このあいだ、クルマの車窓から、或る店の店頭で箱を運んでいる同級生を見た。こちらも急いでいたし、格別親しいわけでもなく、いまさら旧交をあたためようという具合でもないのでスルーしました。
ずいぶん変わっていた。彼は小学生時代、クラスの人気者だったのですが、いまや髪の薄くなって腹の出た普通の後期中年~前期高齢者に見えた。昔の栄華はしのぶべくもない。
いまやふつーのオジサン。
こんなことを書き始めたのは、昨日、たまたま「物に格調・風格負けする」話が出たからでした。
先々週、お会いした方と英国車談義をしたとき、「乗り手とクルマの釣りあい」の話になった。
いまもあるかどうかわかりませんが、ロンドンのキングス・クロスの近くに、古い名車専門のディーラーがあった。そこで似あうコートを着てみるように、ためしてみたことがあります。
ハンフリー・ボガードの乗っていたのと同型のジャギュアのXKのメタルトップであるとか、RRのシルヴァー・クラウドだとか、R typeのベントレーとか、綺羅星のごときクルマたちがあった。
我が身を振り返り(笑)、どうもRRとかベントレーなどの巨大車は身にあまる感じがあった。あれでさまになるには門から屋敷まで広大な敷地を横切り、乗らない時はスティブル(馬小屋)に入れておくぐらいの資力と、英国人の185cmの肉体が必要な気がした。
アレックスは180cm超級でしたが、日本へ来ていた時、友人から借りたマジェスタに乗せたら「狭い!ワシはエコノミー症候群が怖いから、これはnot acceptableじゃ」とか勝手なことを言っていた。
「これより大きいと日本ではセンチュリーしかない。そんなクルマはレンタカーではないよ。」
ずいぶん困った。「だって、貴男のやったクルマはもっと小さいじゃない」とほとんど喉まででかかりましたが、さいわい、友人がディムラ―を手配してくれた。
アレックスは密かにベントレーを持っていました。メディアに露出するときは小さいのの前に立っていたりする。RRやベントレーのサイズは、英国人の180cm~2mクラスの人の基準になっている気がする。トップギアのクラークソンなども185cmぐらいのはず。
さて、自分はボガードのジャギュアに乗れるほどrakishではない。185cmの押し出しも恰幅もない。自分との釣り合いを考えた時、P5Bとかラゴンダぐらいかなと思った。アルヴイスは英国に住めばわかる。東洋人が乗れる感じではない。むこうで乗っている人たちはことごとくポアロのヘィスティング大佐風とか、炎のランナーのロード・リンジー役のヘイヴァースみたいな人ばかりがオーナー。
これを裏返して見ると、マリリン・モンローが振袖着たような感じ。大島着たジェレミー・クラークソンとか。そういうのの真逆。
ヨーロッパの人は肩幅がなくても前後に胸板が厚い男性が多い。そして手足が長い。そういう人が英国の3つボタンのツィード・ジャケットを着るとさまになりますが、肩幅があって胴長、手足が短めの昭和体型に3つボタンのジャケットは似あわない。
『汝自身を知れ』デルフォイの神託(笑)。
身体的な制約を考えに入れつつ、自分の風格を育てるように頑張る。背伸びはしない。
江戸時代には、白髪が出ると「風格が出てきた」と喜んだそうですが、今は逆。江戸時代の刀のこしらえなど見ると、『若い者は風格負けするような重厚なもの』がある。『軽い感じの騎士』では無理。
こういうことはすべての物に言えると思う。自分などは金無垢の懐中時計などを持つ器ではない。煎茶碗なども金襴手などが似あうはずもない。
自転車は残念ながら、そういう歳をとったひとのための重厚な貫禄の物が市場にほとんどない。
自動車はある歳になったら運転は他人にまかせればよいと私は考えている。数日前電話で、
「歳をとったら、P4のバックシートに楽なジャケット着て、魔法瓶からお茶を飲んで、運転は若いのにまかせればいいんじゃないか。P4だとクロスプライのタイヤで直進に気を使うとかも、後席に座ってる限りは関係ないよ。バックシートの居心地がよければ、運転している奴の苦労なんかどうでもいいんじゃないか(笑)。」
自転車はそうはいかない。これは徘徊の道具であり、健康用具なので。
ここ30年ぐらい、「風格が出る文化」の真逆を日本はやってきたのではないか。気が付いてみれば、テレビは『学園祭』の延長で『クラスの人気者』と似た感じの人たちばかりになっている。秋葉四十八手なども『新陳代謝して常に若く』という路線。「卒業してからクラスの人気者はどこへゆくのか?」。