これは2つのタイトルの間で迷ったのですが、安心という一言をもってきた。
ひとつ前の話で『しに目に会えるかどうか』に関する話があったので、これも書いて置こうと思う。
正直な話、私が若いころ、30歳ぐらいまではそういうことはあまり考えず、むしろ、そういう場面に立ち会うのは嫌だな、ぐらいに考えていた。
どういうものだか、30歳ぐらいから、高齢の友人に付き添いを頼まれることが多くなり、同じ家に住んでいた英国でのアンテイックの師、G Cが具合が悪くなった時もそうだった。また、住んでいた家の主人が具合が悪くなると、目薬を差すのまで私がやっていました。
それ以前から、私の部屋は家の主人の部屋の真向かいに選ばれ、入院しているような時は、呼び出され、面会するには様態が悪い、と医師が止めようとすると「彼は特別で、必要なんだ。I have to keep the house going.」と医師に言っていた。
同時に、何かあった時は私に言い残すか、あるいはいてほしかったのだと思った。その後、アレックスにもそう云う感じに扱われ、彼の部屋のすぐのところの部屋でした。アレックスも「When I am gone,,」とか「After I am gone」とかよく言っていた。
30歳から後の私は6人の高齢者の面倒を近くでみたことになる。
その同じ30代の頃、知り合いのアメリカ人、Cの祖母がなくなったとき、彼がそばにずっと付いていて、「ジーザスが見えるかい?」と訊き続けたという話を彼自身から聞いた。何十回となく最期の瞬間まで訊いていたそうです。
「最後はYesと言ったのかい?」
「No.」
迷惑な話だなと思った。一緒に話を聞いていたケリーに、
「オレがいよいよ危なくなることがあっても、Cには絶対知らせるな。」
「あたしも嫌だわ。やめてほしいわ。そんなのちょっと考えられない。」
エヴェレスト登頂などで知られる探検家、サー・ラナルフがある時、低体温症から心臓停止して、十数回の電気ショックで生き返った。生還して英国に戻って聖職者に、
「光のトンネルも、天使たちも、暗いトンネルの向こうの光輝く出口も見えなかったぜ。」
と言ったところ。
「それは君。ちゃんと本当にしんでなかったからだ。」(you were not properly dead.)
と言われた。
江戸時代から、明治、大正、昭和と語り継がれてきた一休の話がある。
一休の師がいよいよあぶないというので、一休が枕元に呼ばれた(これは本によって、最初の師、謙翁とする本と、2番目の師、華叟だと書いてある本がある)。
師が言う
「わしはもうゆくぞ。」
一休が
「いずこへ?」
師がこたえる
「極楽へ」
さらに一休が
「何をしに?」
師がこたえて
「さほど用事はなけれども、、」
すかさず一休がそのあとを続けて、
「阿弥陀を助けに行かっしゃるか」
師はにやりと微笑んで世を去った。
これはじつにすごい会話だと思う。仏教では拈華微笑(ねんげみしょう)ということが言われます。ほんとうの奥義、真髄は言葉では伝わらない。お釈迦様が野の花をつまんで微笑んだのを見て、摩訶迦葉がすべてを直観的に理解して法を継いだと言われている。だから禅では『不立文字』ということをいう。文字であまり説明しない。
まさに師と一休の間には、その「拈華微笑」が最後のたぶん十秒か二十秒の会話で成立している。
「いずこへ?」という答えと「極楽へ」というやりとりは興味深い。一休には、極楽は西にも東にも南にもない『来た道さがせ』(北道)という言葉が残っている。
つまり真っ正直に生き、やるべきことをすべてやり、生き切った師の人生が、極楽そのものではありませんか、思い残すこともなく、いままでの道のりを思い起こしかみしめて、満足ではないのですか。思い煩うこともなく、完結した人生でしょう、という意味が背景にある。
禅は「後生」を問わない。ここまでで禅的には完結しているが、一休はさらに機智を働かせた。「阿弥陀を助けに行かっしゃるか」。
ここも数通りの意味が含まれている。「阿弥陀さまにつきしたっがっている仏になるのですね」という最大級の賛辞と、普通なら、あの世へ行く前に『来迎図』に見られるようにあちらから迎えに来る側のグループの一人になるのですね、という、その場の状況とは逆のことを言って師の笑いを誘う。
修業時代、一休はお供えの餅を切ってつまみぐいしようとしたことがある。師がそれに感づいて、歌で白い餅なら月のように丸いはずだが?と一休に問い詰めた。一休は「雲に隠れてここに半分」とふところから半分を出した。雲と言うのは修行僧の意味もある。師はその答えは気が利いているから、その半分はおまえにやる、と言った。
そういう当意即妙の阿吽の呼吸が両者にあったのだろう。
最期のときの数十秒で、ある意味一休は師の一生を完全完結させる手助けをしている。
「一休、よくぞ言うた。みごとじゃ。これでワシも思い残すことはない。」
そうした意味合いもあっただろう笑いだ。最後にニヤリとした師のこころのうちもまた深いと思う。
おおづめの時「金色の蓮が見えるかい?」とか「奇妙なお迎えの雲が見えるかい?」とか訊かれるのもまた迷惑な話だ(笑)。
