さきほど今年最初のミンミンゼミが鳴いていました。私がこどものころは珍しかったのですが、いまやずいぶん都市部で逆に増えた。
たぶん、人間社会の中でも、同じような、タイプの違うひとたちへの入れ替わりが起きているのだろうと思う。
これは英国でもそうです。めまぐるしく変わる世の中についていけない人たちも多い。本来なら、おっとりとして、いい具合に英国的に育つような人が底辺に沈んでいるのをよく見る。
日本はどうなんでしょうねぇ。
今のセイフヨトーは「TPP絶対反対」と言って票をのばしました。今は逆のことをやっている。国立競技場に関しては「ラグビー狂」の元首相の森氏が建て直したいと強く推していた事実は、最近では何処かへすっとんでいる。
ネット上では、昨今、やたら「ミギだ」「ヒダリだ」とレッテル付けをする『単純思考回路』の人が多い。
私はこの状況はものすごく、1920~30年代のドイツに似ているなと思う。
あの時、那智巣が台頭した背景には3つのことがあった。ひとつにはソヴイエトの恐産主義への恐怖感。これは今の日本にある隣国の拡張主義に対する恐怖心が対応する。
もうひとつは、あの時代、ドイツには第一次世界大戦のあとで、ほぼ無条件降伏に近い条件を、コンピエ―ニュの森のなかの列車の中で、調印させられた屈辱感がわだかまっていた。ウイルヘルム2世はオランダへ亡命して、帝政ドイツは崩壊した。
これは彼らの中に、たいへんな「燃える憎悪」を残し、だからのちにフランスへ侵攻した時、ドイツはわざわざその同じ列車のなかで調印させ、第一次世界大戦の休戦協定の記念碑とかはすべて破壊し、その時のフランス側の中心人物だったフォッシュの像だけを残し、彼の像が廃墟を見ているようにわざわざやった。
恐るべきコンプレックスと憎悪です。
あれほどの人数の国民が、あれほど熱狂していたわけですから、「ちょっとたまたま変なリーダーがいただけ」ではすまない。ほんとうにそう思っていたのでしょう。
そのドイツがパリを占領したとき、パリの「レッドライト」のエリアの高級なところ(Baisyun宿)をドイツ人専用にした。そこへ日本のフランス在住のGUNJINたちが一緒に出入りして、誇りもGUN-PUKUも投げ捨てて裸踊りをやっていたのは記録に残っている。
さらに美術品を略奪し、果ては撤退の時は、パリの主要な歴史的建築を爆破する計画だった。
かつては、そういうことを踏まえ「パリは燃えているか?」とか、シャーロット・ランプリングが出ている「暴力と倒錯した衝動が作っている彼らの頽廃」を描いた映画があったりしたわけですが、最近はまず一切見ない。
そういうドイツ流「やられたコンプレックス」は隣国にもあるだろうし、この国にも、「敗戦を終戦と言い替えるほどのコンプレックス」で、権力構造を明治時代のところまで戻そうという動きで残っている。そういう人がいまの閣僚に十数人入っているのに驚かせられる。
1930年代に置き換えると、ヒダリは露西亜、ミギは那智巣か、と思う。ならば私は中庸で英国だなと思う。
ドイツはいま、彼らが第一次世界大戦の後、フランスにやられたのと同じようなことをギリシャにしている。もとはギリシャのなまけ癖ですが、そのあとのことはそれほど単純ではない。同じようにドイツはウクライナでもトラブルの元をつくっている。英国の名門自動車会社にのきなみ手を付ける。そして自分たちは脱原発をとなえつつ、英国にドイツは自分たちのゲンパツを作ろうとしていた。「行動パターン」を歴史から読み解くというのは面白い。
ビートルズはなぜ英国に出現したのか?ベートベンの国ドイツではなかったのか?
