日本で『サイクリング』が『自転車の遠乗り会』とは別に確立されたころ、菅沼さんや和田さんや鳥山先生などはよく多摩~相模~御殿場ぐらいまでをフィールドにしていた。
私もそれに倣って、昔からこの辺りをよく走っていました。武蔵野特有の広葉樹の雑木林に冬の光と、透明感のある青空。この季節ならではのもです。
この感じは高原リゾートへ行ってもありません。関東ならではの風景だと思う。
中学生の頃、府中の先から関戸を抜け、図師へ抜けて相模原に出たり、あるいは津久井湖を目指した。いまだに覚えているのは藁葺屋根・茅葺屋根の農家がたくさんあったこと。
道路は『土間のように踏み固められた泥の道がけっこうあった』ことを覚えている。走りづらくはなかった。バラスのような道はむしろ多摩川沿いで、今のサイクリングロードのところもバラスが敷かれた走りづらい道だった。
今日は2時間ばかり、そういう残り少ない原風景を眺めに行った。
昨日の初走りの残党に声をかけた。一人が来た。
何の現代的な音もしない。武蔵野の冬の風の音と鳥の声だけ。こういう音世界がよい。クルマもいない。
こういう丘陵地帯でも水が湧く。足元には水が湧いていた。水道のない昔は貴重な水源だっただろう。
自然こそが最高の貴重品で贅沢であるということが、いつになったら日本で理解されるのか?と思う。
私もそれに倣って、昔からこの辺りをよく走っていました。武蔵野特有の広葉樹の雑木林に冬の光と、透明感のある青空。この季節ならではのもです。
この感じは高原リゾートへ行ってもありません。関東ならではの風景だと思う。
中学生の頃、府中の先から関戸を抜け、図師へ抜けて相模原に出たり、あるいは津久井湖を目指した。いまだに覚えているのは藁葺屋根・茅葺屋根の農家がたくさんあったこと。
道路は『土間のように踏み固められた泥の道がけっこうあった』ことを覚えている。走りづらくはなかった。バラスのような道はむしろ多摩川沿いで、今のサイクリングロードのところもバラスが敷かれた走りづらい道だった。
今日は2時間ばかり、そういう残り少ない原風景を眺めに行った。
昨日の初走りの残党に声をかけた。一人が来た。
何の現代的な音もしない。武蔵野の冬の風の音と鳥の声だけ。こういう音世界がよい。クルマもいない。
こういう丘陵地帯でも水が湧く。足元には水が湧いていた。水道のない昔は貴重な水源だっただろう。
自然こそが最高の貴重品で贅沢であるということが、いつになったら日本で理解されるのか?と思う。