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Channel: 英国式自転車生活
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フランク・パターソンの思想1

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私は昔からパターソンの絵の中には、一つの強靭な生き方が見えると感じていました。実際の彼の人生を追いかけてみると、やさしい人生でなかったことがわかります。

イラストでは食えない。彼がペア―トリー・ファームに引っ越したのも、家賃がものすごく安かったからでした。しかも、僻地なので訪ねてくる客にも不便で仕事に集中できる。こどもたちは昼間は『表で遊んでいなさい』と追い払われた。

『こんな気持ちの良い雨が降っているのに、なんで家の中で遊んでいるんだ?』という18~19世紀の伝統的な価値観の人だったという気がする。

彼がエンジン付きの乗り物を憎悪していたのは有名な話ですが、彼はチャールズ・ロールス(ロールス・ロイスの2つ目のR)などより先に『パナール・システム』(現代の自動車の元となったエンジンと操舵装置のレイアウト)の自動車に乗っています。

彼は家具のカタログやインテリアのイラストも手がけましたから、英国の伝統的な村の風景、自然、道路の風情、建物、などをたいそう愛していた。それらが自動車の流行によって破壊されるのが我慢ならなかった。

彼がいかに自動車を憎悪していたかは、彼の友人が自動車で訪ねてきた時のために、警察官のぬいぐるみをわざわざつくり、駐車中にそれをいれ、クルマのなかに警察官のDead bodyがあるようないたずらをやった。

あの時代はめまぐるしく流行が変わった時で、自転車が大衆化するにつれ、金持ちはモーターサイクルや自動車へ趣味を移行させた。パターソンはその『自転車が単なる流行』ととらえられることに腹を立てた。『大衆がやろうが、金持ちがやろうが、自転車趣味はよいものだ』というところだった。

現実、パターソン自身、自転車世界に踏みとどまったためにかなりの貧困を余儀なくされたのです。雑誌社は絵画原稿の代金をしぶり、彼の絵に余白の白い部分が多いことに目を付け、その部分の面積を計算して原稿料から差っ引くことまでやった。

それでも彼はきわめて豊かな精神生活を送っていました。現金収入が少なければ、自分で家庭菜園を作り、ビールまで自分で作った。しかも、彼が安く借りた家はエリザベス1世の時代の狩りのためのロッジだったのです。日本でいえば信長が鷹狩で休んだあずまやが朽ちるに任せて放っておかれていたのを直して住み始めたに等しい。

彼の絵画世界は、まさに現代人の『不幸を作りだす技術文明から逃走して、田園生活で人間らしさを取り戻す』ようなこころみだったのでした。その意味、彼は『過去の人』ではなく、我々の『未来の人』だったのです。

*左端の絵はなかなか興味深い。当時自動車乗りは「白馬の騎士」のイメージで真っ白い服で乗るのがお約束でした。モーターサイクリストは油汚れが目立たないように真っ黒の革。そのため、ブルックランズのサーキットのクラブ室への入室を禁止されていた。一方、自転車乗りはもっぱら『地球色』のツイードやコットンだったのです。

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