ひとつ前の話で『しに目に会えるかどうか』に関する話があったので、これも書いて置こうと思う。
正直な話、私が若いころ、30歳ぐらいまではそういうことはあまり考えず、むしろ、そういう場面に立ち会うのは嫌だな、ぐらいに考えていた。
どういうものだか、30歳ぐらいから、高齢の友人に付き添いを頼まれることが多くなり、同じ家に住んでいた英国でのアンテイックの師、G Cが具合が悪くなった時もそうだった。また、住んでいた家の主人が具合が悪くなると、目薬を差すのまで私がやっていました。
それ以前から、私の部屋は家の主人の部屋の真向かいに選ばれ、入院しているような時は、呼び出され、面会するには様態が悪い、と医師が止めようとすると「彼は特別で、必要なんだ。I have to keep the house going.」と医師に言っていた。
同時に、何かあった時は私に言い残すか、あるいはいてほしかったのだと思った。その後、アレックスにもそう云う感じに扱われ、彼の部屋のすぐのところの部屋でした。アレックスも「When I am gone,,」とか「After I am gone」とかよく言っていた。
30歳から後の私は6人の高齢者の面倒を近くでみたことになる。
その同じ30代の頃、知り合いのアメリカ人、Cの祖母がなくなったとき、彼がそばにずっと付いていて、「ジーザスが見えるかい?」と訊き続けたという話を彼自身から聞いた。何十回となく最期の瞬間まで訊いていたそうです。
「最後はYesと言ったのかい?」
「No.」
迷惑な話だなと思った。一緒に話を聞いていたケリーに、
「オレがいよいよ危なくなることがあっても、Cには絶対知らせるな。」
「あたしも嫌だわ。やめてほしいわ。そんなのちょっと考えられない。」
エヴェレスト登頂などで知られる探検家、サー・ラナルフがある時、低体温症から心臓停止して、十数回の電気ショックで生き返った。生還して英国に戻って聖職者に、
「光のトンネルも、天使たちも、暗いトンネルの向こうの光輝く出口も見えなかったぜ。」
と言ったところ。
「それは君。ちゃんと本当にしんでなかったからだ。」(you were not properly dead.)
と言われた。
江戸時代から、明治、大正、昭和と語り継がれてきた一休の話がある。
一休の師がいよいよあぶないというので、一休が枕元に呼ばれた(これは本によって、最初の師、謙翁とする本と、2番目の師、華叟だと書いてある本がある)。
師が言う
「わしはもうゆくぞ。」
一休が
「いずこへ?」
師がこたえる
「極楽へ」
さらに一休が
「何をしに?」
師がこたえて
「さほど用事はなけれども、、」
すかさず一休がそのあとを続けて、
「阿弥陀を助けに行かっしゃるか」
師はにやりと微笑んで世を去った。
これはじつにすごい会話だと思う。仏教では拈華微笑(ねんげみしょう)ということが言われます。ほんとうの奥義、真髄は言葉では伝わらない。お釈迦様が野の花をつまんで微笑んだのを見て、摩訶迦葉がすべてを直観的に理解して法を継いだと言われている。だから禅では『不立文字』ということをいう。文字であまり説明しない。
まさに師と一休の間には、その「拈華微笑」が最後のたぶん十秒か二十秒の会話で成立している。
「いずこへ?」という答えと「極楽へ」というやりとりは興味深い。一休には、極楽は西にも東にも南にもない『来た道さがせ』(北道)という言葉が残っている。
つまり真っ正直に生き、やるべきことをすべてやり、生き切った師の人生が、極楽そのものではありませんか、思い残すこともなく、いままでの道のりを思い起こしかみしめて、満足ではないのですか。思い煩うこともなく、完結した人生でしょう、という意味が背景にある。
禅は「後生」を問わない。ここまでで禅的には完結しているが、一休はさらに機智を働かせた。「阿弥陀を助けに行かっしゃるか」。
ここも数通りの意味が含まれている。「阿弥陀さまにつきしたっがっている仏になるのですね」という最大級の賛辞と、普通なら、あの世へ行く前に『来迎図』に見られるようにあちらから迎えに来る側のグループの一人になるのですね、という、その場の状況とは逆のことを言って師の笑いを誘う。
修業時代、一休はお供えの餅を切ってつまみぐいしようとしたことがある。師がそれに感づいて、歌で白い餅なら月のように丸いはずだが?と一休に問い詰めた。一休は「雲に隠れてここに半分」とふところから半分を出した。雲と言うのは修行僧の意味もある。師はその答えは気が利いているから、その半分はおまえにやる、と言った。
そういう当意即妙の阿吽の呼吸が両者にあったのだろう。
最期のときの数十秒で、ある意味一休は師の一生を完全完結させる手助けをしている。
「一休、よくぞ言うた。みごとじゃ。これでワシも思い残すことはない。」
そうした意味合いもあっただろう笑いだ。最後にニヤリとした師のこころのうちもまた深いと思う。
おおづめの時「金色の蓮が見えるかい?」とか「奇妙なお迎えの雲が見えるかい?」とか訊かれるのもまた迷惑な話だ(笑)。