若いころ、私のヨーロッパの友人たちはみんなお金がなかった。
みんなさまざまに工夫をしていたわけですが、それは奇妙な、一概には貧しいとは決めつけられない生き方をしていたと思う。
たとえば、音楽家連中は金がなくても自分の分身たる楽器は一流。演奏技術も一流への上り坂途中。音楽の師匠が高齢で自由が利かなくなっていたりする場合、洗濯や買い物を替わりにやったりしていた。
古本屋で一冊20~30円ぐらいの誰も買わないような本の中に、ちょっと見どころのある絵が何枚か入っていると、それを買って、糊で紙に貼り、絵葉書にして出した。一枚150円200円のカードの替わりにする。
それをすれば珈琲代になりますから。しかも手製のカードでこころがこもっている。いまのメールやライン世代には想像もつかないだろうと思う。
ジョルジュ・ブラックの『カイエ』(手帳)の中に、のどが渇いているのに、水よりも珈琲を欲しがる芸術家というのは世の中では変わった存在だ、という一言があった。
どうして、そんなにしてカフェへ?人に会うため、そこで会話をするため、芸術に関する議論をするため。
『生まれてきた存在理由をかけての、珈琲一杯を前にしての議論のほうが、のどの渇きより切実』。
ピカソもブラックも、ドランもモディリアニも、サルトルもカミュも、エリュアールもポンジュも、ダリもブルトンも、グレコもバルバラも、みんなそういう人たちだったと私は考える。
喫茶店文化の衰退は「そういう風にカフェをとらえる人たちがいなくなったから」であろう。
晩年のジャコメッティが矢内原伊作氏に、「いまやみんな名のある大家になって、こうしてカフェに来ている者は私一人になってしまった」。
それでも80年代ギリギリまでは、まだそういう空気の余韻が残っていた。
眼の前の一杯の珈琲が、限りない精神の自由の証だった時代。店主の蘊蓄やのうがきなどどうでもいい。
さて、話の後段です。
仲間たちはみんな貧しかったので、ロンドンでも治安のよくないブリクストンなどに住んでいるのもいた。そう言うところへ行くと、電話機とか公衆トイレが日頃のストレスをぶつっけられていて、受話器は引きちぎられ、トイレの便座は壊され、磁器の部分は割られ、ひどいものでした。やがて、便器はステンレス製にされ、便座は便器の上に眉毛のようにABS樹脂が貼られるようになった。壊しようがない。
それは収容所のような殺伐とした眺めでした。「破壊的行為の果てにあるのは、そういう世界」だ。
ニュースを見るとこのところ、そうした破壊的行動のニュースが多い。それは、今後、世の中がもっと監視社会になり、もっと不自由になる原因であろう。『社会をステンレスの便器にしている人たち』がいることだと私は考えている。
うちにはもう出歩くことも自由にならない高齢者がいるわけですが、一日のはじまりに、自分の前に気に入った食器でお茶とお菓子が出てくるのが楽しみになっている。
晩年になって、歩いてきた道のりが長いわけですから、昔のように、『自分の存在意味を議論する必要ももうない』。ただ眼の前のささやかな贅沢に言い知れぬ満足を見出し、淡々と平和に生きる。
社会がやるべきことは、そういう晩年を送ることができる世界を作ることで、ただ単に数値上の儲けや豊かさが増やすことではないと思う。
金があっても不幸な晩年の人をずいぶん見たし、赤貧の中でも良い晩年の人もずいぶん見た。難しいものである。