昨日、ある自転車界でよく知られた方から電話があって、パターソンの展覧会を見てきたと言ってきました。
「オリジナルの原画じゃないんだね。」
と言うために電話をかけてきたらしい。別にオリジナルの原画を英国から20点、30点集めることは、私の実力で不可能ではないけれど、
「誰が金を出すの?」
ということです。英国国内では『セキュリコー』という特別な美術品運搬会社がある。それを使って保険をかけて、30点集めると、ハットンクロスの集荷場までで90万円。そこから美術品用の梱包でエアで飛ばして30万円ぐらい。そこから通関業者に金を払い、それも『カルネ通関』という特殊なやり方をしないと、再度国外へ出すときに問題が起こる。
そこから車で引き取りに行って、ここまでで英国内の往復で、ざっと250万円。会期が1か月半で、30点だとしたら、それの借り出しに対する謝礼もある。さらに1か月半、それを盗まれないようにする警備の費用、それらを計算していったら、いくらになるのか?私が現地まで出向く必要もあるでしょう。その旅費やスペースの費用も考えたら、まあ、とうてい1千万円では足りない。
今回は入場無料ですから。
現実の話、パターソンの絵のかなりのものが、WW2の時テンプル・プレスが空爆で焼け落ちたので焼失している。彼の画業をたどるうえで重要な作品で、原画がないものはたくさんある。
パターソンの絵は、印刷によって複製として人の目に触れることを考えて描かれている以上、原画であるかないかは、ほんとうのところ大きい問題ではない。彼の水彩画だけは全く別の人たちに向けて描かれています。
その電話をかけてきた人は、彼の行き付けの歯科医院では原画が2枚かけてあると言っていましたが、それなら、彼自身が声をかけて原画展をやったらよかった。不動産もちの人だから場所代はかからないでしょう。
お金を出すなら、英国で、30号ぐらいの、6枚組の緻密な水彩画をセットで持っている人も知っている。その持ち主はなぜか、パターソンの複製出版で知られる故ジム・ウィリスをたいそう嫌っており、「こういうものをパターソンが描き、このような大作が存在すること、自分が持っていることを決してジムには言うな」と固く口止めされた。ジムにも私は3度ほど会ったことがありますが、パシュレーの社長エイドリアンと同じく、彼もロールス・ロイスの社員でした。
常に貧困の底にあって、空白の部分の面積を絵画原稿料から差っ引かれ、『描き直し』を頼まれるとハサミで切って送り返して終了としたパターソン。そういう人の絵が金儲けの種になるのは良い気持ちがしない。
過去45年間以上、いや70年間、日本でフランク・パターソンの生涯がわかるような展示が行われたことはただの一度もありません。
故太宰さんもサイクロへ行った時、パターソンの銅板を社長からもらって持ち帰っているはず。あれもどこへ行ったのか?
私はそういうところが問題だと考える。私は故今井さんに、27年ほど前に菅沼達太郎のサイクリングのスケッチブックを見せてもらいましたが、その後の行方を知らない。そういうものも、パターソンとの関係において展示したらよい。
フランク・パターソンはバーミンガム・サイクロ社のカタログの絵を描いていましたが、そのオリジナルは私は持っている。菅沼達太郎はその関係から、サイクロの3段変速を自分の富士フェザー号につけていました。
今井さんはその変速器を形見として引き受けたのですが、なぜかそれが「残念ながらフランスのシクロではない」という但し書き付きで売られ、現在はかつてT村さんのところで選手だった人の手にわたっている。買った人は、
「モノを見てすぐピンと来たんで、入手した後、自宅で写真で確認したんですが、キズの位置まで、すべて菅沼さんのものと同一でした。かつての菅沼さんの車両についていたものに間違いありません。」
ということ。かくして、あわや、単なるモノとして、日本の自転車の歴史が消えるところだった。
今回、松ちゃんの声かけで展覧会の運びとなったわけですが、私は彼が4万円ほどポケットマネーから持ち出しなのを知っている。私自身もそのくらい持ち出しです。額縁も多くは我々が供出している。
彼は今年の正月に家族が火事で被災しているのでたいへんなはずなのです。
私はそういう無私な行動を高く評価する。現代日本に多い弾の飛んでこないところでの評論家の言うことは、私にとってはどうでもいいことです。
