのは虚しい。所詮は早く来るか遅く来るかの話で、それは充実した時間でも、満足な終わり方でもない。
縄文土器が壊れて地面に帰るように、また自然にもどること、自然の無くなった現代日本では、なかなか理解されない思想かもしれない。