Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

縁もゆかりもない

$
0
0
もう、これも30年ほど前の話。関係者もたぶんいらっしゃらない。

先輩のK野さんがホテルのフロントで支配人にメラメラと怒っていた。
「なにがダリウス大王だ、なにが世界の半分だ。今のお前たちとは縁もゆかりもないよ。街を歩いていても外国人と見ると車に乗せてやると言う奴が寄ってきて白タクやって、工場の偉い奴らは無能なのばかり、スタッフに持ってきたおみやげまで着服する。絵も指導者の巨大な看板ぐらいしか描く奴もなく、市内の新しいビルは醜悪で、工芸品も安ピカものばかりじゃないか。食い物はまずい、米は臭い、何百年も千年も前のことに寄りかかって、自分のことのように自慢してるんじゃないよ。いうことを訊かない奴は『ウド』みたいに地面の下に閉じ込めて、なにが自慢できるもんか。今を見ろ、今を。」

「どうしたんですか?」
「もう、この支配人は腹に据えかねた。ロクな者じゃない。若い色白の日本人男がこいつ好きで、そういう奴には良い部屋を手配しますなんてぬかして、くどいたりして、私のような年寄はひどい部屋に押し込んで、頼んだこともまともにやらないんだ。いや、なに言っても、どうせわかりゃしない。不愉快だからR&F君、パイプを一服中庭の喫茶店へやりにゆきましょう。」

彼の腹立ちもよくわかった。

しかし、風景も、人も、社会も、国も、ずいぶん変わる。

英国だってずいぶん変わった。私が最初に行った頃は、まだ「世界大恐慌前の英国を知っていた英国人」がけっこういて、それは礼儀正しく、洒落ていて好みがよく、ウィットに富んだ面白い人たちだった。いまやみんな90歳代半ば、後半でしょうから難しい。そこからいくつかの断絶を経てビートルズ世代もいまや70歳代。今の20~30歳代はこれまたずいぶん違う。別の国の人たちと言うぐらい違う。

これはお隣の国でも同様でしょう。空海、最澄、道元が留学したころとは、縁もゆかりもない国に変化している感じがする。

それでも、どこの国でも200年前、400年前からあまり変わっていないと思わせる人はいるもので、私はそういう古風な人に会うと妙に感心する。

日本も人の国のことは言えないわけで、あと20~30年後はどうなっているか知れたものではない。

たとえば、自転車の部品メーカーにしても、『今』良いのは、デュラエースの開発にしても、1960~1970年代の自転車ブームで育った世代が引っ張ったからであって、それが一斉リタイヤになったら、自転車の走行環境もはるかによいオランダ、デンマーク、ドイツなどに『企画力の元になる問題意識や発想』でかなうわけはない。

こどもの頃から親にファミレスへ連れて行かれ、高校時代は最是利阿、大人になったらコンビニ弁当の味覚の人に、魯山人ばりに食器に凝った日本料理も、ヨーロッパの人が納得する洋食も作れるはずがない。

これは、自動車でもすでに起こりつつあり、ホンダの最高級スポーツカーもアメリカ人が企画デザインしているという。『最大のマーケットで売れるように向こうの人に開発させる』などとは本田宗一郎は考えなかったはずだ。

フルッチョ・ランボルギーニはワイン農園に彼女と乗ってゆくのにカッコいいように、ラ・スカラにオペラを見に行くのにスタイリッシュであるようにクルマを作った。だからレースで他のメーカーを負かそうなどとは考えなかった。『レースに出もしなかった』のですから。それが文化というものだろう。

ミウラもエスパーダも、いや英国のXJ6もダブルシックスも、まだ注文が大量に来ているのに生産をやめましたから。儲けはモーチベーションではなかった。

いま、日本の新幹線のあるものはドイツのデザイナーがデザインしている。

では日本のお家芸は何?という疑問が湧いてくる。

イタリアのスーパーカーのデザイナーが、『最近の日本の自動車のバッジは、みてもどこのメーカーかわからない。あれは作り手が誰かを隠そうとしているのか?』と言っていた。

その時、「どのバッジが印象深かったか?」と私が聞いたら、「いすゞの117クーペの動物のマーク」と言われたのが忘れられない。

一方で、ある日本の人で、全世界の3000人ほどのデザイナーを束ねる人が、「鳥居をイメージした自動車のグリル」というので、どうかなと思った。伝統がわかっていないのではないか。鳥居のフロント・グリルでは『小便禁止』じゃないかと言いたくなった(爆)。