「オリジナルの原画じゃないんだね。」
と言うために電話をかけてきたらしい。別にオリジナルの原画を英国から20点、30点集めることは、私の実力で不可能ではないけれど、
「誰が金を出すの?」
ということです。英国国内では『セキュリコー』という特別な美術品運搬会社がある。それを使って保険をかけて、30点集めると、ハットンクロスの集荷場までで90万円。そこから美術品用の梱包でエアで飛ばして30万円ぐらい。そこから通関業者に金を払い、それも『カルネ通関』という特殊なやり方をしないと、再度国外へ出すときに問題が起こる。
そこから車で引き取りに行って、ここまでで英国内の往復で、ざっと250万円。会期が1か月半で、30点だとしたら、それの借り出しに対する謝礼もある。さらに1か月半、それを盗まれないようにする警備の費用、それらを計算していったら、いくらになるのか?私が現地まで出向く必要もあるでしょう。その旅費やスペースの費用も考えたら、まあ、とうてい1千万円では足りない。
今回は入場無料ですから。
現実の話、パターソンの絵のかなりのものが、WW2の時テンプル・プレスが空爆で焼け落ちたので焼失している。彼の画業をたどるうえで重要な作品で、原画がないものはたくさんある。
パターソンの絵は、印刷によって複製として人の目に触れることを考えて描かれている以上、原画であるかないかは、ほんとうのところ大きい問題ではない。彼の水彩画だけは全く別の人たちに向けて描かれています。
その電話をかけてきた人は、彼の行き付けの歯科医院では原画が2枚かけてあると言っていましたが、それなら、彼自身が声をかけて原画展をやったらよかった。不動産もちの人だから場所代はかからないでしょう。
お金を出すなら、英国で、30号ぐらいの、6枚組の緻密な水彩画をセットで持っている人も知っている。その持ち主はなぜか、パターソンの複製出版で知られる故ジム・ウィリスをたいそう嫌っており、「こういうものをパターソンが描き、このような大作が存在すること、自分が持っていることを決してジムには言うな」と固く口止めされた。ジムにも私は3度ほど会ったことがありますが、パシュレーの社長エイドリアンと同じく、彼もロールス・ロイスの社員でした。
常に貧困の底にあって、空白の部分の面積を絵画原稿料から差っ引かれ、『描き直し』を頼まれるとハサミで切って送り返して終了としたパターソン。そういう人の絵が金儲けの種になるのは良い気持ちがしない。
過去45年間以上、いや70年間、日本でフランク・パターソンの生涯がわかるような展示が行われたことはただの一度もありません。
故太宰さんもサイクロへ行った時、パターソンの銅板を社長からもらって持ち帰っているはず。あれもどこへ行ったのか?
私はそういうところが問題だと考える。私は故今井さんに、27年ほど前に菅沼達太郎のサイクリングのスケッチブックを見せてもらいましたが、その後の行方を知らない。そういうものも、パターソンとの関係において展示したらよい。
フランク・パターソンはバーミンガム・サイクロ社のカタログの絵を描いていましたが、そのオリジナルは私は持っている。菅沼達太郎はその関係から、サイクロの3段変速を自分の富士フェザー号につけていました。
今井さんはその変速器を形見として引き受けたのですが、なぜかそれが「残念ながらフランスのシクロではない」という但し書き付きで売られ、現在はかつてT村さんのところで選手だった人の手にわたっている。買った人は、
「モノを見てすぐピンと来たんで、入手した後、自宅で写真で確認したんですが、キズの位置まで、すべて菅沼さんのものと同一でした。かつての菅沼さんの車両についていたものに間違いありません。」
ということ。かくして、あわや、単なるモノとして、日本の自転車の歴史が消えるところだった。
今回、松ちゃんの声かけで展覧会の運びとなったわけですが、私は彼が4万円ほどポケットマネーから持ち出しなのを知っている。私自身もそのくらい持ち出しです。額縁も多くは我々が供出している。
彼は今年の正月に家族が火事で被災しているのでたいへんなはずなのです。
私はそういう無私な行動を高く評価する。現代日本に多い弾の飛んでこないところでの評論家の言うことは、私にとってはどうでもいいことです。