長年人間をやっていると、人生で生きている『行動範囲はジャングル』のような奇妙な感じがある。
これは自分の中の『野生』と生きている間に出くわす『まわりのもの』とが、ジャングルの中の事象のように対応するからではないかと思う。
美味いものを食べたり、綺麗な石があったり、夕立があったり、雪が降ったり、昼寝に良い場所があったり、絶妙の洞穴があったり、面白い人に出くわしたり、凶暴なのとすれ違ったりする。美味い泉の水があったり。
たぶん、人間のこころはそういう風に野生に生きて周囲に反応するように出来ているのだと言う気がする。
出来れば安逸に、美味いものを食べ、敵意のあるものに出合わず、風光明媚な良い洞窟に長いこと定住できればよいわけですが、なかなかそうは行かない。
洞窟は天災で崩れるかもしれない、実のなる果樹は枯れるかもしれない。気の合った隣人は死ぬかもしれない。安定と言うのは難しい。
長年、人間はたまに来る不幸や悲しみと一緒に生活していたわけで、ネアンデールタール人はすでに仲間を埋葬するのに花をたくさん入れていたことがわかっている。そのころにすでに花を美しいと思い、そういうものに囲まれていたいと考え、仲間が先立つとそれを悼んだ。
私は人間はこのあたりの『長年の本性を満足させられないと幸福になれない』と言う気がする。
そこから、「長い時系列で先を考え、生活を組み立てるのが文化・文明」だと思いますが、それは『テクノロジーとイコールではない』。
電車というのは便利なテクノロジーですが、それが『満員電車』になると、もう生まれつきの人間の本性に反した不愉快極まりないものになる。
自動車もたぶんそうなのです。外界と完全に遮断されて密閉度が高まるほど人間の本性に反する。だからどんなにテクノロジーが進もうと、オープンやスパイダーはなくならない。
音が小さくなって無音に近づき、運転が容易に、楽になるほど、『自分の意志で移動している実感が薄れ、本性に反したものになってゆく』。
Zの産みの親、片山さんが、晩年『ロバに引かせた荷車の面白さ』とよく言っておられた。一度、南米かどこかの、板に車輪を4つつけて坂道を降りているビデオを観て感心したともいう話だった。
これは精練しぬいた純粋なナトリウム塩と、海の塩や岩塩とどちらがうまいか?と言うのと同じだ。
面白さや痛快さは、便利さとテクノロジーに比例しない。むしろ進むほどつまらなくなる。
私は『黒電話が当たり前の時代』からスタートしているので、まさか電話機を充電しないといけない時代、たまに電話機が破裂する時代が来るとは思っても見なかった(笑)。
たまに野生の感覚が満たされたいと思う。
それは闘争とかスピード追求とかのアドレナリン流出系では満たされない。
私の場合、それにはグランド・キャニオンとかナイアガラとか、エアーズロックとかは必要ない。家の近所に来る鶯とヒヨ、オナガが見れて、サワガニのいるような小川と清水で濡れた岩があればよい。田んぼに行けば鷺や鴨がいて、カエルがいて、用水路の中に魚が泳いでいればけっこう満足する。
私の絵の師の友人の田村のゲンさんは、自分の庭にスケッチの旅先で拾ってきた小石を花壇のわきに置いていた。
驚くべきことに、庭のあちこちにたくさんある2~3cmの石をどこで拾ってきたか覚えていた(笑)。
それは古代エジプトやインドで宝石を重要視したのや、縄文人が翡翠を美しいと思って勾玉にしたのとおなじこころだろう。
昔の人はやがて、そういう石のある海岸や渓流の巨石を見ると『神秘的な感動を得て』、それと同じように見える手のひらサイズの石を見ると『盆石』にした。
お寺などの石庭は盆石から進化したものと考えられている。
出発点は自然の中を徘徊して、美しいものを見つけること。その石が高いか安いかではない。普通の石でも美しいものは美しい。
技術が進んでくると、ガラスで人の顔が見えるガラス玉を作ったりして、そういうものを知らない純朴な人を相手に物々交換の支払いにそれを使うようになった。さて、物々交換のためにつくられたガラス玉が、自然の翡翠や瑪瑙、ラピスラズリより美しいのだろうか?美しさはあるかもしれない。しかし遥かな人間の及びもつかない時間を閉じ込めた石の神秘感はない。
現代の多くのものがその『人面ガラス玉』なのではないのか?
『馬より速いんですよ』と時速500km近く出る自動車を石油と交換に輸出したり。
私のまわりの仲間連中の間では『石をやりはじめたひとがけっこういる』(笑)。
自転車で川べりや湧水地へ行って、流れのなかに魚が居るのを見て安心し、巨木を眺めてなごみ。野生のリスやムササビやウサギが見れないのでねこを見て替わりとする(笑)。
美味い食事のある場所を探して『狩猟生活』。居心地のよい巨岩の上か洞窟のような喫茶店へ行き、甘露なる珈琲を喫する。
『あそこの葡萄は発酵していてちょっと面白い味がする』その原始の本能は酒でしょう。
植物の香りを感じ、自転車に乗ってこれをやっているのは、じつに野生の本能が休まります。
料金所の前に渋滞があり、パーキングはセメントか金属レールの2階建てというのは、基本、現代便利生活であって、野生の本能を満たすのとは相いれない。
人生ジャングルで真の気晴らしをやるなら自転車だと思う。