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Channel: 英国式自転車生活
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誰かがいて、自然があって

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長年自転車やモーターサイクルの世界を見ていて思うことは、この世界、きわめて孤独な人が多いという印象です。

昨日、うちへ来た仲間が面白いことを言った。
「中学生や高校生じゃないから、そういう趣味の人と毎日会うわけにもいかないし、、」
これはなかなか核心部分に迫っている一言だと思う。学生時代の友人と言うのは一分野だけのつきあいではない。

実際のところ、年中、部品の話とかばかりだと、「脳みそにサランラップかけられたような鬱陶しさ」を感じる。かくして、現在の私の自転車仲間というのは、ある程度以上の自転車の見識を持った人で、会ったときはさして自転車の話などはしない人が多い。

ごく普通の社交の会話。それでないと、もたないというか、どんどん一般社会と乖離してゆく気がする。

靴や服の話、展覧会の話、文学の話、旅行の話、釣りの話、神社仏閣の地元の歴史の話、さまざま。

細道に入った話だと、まず女性は会話に入ってこれない。

このあたりを考えると、「趣味がいびつにならないように、女性のちからが必要だ」というのを強く感じます。

実際の話、日々会っている人の男女比が男8割を超えると、私などは情緒不安定になる(笑)。

創世記に「人が一人でいるのはよくない」という一節があって、この人というのはアダムなのですが、それでイヴが創られた。これは深い話だと思う。

おととい、テレビで、スイスでは動物を一匹だけで飼ってはいけないという法律があるというのを見た。なんでも動物も一匹だけだとこころを病むのだそうです。

そういわれてみれば、、、と思い出したのは、昔ハムスターを飼っていた時のこと、じゃんじゃんネズミ算式に増え、欲しいという人にあげたのですが、一匹だけだと気が荒くなるのがいた。人も同じではないかなと思ったりする。ハムスターもモルモットも何匹かうようよいると性格温順で安定している。

趣味が絵画だったりすると、いつもどこかで何かしら展覧会はあるし、自分で描いていると、一人の時間もある。音楽も練習の時はだいたい誰かといるし、生徒と先生のつきあいもある。そういう関係の中ではやはり、会話は専門分野の話だけではない。

それを2輪の趣味と対応させると、きわめて守備範囲が狭い気がする。

私の知る自転車の大御所でも、奥さんを決して自転車関係者に見せない人はけっこういる(爆)。わからないでもありませんが(笑)。25年ぐらい知り合いで、一度も奥さんを見たことがないのはまわりに数人いる。

これは何か、「立ちいってはいけない男の花園的なあやうい空気」があるのだろうと思う。

街道を歩いていて、夫婦が茶店に入ろうとしたら、中の客が全員荒くれた感じで、一斉に振り返り、また戸を閉めて、歩き続ける、、、のようなイメージがある(笑)。

たぶん、女性は彼女いない歴が長い人とか、いわゆる絶食系は敏感にわかるのだろうと思う。そういうのが多数派を占めている集まりには言いようのない居心地の悪さを感じるのだろうと推察する。

自転車自体は、維持費もかからず、都市部での移動にも便利で、ここ5年ぐらいで女性一人だけで自転車趣味をやっている人はきわめて増えている。

残念ながら、その受け皿となる場所や、あるいは本に関しても、まだまだヨーロッパのレベルには遠い。

そのあたりのバランスの取れた社交の場と自然というのが2つの柱だろうと考える。

ヴェルサイユの中には農家が建てられている。ジョージ3世は畑仕事を好み、ファーマー・ジョージと言われていた。物質的な贅沢はやがてはあきる。栄華に退屈し、最後は自然の中へ帰る。

そういう中で、「人が一人でいるのはよくない」と2人いて、自然があれば、それは楽園でしょう。

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