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サーストン・ダート

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昨晩は2方向からコンサートのお声がかかりまして大いに困った。かたや35年のつきあいの旧友で、バッハゆかりの聖トーマス教会のお墨付き。もう片方はコルノ・ダ・カっチャという珍しい楽器とオルガンによるブランデンブルグ協奏曲の2番。結局後者への興味が勝った。

ブランデンブルグの2番をピッコロトランペットで吹くというのはたいへん難易度の高いことで、多くの奏者が『表現』をするだけの余裕がない、とはよく奏者が口をそろえて言う。

バッハはブランデンブルグを書くのになかなか興が乗らなかったのか、あるいは彼のるつぼのなかで完全に溶かされるまで温度があがらなかったのか、2年半以上もほうっておいた。そのあとで大急ぎでまとめたらしく、あの緻密なバッハに、めずらしく書き間違いがあったりする。

その2番を英国の音楽学者サーストン・ダートが検証し、信ずるべきいくつかの理由から、ホルンでやってみたら?とためしてみた録音があります。

昨日の方は、やはり同じようなことを感じてコルノ・ダ・カッチャを使用したと、演奏会の後でのお話しでした。

日本ではなじみの薄いサーストン・ダートですが、彼がいなかったらホグウッドもディヴイッド・マンローもジョージ・マルコムもマリナーも、ずいぶん変わっていたのは確実でしょう。

とくに、古楽というと、とかく学術的な「『ひもの』のような音楽」も少なくないなかで、サーストン・ダートがからむと、たいへん「生きの良い音楽」になっていた感じがする。

彼が最後にブランデンブルグをマリナーやマンロー、マルコムと録音した時、ダートは瀕死で、スタジオにかつぎこまれるように現れ、録音を終えると担架で病院へ運ばれ、そのままNAKUなった。そうした彼の音楽に対する姿勢は、周囲の他の演奏家に影響を与えなかったはずはない。

ダートに近かったホグウッドが今年9月にNAKUなられましたが、私は彼とはちょっと接点がありました。

バブルのころ、日本の或る音楽関係の会社の社長さんと専務に「ヘンデルの時代のハープシコードを探してきてほしい」と頼まれたことがありました。私は言われた通り、それをさがしまして、カークマンという職人の作ったものをみつけた。写真も見積書も手紙もすべてどこかうちの紙の山のなかにあるはず。

そうしたら「置物じゃ困る。それは本当に弾けるんですか?」ということを言われた。そこで、あちこち、つてを頼んでみたら、クリストファー・ホグウッドが船積み前に「コンサートコンディションであると書いてくれる」というところまで行った。

その話をしたら、こんどは日本の社長と専務が、平身低頭で「いや、申し訳ありませんでした、まさかR&Fさんが本当にそこまでのものを見つけてこられるとは思いませんでした。また、そこまでの大御所の手紙まで付けられるとも想像できませんでした。本当のところ、それが買えるほどの資金的余裕はうちにはないんです。」と言われた。

私はホグウッド氏に謝罪の電話を入れたのですが、あれほどの楽器が英国を離れなかったのは、私もホッとしたし、日本へ持ってゆくのが申し訳ないという感じだったアングロファイルの君もホッとしたのではないか?これでよかった。楽器を売りたかった人には申し訳ないが、と明るく話されたので私も肩の荷がおりた。

いつかお会いして、サーストン・ダートの思い出話など訊いてみたかったのですが、かなわぬこととなってしまいました。

今の時期、第九だったりバッハだったりするのですが、私はヘンデルのメサイアが聴きたくなる。それもクリストファー・ホグウッドのものでないとダメなのです。

サーストン・ダートの最後の録音のブランデンブルグはYoutubeにはアップされていないようです。ちょっと古いものはありました。

Bach-concerto brandebourgeois No2 Thurston Dart (1958) VINYL

Haendel Messiah Christopher Hogwood Academy of Ancient Music

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