日本は明治維新からあと、しばらくしてから、過去2000年間のなかで40年ぐらいおかしい時代があったと私は考えている。それがいままた、「反対があっても破滅まっしぐら型」と「高度成長期からの拝金・利益第一主義」がくっついた危ういものになっているように見えてならない。
たぶん、人間社会の中でも、同じような、タイプの違うひとたちへの入れ替わりが起きているのだろうと思う。
これは英国でもそうです。めまぐるしく変わる世の中についていけない人たちも多い。本来なら、おっとりとして、いい具合に英国的に育つような人が底辺に沈んでいるのをよく見る。
日本はどうなんでしょうねぇ。
今のセイフヨトーは「TPP絶対反対」と言って票をのばしました。今は逆のことをやっている。国立競技場に関しては「ラグビー狂」の元首相の森氏が建て直したいと強く推していた事実は、最近では何処かへすっとんでいる。
ネット上では、昨今、やたら「ミギだ」「ヒダリだ」とレッテル付けをする『単純思考回路』の人が多い。
私はこの状況はものすごく、1920~30年代のドイツに似ているなと思う。
あの時、那智巣が台頭した背景には3つのことがあった。ひとつにはソヴイエトの恐産主義への恐怖感。これは今の日本にある隣国の拡張主義に対する恐怖心が対応する。
もうひとつは、あの時代、ドイツには第一次世界大戦のあとで、ほぼ無条件降伏に近い条件を、コンピエ―ニュの森のなかの列車の中で、調印させられた屈辱感がわだかまっていた。ウイルヘルム2世はオランダへ亡命して、帝政ドイツは崩壊した。
これは彼らの中に、たいへんな「燃える憎悪」を残し、だからのちにフランスへ侵攻した時、ドイツはわざわざその同じ列車のなかで調印させ、第一次世界大戦の休戦協定の記念碑とかはすべて破壊し、その時のフランス側の中心人物だったフォッシュの像だけを残し、彼の像が廃墟を見ているようにわざわざやった。
恐るべきコンプレックスと憎悪です。
あれほどの人数の国民が、あれほど熱狂していたわけですから、「ちょっとたまたま変なリーダーがいただけ」ではすまない。ほんとうにそう思っていたのでしょう。
そのドイツがパリを占領したとき、パリの「レッドライト」のエリアの高級なところ(Baisyun宿)をドイツ人専用にした。そこへ日本のフランス在住のGUNJINたちが一緒に出入りして、誇りもGUN-PUKUも投げ捨てて裸踊りをやっていたのは記録に残っている。
さらに美術品を略奪し、果ては撤退の時は、パリの主要な歴史的建築を爆破する計画だった。
かつては、そういうことを踏まえ「パリは燃えているか?」とか、シャーロット・ランプリングが出ている「暴力と倒錯した衝動が作っている彼らの頽廃」を描いた映画があったりしたわけですが、最近はまず一切見ない。
そういうドイツ流「やられたコンプレックス」は隣国にもあるだろうし、この国にも、「敗戦を終戦と言い替えるほどのコンプレックス」で、権力構造を明治時代のところまで戻そうという動きで残っている。そういう人がいまの閣僚に十数人入っているのに驚かせられる。
1930年代に置き換えると、ヒダリは露西亜、ミギは那智巣か、と思う。ならば私は中庸で英国だなと思う。
ドイツはいま、彼らが第一次世界大戦の後、フランスにやられたのと同じようなことをギリシャにしている。もとはギリシャのなまけ癖ですが、そのあとのことはそれほど単純ではない。同じようにドイツはウクライナでもトラブルの元をつくっている。英国の名門自動車会社にのきなみ手を付ける。そして自分たちは脱原発をとなえつつ、英国にドイツは自分たちのゲンパツを作ろうとしていた。「行動パターン」を歴史から読み解くというのは面白い。
ビートルズはなぜ英国に出現したのか?ベートベンの国ドイツではなかったのか?
日本は明治維新からあと、しばらくしてから、過去2000年間のなかで40年ぐらいおかしい時代があったと私は考えている。それがいままた、「反対があっても破滅まっしぐら型」と「高度成長期からの拝金・利益第一主義」がくっついた危ういものになっているように見えてならない。