私もこういう仕事をしているので、自転車に乗っているカッコいい人を見ると振り返ります。
カッコいいと思わせる要素は、まず第一は「乗り手のカッコよさ」だと思う。そのつぎは自転車と乗り手が一体となって醸し出している雰囲気。乗っているフォーム、所作、最後に自転車でしょう。
「すれ違いざまにハッとするのはこの五つ」。実際には自転車の細部はまずほとんど重要ではない。
すれ違いざまに部品のグレードとか、「あっ!あのフレーム・ラグはナベックスだ!それも初期1次型の三日月カットだ」などとは、いかに視力の良い磨耗物マニアでも見えはしない(笑)。
1がダメでも、2が良ければやはり振り返る。そのカッコよさの意味するところは広い。ソース顔で恰幅の良いオジサンでも雰囲気のある良い味を出している人がある。よろしくないフォームで乗っていると、やはり気になって振り返る。
自分はほとんど本能的に振り返るので、細部を観察すると、自転車はまったく普通の場合が少なくない。
逆に言うと、自転車の部品は使い良い、乗り手のための使い勝手の話で、ある意味、豪華主義は2重の意味で無意味です。
ユーレーの一番安いズベルトの性能と頑丈さを悪くいうヴェテランはいない。しかし最高級のジュビリーはレバーストロークが大きく実に使いづらい。フロントは弱く、上り坂でしばしば折れて吹っ飛ぶのは有名な話。では、「高級部品で固める意味はどこにあるのか?」ということなのです。
これはひとつ奥義なのですが、ドロップでもアップハンドルでも、NITTOさんのハンドルバーを入れると、NITTOさんの自転車に見える(笑)。
昔、エバのおばさんも、JのMの親爺さんも鉄の棒を入れてドロップの曲がりを変えていた。
「オレのも同じフィリップのプロフェッショナルなのに曲がりが違うね。2種類あるのかな?」
「あ~~、それはねー。うちは曲げ直してんだよ。ウン。」
そう言われた。
最近の素材では曲げ直しなんかやったらヒビが入ったり、折れたりするだろう。
自転車のプロポーションはそういうところで出す。1910年頃の競技車両に何とも言えない味があるのは、『手で曲げて作ったドロップハンドルがオーラを出しているから』。
仲間内でも、しだいにハンドルのつくるプロポーションに目が行くようになると、かなり錆びているハンドルでも、乗って具合がよく、プロポーションが良ければ使用する人が増えた。
プロポーションと言えば、レーシングウエアは、ある程度鍛えている人が着ると美しいものだが、絞り込みが足りない人が着ると『妙に暑苦しく見える』。たぶん、本人は「名の通った高級なウェアだからカッコイイだろう」と思うのかもしれないが、そのような「ブランド記号主義」は機能しない。
また、身体的な特徴は民族的な部分もある。昨日買い物に行って、ちょっとコーヒー補給で、店がなかったのでミスドに入った。私はミスドのコーヒーなら砂糖なしで飲むのですが、星跋扈やコンビニのものは不可能です。濃くてうまいのなら良いが、濃くてまずいのは耐え難い。
それはさておき、そこに背中の大きくあいたワンピの女性がいたのですが、背中の筋肉がずいぶん発達していた。「何かスポーツをやっているのかな?」と不思議に思ったら、こちらを向いて座って、ドーナツを両手で食べ始めた。携帯が鳴って話し始め、隣国Bの言葉でした。これは彫刻家の故佐藤忠良さんが言っていましたが、向うの人は背中の筋肉が発達している人が日本人に比べて多い。これはタイの女性などでもそうです。
これはヨーロッパの男性の自転車に乗っている人の背中を見てもそうです。彼らは肩幅がなくても胸板がものすごく厚く、背中の筋肉も発達している人をよく見る。日本人は肩幅があっても意外に胸板が薄い人が多い気がする。
むかし、英国人の彼女が海へ急に行くことになって、水着をどうにか、という話になった。日本人の女友達が、『まったく着ないのがあるからあげるわ』ということになって着てみた。背格好がほとんど同じなのにまったく小さい。細く見えるのに丸く厚さがあるのです。「彼女痩せて見えるのにボリュームがあるのね」と言われた。
日本人のレーシングウエア姿を見るといつもそのことを思い出す。日本人は前後に平たい傾向がある。
そうすると、よーく見てみてください。海外のウエアを着た時、なんとなくヨーロッパの人とパターンの入り場所が違う感じがする。「想定外のところにストライプがきたりしている」場合もある(笑)。
お腹が出ていると、『トノサマガエルの横の筋が背中に来ている』ように見えることもある(爆)。
ツイードも、下にニッカボッカを合わせると、意外に上半身が日本人は大きく見えてしまう傾向がある。
レーサーのウエアの場合、とくに小柄な人の場合は、脚の視覚比率が少ないので、レーシングウエアが私にはしっくりみえない。脚がすっと直線状態でなく太さの抑揚がありすぎたり、О脚だったりX脚だったりすると、それが誇張されて目立つ気がする。
ならば、いっそ普通の服の方がカッコ良いはずだ。
これは本人の意識の問題だろうと思うのだが、意外と安物町乗り車に乗っている若者で、カッコよく乗っている人が増えている気がする。