土曜日の夜、帰って来る電車の窓にスティッカーが貼られていました。『勝ち負けで判断する思考法』とか書いてあった。『本当の人脈は仕事でしか得られない』とも。
私はいままでの人生でそうだったかな?と駅で降りるまで考えていました。
バブルの頃から日本では勝ち組、負け組という言葉が流行った。昔から日本では『勝ち馬に乗る』というのはそれほど良い意味ではありませんでした。
むしろ、あらゆる分野で、良きものは負けた人たちによって作られてきたのではないか?
いや、「負けを覚悟」で捨身でやらないと良いものは生まれえないのではないか?デューゼンバーグもスタッツもフォードに負けた。ベントレーはロールス・ロイスに負けた。そのロールス・ロイスもベントレーも独逸車に負けた。フェラーリすらフォードGT40に負けた。ジャギュアもアメリカ車に負けた。MGは日本車に負けた。シトローエンはプジョーに負けた。
敗者たちの何と美しかったことか。
ツアイスやライカは日本のカメラに負けた。ユーレーやTA、マイヨールは日本製に負けた。日本でもサンツアーや三光舎も負けている。
グレンフェルやバーバリも日本製に負けた。テレフンケンもウエスタン・エレクトリックも日本製に負けた。
その日本製の弱電物も隣国製に負けている。
それでは勝った方が世界で一番いいのか?そういうことはない。
アメリカ製自動車に乗り、日本で売られている服を着て、隣国製の家電や自転車、オーストラリアの牛肉を食べ、東南アジア製の家具を置き、隣国製の野菜や米、果物の缶詰を食べ、ホン港で印刷されたチラシを読んで、隣国のドラマを見るのが最高の満足が得られ、幸せなのか?
これはきわめて逆説的な話なのではないか?と思う。
生涯に1枚しか絵が売れなかった敗残者ゴッホの絵を処分し、成功者ウオーホールの絵をかけますか。破産して無一文になった敗残者、レンブラントやフェルメールの絵をどこかへやって、成功者ピーテル・デ・ホーホの絵にしますか?(フェルメールの絵の署名は没後、ホーホと書きなおされているのがあった)
どこにMAISOUされたかもわからない貧乏人アマデウス・モーツアルトを聴くのをやめ、サリエリの音楽専門にしますか?あるいはワーグナーを聴くのをやめて、マイヤーベアひとすじとか。
『勝ち組になろうとばかりしているとつまらないものしか出来ない』のではないかな(爆)?それは歴史が証明しているように思える。
ナポレオンが敗北したあとのリーダーは?、チャーチルが負けた後の英国のリーダーは誰でした?
さて、人脈に関しては、私はもっとはっきりしていると思う。仕事の関係というのは、多くの場合、利害関係で、たいへん困難なハードルを共同で超えようとするとき、損得関係無視でないと良い仕事は出来ない。相手が会社組織の歯車の一つであったなら、それはますます不可能です。
私は自転車のショーの企画立案の中枢の人たちを存じあげていましたが、いまやほぼすべて入れ替わり、全員知らない人たち。やめるときの挨拶の後は、何をやっているのか存じ上げない。BICYCLE関係の雑誌の編集長は8人以上知っていますが、ほぼ全員、今は何をやっているのか知りません。誰に訊いても知らない。スポーツ新聞の記者になった人とか、コンピューターの方へ行った人、粗大ゴミの家電を拾って修理しているという話の伝わってきた人もいる。その最終ニュースの後の話は聞かない。
昔、ある有名な映画の大道具係の人が、英国の家具を持ってきて、貸し出しの仕事をしたいから手伝ってほしいと言われたことがあります。それも立ち消えたのですが、その人に撮影現場へ連れて行かれた時、かつての相手先に「すいません。どちらさまですか?」と言われていた(笑)。会社の肩書が消滅すると同時に人脈消滅は普通に起こる。
私は『本当に使える人脈は損得なしで、全力で手伝ってくれる人がどのくらいいるか』で、それはむしろ、その人の『主義』への共鳴度ではないのか?と思う。
まわりを見渡すと、一国者はみんなしぶとい。昨日はかつての同業者、それも私がかつていたところのライバルのところの人が表敬訪問にきました。彼は組織の中にいても「自分の主義があった」。またそれを曲げなかった。それゆえ、彼には読者も、人脈もしっかりついている。
ヨーロッパでは『世俗的勝利を捨て、朽ち果てぬ勝利を得る』とも、『最初は負けて、最後は勝つ』とも言いますが、そういう基準に立たないと、巨大なオークの樹は育たず、毎年入れ替わるキノコしか育たないのではないか?好きなことに信念を通してやってする低空飛行は貴高い。
若い人たちに、もっと一国者、プリンシプルを通す一徹者が増えたほうが、日本がよくなると思う。
そういう生き方では全方位外交は出来ないので、漱石も言っているように、筋を通せば角も立ち、敵も出来る。悪役になったり(笑)。
今年の漢字というのは『税』だったらしいですが、今年の年末の一言は、私はジャギュアのCMの一言。
「Oh, yes... It is good to be bad.」(爆)
私はいままでの人生でそうだったかな?と駅で降りるまで考えていました。
バブルの頃から日本では勝ち組、負け組という言葉が流行った。昔から日本では『勝ち馬に乗る』というのはそれほど良い意味ではありませんでした。
むしろ、あらゆる分野で、良きものは負けた人たちによって作られてきたのではないか?