サンツアーの変速器に『オナー』と言うのがありますが、これは日本ではみんなマニアも『オーナー』と言っている。あれは『Owner』ではない。私はあの命名はゼロ戦の『誉』(ほまれ)エンジンから来ていると考えている。

だいたい海外生活の長い人ほど、アィデンティティの問題から、自国の伝統文化に深く関心を持つようになる傾向があると思うが、その伝統がただ『これが昔からの伝統だ』、と引っ張ってきて丸投げするだけでよいとは私は考えない。

着物のことを言うと、隣国から「あれは我々の呉の国の服装だ。だからあなたたちも呉服と言うではないか」と言われる。「呉服から違うものに完成された着物の独自な点は何なのか?」ということが答えられなくては世界にでられない。

禅も伝来だし、それが日本でどのように発達したのか。また禅の「空」は道教の「無」をあてはめて、インドの思想が極東化されたことがわかっている。じつは「拈華微笑」の『以心伝心』も、何も持たない『無一物の清貧』も道教から引っ張ってきている。

直輸入で持ってきたので、僧侶がみんな漢文が読めるわけではなかったため、経典をたくさん積んで、お香を焚いて読んだことにする。折り本と呼ばれる書道のお手本のような製本のものをパラパラとトランプをきるように、「なんきんたますだれ」のように片手から片手に流して読んだことにする。そういう状態の中で鎌倉仏教は出てきた。こういうことは学校は教えない。年号暗記などばかりだ。

誰かがうちへ『自転車作ってください』とやってきて、『R&Fさんのブログの記事は全部プリント・アウトして持っています。読んではいないのですが、毎日床の間に置いてお香を焚いています。」と言って来たら「変わった人が来た」と、私は注文を受けないだろうと思う(笑)。「オレが知るかよ。ちゃんと読んでから来い」というだろう。

どうも、日本は『検証せずに次の世代に丸投げ』が得意な気がする。自分の歴史財産をきちんと知ろうともせず、お香を焚いておしまいなのではないか。

お隣の国が1986年に作った西遊記をみると、特撮もメークも稚拙、衣装は化学薬品で染めた青やピンクで格調もなにもない。

そういう色で育った彼らは日本の色が「くすんでいて気質が違う」という意見が多い統計が出ていた。しかし、それは彼らがここ数十年のけばい色しか知らないのの裏返しだろう。

日本には正倉院の昔からシルクロードの布や来ている。空海、最澄らも持ち帰り、足利将軍は日明貿易をやっていたわけだから、変わらずやって来た日本の方がいまや正統と言えると私は考える。

一方で、その本国版を日本で作った西遊記とくらべると、さすがに『むこうのものは中身ははずしていない』。日本のものは好きな役者が出ているというだけの『学芸会』にしかみえない。

週末は琴姫七変化を観ていましたが、今見ても面白い。現代では役者もそろわないだろうし、風景も、ロケができる場所がいまや残っていない。脚本を書いた人の感性もいまでは探すのが難しいと思う。最近つくられた時代劇は観た気にならない。いや、西遊記の学芸会をみたのと同じ印象が残る。

一方で、彼らが作った諸葛孔明のドラマでは、孔明が登場する時の音楽が水戸光圀登場の音楽とそっくりだった。

ではどの分野で世界をうならせられるのか?

さて、次の時代に残すべきものは何なのか?いまこの時期となっては、それは私の次の世代の考えることだ。

Yutube:でぜひ以下の動画を見るのをお勧めします。

[Eng Sub] Journey to the West (1986 TV series ) episode 4

32分ぐらいのところから、三蔵法師が皇帝に謁見するシーンと会話のやり取りがすばらしい。突如、老僧侶が袈裟と錫杖を売りつけにやってくる。皇帝が招き入れ「老師、その袈裟と錫杖のどこがどう違うのか?」と訊ねると、その口上を述べる。三蔵を呼べとそこへやってくる。老僧は法外な価格を言ったのですが、皇帝はそれを買い与えることを決めていた。「着て見せてくれ」と皇帝が言うと三蔵は身にまとい皆が感心する。皇帝が金子を与えようとすると、老僧はそれを押し返し受け取らない。「これはそれがわかる人のもとへ行くべき。御代はうけとりませぬ。差し上げましょう。」という。そこから「しかし、貴男の知っているお経はまだ充分ではない」という話を切り出し、取経の旅へ出ることをすすめる。

その老僧は最後に姿を変える。一見の価値があります。こういうシーンは日本ヴァージョンにはない。

もうひとつはこれ

「最初のボンカレーパッケージ松山容子さん主演の琴姫七変化」でyutubeででます。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>