パソコンのなかの古いファイルを見ていたら、ごくごく初期、イタリアで作らせた私のフレームの写真があった。結局、そのビルダーのフレームを私が気に入らず、みずから日本でやり始めるはめになった。
実際、そのイタリアのフレームは「生ぬるい、走らないフレーム」だった。強度試験をやってみたらそれもダメ。
そのイタリアのビルダー、勝手にフレームチューブの指定径を変えて、モダンにしようとしている。
『それがことごとくエンジニアリング的に間違っていた』。
その時の流行りは良く知っていて、ダウンチューブを太くしたり、ストレートフォークにしたり、勝手にいじっているのですが、理論的に考えて誤ったことをやっている。
それをまた色をイタリアで塗って、日本で業者が『当時の最新の傾向を入れて組んだ』のですが、私は見て「何をやっているんだ。ヒドイ出来だ」とこきおろした。
私は絵とかこういうものは、すべてその造り手が出る、と思っている。これはごまかしようがない。
右端のサンプルを見せて、どうして左端のものがあがってきたのか理解に苦しむ。ひとに任せられない理由です。設計やフレームからはじまって、組み立てでの部品の選択から、組み付けの際のハンドルの傾き、ワイヤーの長さまで、その人の個性が出る。そして、そういう細部の積み重ねで自転車が違ったものに見える。
自動車にはそういうことがない。その意味でも自転車は難しいのです。