いや、「負けを覚悟」で捨身でやらないと良いものは生まれえないのではないか?デューゼンバーグもスタッツもフォードに負けた。ベントレーはロールス・ロイスに負けた。そのロールス・ロイスもベントレーも独逸車に負けた。フェラーリすらフォードGT40に負けた。ジャギュアもアメリカ車に負けた。MGは日本車に負けた。シトローエンはプジョーに負けた。
敗者たちの何と美しかったことか。
ツアイスやライカは日本のカメラに負けた。ユーレーやTA、マイヨールは日本製に負けた。日本でもサンツアーや三光舎も負けている。
グレンフェルやバーバリも日本製に負けた。テレフンケンもウエスタン・エレクトリックも日本製に負けた。
その日本製の弱電物も隣国製に負けている。
それでは勝った方が世界で一番いいのか?そういうことはない。
アメリカ製自動車に乗り、日本で売られている服を着て、隣国製の家電や自転車、オーストラリアの牛肉を食べ、東南アジア製の家具を置き、隣国製の野菜や米、果物の缶詰を食べ、ホン港で印刷されたチラシを読んで、隣国のドラマを見るのが最高の満足が得られ、幸せなのか?
これはきわめて逆説的な話なのではないか?と思う。
生涯に1枚しか絵が売れなかった敗残者ゴッホの絵を処分し、成功者ウオーホールの絵をかけますか。破産して無一文になった敗残者、レンブラントやフェルメールの絵をどこかへやって、成功者ピーテル・デ・ホーホの絵にしますか?(フェルメールの絵の署名は没後、ホーホと書きなおされているのがあった)
どこにMAISOUされたかもわからない貧乏人アマデウス・モーツアルトを聴くのをやめ、サリエリの音楽専門にしますか?あるいはワーグナーを聴くのをやめて、マイヤーベアひとすじとか。
『勝ち組になろうとばかりしているとつまらないものしか出来ない』のではないかな(爆)?それは歴史が証明しているように思える。
ナポレオンが敗北したあとのリーダーは?、チャーチルが負けた後の英国のリーダーは誰でした?
さて、人脈に関しては、私はもっとはっきりしていると思う。仕事の関係というのは、多くの場合、利害関係で、たいへん困難なハードルを共同で超えようとするとき、損得関係無視でないと良い仕事は出来ない。相手が会社組織の歯車の一つであったなら、それはますます不可能です。
私は自転車のショーの企画立案の中枢の人たちを存じあげていましたが、いまやほぼすべて入れ替わり、全員知らない人たち。やめるときの挨拶の後は、何をやっているのか存じ上げない。BICYCLE関係の雑誌の編集長は8人以上知っていますが、ほぼ全員、今は何をやっているのか知りません。誰に訊いても知らない。スポーツ新聞の記者になった人とか、コンピューターの方へ行った人、粗大ゴミの家電を拾って修理しているという話の伝わってきた人もいる。その最終ニュースの後の話は聞かない。
昔、ある有名な映画の大道具係の人が、英国の家具を持ってきて、貸し出しの仕事をしたいから手伝ってほしいと言われたことがあります。それも立ち消えたのですが、その人に撮影現場へ連れて行かれた時、かつての相手先に「すいません。どちらさまですか?」と言われていた(笑)。会社の肩書が消滅すると同時に人脈消滅は普通に起こる。
私は『本当に使える人脈は損得なしで、全力で手伝ってくれる人がどのくらいいるか』で、それはむしろ、その人の『主義』への共鳴度ではないのか?と思う。
まわりを見渡すと、一国者はみんなしぶとい。昨日はかつての同業者、それも私がかつていたところのライバルのところの人が表敬訪問にきました。彼は組織の中にいても「自分の主義があった」。またそれを曲げなかった。それゆえ、彼には読者も、人脈もしっかりついている。
ヨーロッパでは『世俗的勝利を捨て、朽ち果てぬ勝利を得る』とも、『最初は負けて、最後は勝つ』とも言いますが、そういう基準に立たないと、巨大なオークの樹は育たず、毎年入れ替わるキノコしか育たないのではないか?好きなことに信念を通してやってする低空飛行は貴高い。
若い人たちに、もっと一国者、プリンシプルを通す一徹者が増えたほうが、日本がよくなると思う。
そういう生き方では全方位外交は出来ないので、漱石も言っているように、筋を通せば角も立ち、敵も出来る。悪役になったり(笑)。
今年の漢字というのは『税』だったらしいですが、今年の年末の一言は、私はジャギュアのCMの一言。
「Oh, yes... It is good to be bad.」(爆)