最近見かけなくなったのが、小さいおもちゃの獅子頭です。私のこども時代、あれはごく普通にどこでも売っていた。だいたい握りこぶしより一回り大きいぐらいで、中に弓なりの竹が入っていて、緑色の『ゆたん』(獅子舞でかぶる布)までついて、手が隠れるようになっていた。
中の竹のU字型のところを掴むと、あごがカパカパ開いた。何がそんなに気入ったのか知らないが、こども時代いったいいくつ買って壊したか知らない。
そのせいかどうか、大人になっても獅子頭が気になって仕方がない。
獅子頭はひとつの桐の木とかさわらの木から刳り抜くので、たいへん本物は高価です。また、私の性格からして、『神秘感のない真新しい獅子頭は欲しくない』。
獅子頭は獅子舞の人たちは神が宿ると言って、地面に置いたりはしない。丁寧に持ち運んでいる。やはり、そういう風に作られたものが欲しいわけです。芸能用にとりあえず作ったような魂のない物は欲しくない。
また獅子頭にもずいぶん顔に地域色があって、自分のイメージする獅子頭はけっこう限られる。
私は加賀のほうの、白木で角が一本生えていて、アンディ・ウォーホールのような髪型の獅子頭は、どうもこどものころからのイメージに合わない。これは東北の耳が上へ向いて、四角の顔に黒い顔の獅子頭も、こども時代からのイメージと違う。
数年前にかなり古い獅子頭をジャンク扱いで手に入れた。残念ながら耳はないし、顎も割れていて、舌も折れてなくなっている。たてがみもない。
しかし、顔は私がこども時代から持っている獅子頭のイメージそのものだったので、迷わず買った。現代のものには無い、ある種の神々しさがある。その古道具屋に神社の社の名の彫られた扁額があったので、多分、過疎化で氏子がいなくなり取り壊された神社にあったのではないか?と思っている。いくつかあるうち、コンディションの良いものは売れて、あごの壊れた耳のない物は残って、うちへ来た。
友人に仏像の修復家がいるので、あごの割れたところは漆か膠で修理してもらう約束になっている。漆は接着剤のように使える。漆の色合わせは、彼は博物館の仏像を修復するぐらいですからお手の物。舌と耳は私が自分で桐を削って作り、彼に漆で仕上げてもらおうと思っている。
漆だから年中から拭きしていると、曇りがとれて透き通ってくる。うちへ来てからずいぶんてりがよくなった。たてがみは7000円ぐらいで馬の尻尾で作ったものが買えるので、それも問題はない。
すこ~~しづつ、気長にやる。なんだかセントバーナードのようで、獣医になったような気がする(笑)。