休日に川沿いを走っても旅人を見なくなりました。運動で走っている人がほとんど。GPSの付いたスマホもあるし、そこにはなんら冒険的なもの、一生に一度ひろがってくる眼前の新鮮な道もない。
これは遠くでなくてもよい。はじめての道ならけっこう楽しい。
人間の記憶力というのはたいしたもので、2度目に行くと『ああ、ここは来たな』と新鮮味が薄れる。四季折々の変化を楽しみのうちに入れても、それでも常に新鮮な気分に保つには工夫が要る。
人間のメモリーはいったいどのくらいあるのか?とあきれるばかりです。
同じ公園、同じ神社仏閣へ行くのも、それは毎日同じ八百屋へ野菜を買いに行くのと同じでルーティーンになってくる。
刺激が『物』から来ている人たちも、やがては物にあきてくる。すべてを見尽くした感じ。
今月はひのたまはちおうじのほうで大きなお祭りがありますが、地元の人でも50~60回観て人生が終わりなのではないのか?80回見る人は少ないだろう。
高齢になるほど「ルーティーン」になってくるものが多いのではないか?なにか新鮮なものが欲しい。
ここ数年、旅のスタイルから「こういう自転車」という風に考えることが多くなった。
今日、たまたまリアキャリのことをお客に訊かれ、問屋に問い合わせたところ、メーカー切れで12月以降でないとはいってこないということでした。たしかにそう云うリアキャリアを付けている人を最近見ない。
しかし、こうして写真を並べてみると、どう見ても昔の旅スタイルの方がエレガントに私には見える。最近の旅行用機材はどんどんジョギングと同じ範疇のものになってきていて、『旅』というのとはちょっと違う気がする。
荷物を積んでどこかへ旅に出る、、という人が減り、『ルーティーンで同じコースを走る人たち』が主流になっているのかもしれない。
昔の写真を見ていたら、よくまあ、サドルバッグひとつで八ヶ岳まで東京から行っていたなと感心する。着替えは別に送っていた記憶がある。
荷物を増やすほど、乗っている時の楽しさは減るわけだから、ほんとうは荷物を減らすことを考えたほうがよい。
私が10代のころ、今の時期はキャンピング車をよく見かけた。最近はぶっそうだし、勝手にテントを張っていると怒られるし、実際、不可能になりつつある。右から5枚目のリア・キャリアは寝袋を積むために天板を長く伸ばしてあるのが泣かせます。
キャンピング車は自分の家の玄関からいきなり走って出かけて行く車種だから、つまらないところも走らざるおえない。現代ではこれもマイナス要因だろう。
四国へ行った時、東京湾のフェリーの桟橋まで自走したが、その区間が一番つまらなかった。
『旅人心を、すっと、りきまずに満足できるスタイル』、それを考えると、シンプルでミニマムな道具の重要性がきわだってくる。分解にも持ち運びにも手間取る複雑な物は嫌だ。
こうしてみると、サドルバッグも大中小、いろいろありますが、泥除け無しなら意外に輪行が簡単です。1~2分で袋に入る。