学生時代の親友と「海外旅行の競争」をやっている時期がありました。その時、2人の間でフランスとイタリアがブームで、彼はイタリアの方が気に入っていた。
「イタリアの生活いいな。こっちで話の分かる美人のかみさんもらって、単純作業の仕事をやりながら、ストレスなく、うまいもの食べて生きるほうが、日本で良い会社に就職し、結婚して、たいしたこともない家を買って、そのローンであくせく死ぬまで働くよりはるかにいいな。」
その彼は一度商社に就職し、そのあとにやめて、実家の商店街の仕事を引き継ぐのに帰郷した。それ以後、一度電話がかかってきたが、かなり鬱気味で、私も転居をしたりして音信不通になった。今回の原発事故の起きた近くなので、ここ数年彼のことが気になっている。
たぶん、私同様、「人生の分かれ道」のことを考えただろうと思う。
あの時代、ヨーロッパの「良い暮らし」という明確なイメージは1)貴族の生活 2)成功した画家の生活 3)非常に美しい村や町にそこそこの安定で、『名より実をとる良い生活』の3つでした。
画家というと「貧乏」という連鎖がはたらきますが、実際印象派の画家たちの家の写真を見ると、セザンヌでもモネでもコロオでもルノアールでもクールベでも、信じられないくらい良い生活をしていたのがわかる。その中のトップはピカソだろう。次々と屋敷を買い、中を自作とガラクタで埋め、一杯になるとそのまま次の城へ引っ越した。
よくテレビなどで豪邸拝見などとやっていますが、なぜか日本で大成功者となった人の家を見ても、まったくうらやましいと思わない。クォリティを感じない。なんというのか、『うらやましいと思うライフスタイルがそこにない』という奇妙な空虚感を感じる。
日本で高級な感じを出そうとすると、『中東の高級ホテルの中みたいになる』(笑)。HomeではなくHotel。自分の両親や祖父母、さらにその前の世代につながって生活している満足感が出ない。『いま、暫定的に高級品に囲まれた便利な生活をしている』というホテル住まいに近い感覚なのです。
東京もかつてはBon Vivreが可能なところだった。世田谷でも杉並でも南フランスの田園生活のような生き方ができた。いまだに、飛び地のように別荘地に来たかのような緑の深い庭がある古い喫茶店が残っている。そういう場所もいまや風前の灯火。
何度も書きますが、世田谷の環八のあたりには小川や沼があって、ドジョウやウナギまでいた。オナガやメジロ、鶯はもちろんのこと鷺がいた。トノサマバッタがいた。吉祥寺の公園の中には山小屋のような楽焼屋があった。
うまく開発すれば、一帯はロンドンやパリの自然の残る郊外のように出来ただろう。そういうものを求めて東京から長野、群馬ぐらいまでのリゾートまで出かけても、現代ではヨーロッパのごく普通の郊外の日常に届かない気がする。
明治~大正~昭和初期に、東京の山の手組の洋行した人は、『ヨーロッパの上質を今の人より知っていた』と思う。またそれをうまく和洋折衷するすべを心得ていた。杉並~世田谷~目黒などにはけっこう味のある西洋館が残っていた。
昔の丸ビルの1階は実に風情のある空間だった。天井の高さの感じ、ドアの比率、ドアの上の窓部分の比率、妙に落ち着いた。建て直してからはごく普通で、通り抜けるだけになっている。
『現代の日本の西洋建築は居心地の良さを作り出すことにはことごとく失敗している』ように見える。
琵琶湖畔の某大学へ数年前に行く機会がありましたが、ひのたまはちおうじのキャンパス群とじつによく似ていた。どこぞの独裁国のボスが作った「模範学園都市のように寒々しい」(笑)。冬になったらサイベリアかハルピンかわかりませんが、そういうところからの寒気団が吹きこみそうだった。
これはどういうわけか、駅でもキャンパスでも町でもすべてそう言う気がする。
『こころ休まる場所のない、営利と効率のための商業施設群』だけが果てしなく増殖している印象。
私は日本で働くきわめて多くの西洋先進国の人たちが、休みの時、ほぼまったく日本で国内旅行をしないのを知っている。それは営利のための施設群があまりに露骨だから、こころ休まらない。
或る時、みんな気が付くだろう。何十件店を渡り歩いても、店の品ぞろえはほとんど同じで、置いてある家具も家電も、自動車も自転車も選ぶところがないということを。
『革のサドルが入って、サドルにバネが3つ入っている自転車で、前カゴはフランスパンやワインが寝かせて積めるように幅がある、、そういう自転車が欲しい』と思ったところで、何十件歩いても、3つバネのブルックスやレパーのサドルを在庫しているところはほぼない。私も都内で3軒しか思いつかない。ヨーロッパ式のウィッカーバスケットを持っているところはゼロでしょう。
東ベルリンを自転車でフラフラ走っていて、旧東ドイツの建てたアパートは日本のマンションに似ているなと思った。
機能を満たすだけのトラバントが西ヨーロッパで自動車として通用しないように、選ぶところのない、感動のない自動車も自転車も建築も、じつはトラバントのご同類なのではないか?
それでも旧東ドイツの人たちには、トラバント改造の趣味の集まりがある。私などは何が面白いのか理解に困る。個性的に選んだ高級品のつもりでも、実質は大量生産の同じものに、「それらしく付加価値を付けている」のがほとんど。
居心地の良い家、居心地の良い街、居心地の良い乗り物。これらは実はレッテルでもなければ機能・性能でもない。人間の感じる心地よさ、居心地のよさの『根っ子はすべて同じ』であると私は考えている。
シャビーであってもたいへん豊かな生活をもたらすものがある。写真の庭のにある石のティールームが良い例だ。200数十年物のこういうあづまやなど、日本ではまず無理なはなし。これがあることによるお茶の楽しみの増大ははかり知れない。しかも機能だけのピカピカの見苦しさはない。心地よさに古いも新しいも関係ない。逆にこれがステンレスとガラスの完全空調の部屋だったらどうか?人間も生物なので、生物として居心地の良いところでないと満足できない。
ドイツの貴族の友人は、ドイツバロックの木の床の歩けばギシギシ音のするヘリンボーンに貼られた床が自慢だった。
「これなら膝が痛くならないし、メガネや時計を落としても、セメントや大理石の床のように壊れたりしないわ。」
ジョルジュ・ブラックは自分の油絵を、海岸の岩場や、草むらの中に置いて、「調和しないチャチな感じがする部分がないかどうかをチェックしていた」。
古い日本のものはすべてパスするだろうが、現代ものはすべて落第なのではないか?こと、都市や大規模建造物に関しては私はそう思う。
持ちきれないほどのものを持って、使い切れないほどの金を持って、それでもBon Vivreに到達できない人はこの国では多い気がする。