これは自転車の英国派、フランス派、イタリア派、すべてに言えると思うのですが、「そればかりにのめりこむ『必然性』はなに?」というところで、私はいつも立ち止まらざるおえないのです。
イタリア車は結局、古いところでは「カンパニョーロ、マジストロー二、TTT,アンブロシオ、チネリ」のレーサー部品に行き着く。「イタリア車のキャンピング車用部品、などというのは、ステムでもハンドルでもブレーキでも存在しません。
フランスの部品はユーレーの一部を除けば、すべて「ヤワ」です。70年代のプジョーなどではシートピラーが潰れてしかたがない。メーカーもそれはよくわかっていて、巨大なハトメをフレームにかましている。リヨターのペダルは曲がったり折れたり。
英国人はガタイのいいのがいるので、部品はかなり丈夫にできている。英国に住んでいたこともあり、自然に壊れない英国車に私ははまってゆきました。
そういうものは植物のようなもので、その土地ならではの進歩をとげています。
英国の一軒屋なら、まず「バイクシェッド」、納屋があります。自転車はそこへ農具のように放り込んでおく。日本のように「自分の地位と収入とエンスー度を示す『顕示的消費』の対象ではありません」。
まず典型的な英国の日曜日はどうか?
朝はフランシスが休みなので、朝食が出来ない。家で自分でつくるのもなんだから、自転車を引っ張り出して、町まで。
ニューススタンドでサンデータイムズを買って、数少ない日曜日の午前中開いている喫茶店へ行く。
ハニーローストハムのサンドイッチとエッグ&クレスとチーズ&ピクルスの三つのうちどれにするか?あるいはイングリッシュ・ブレックファストにするか?
紅茶はセイロン、まあ、アッサムでも良いのですが、午前中からアールグレイだとかダージリンということはない。
朝食を食べつつのんびりと新聞を読む。自転車は表で犬のように待っているわけですから、人に見せびらかすため作られたような超高級車では実用にならない。そこそこのものが使いやすい。
さて、昼飯は街中で食べずに、ちょっと20kmばかり離れた村へ食べに行くか、と言う具合。
帰ってくると3時。美術館が開いている。2時間ばかり、ただ1枚のコンスタブル、テイツイアーノ、あるいはコローと甘美な時を過ごす。そのあいだ自転車はおもてに置き去りです。美術館の喫茶室で午後の紅茶。テーブルの向こうでハーバード・リードの本を読んでいる友人を発見。
「今日6時から、トマス・タリスの合唱曲をやるのを知っているか?」
二人で自転車ででかけます。またしてもコンサートが終るまで自転車は屋外に置き去り。
その後、自転車でパイの美味い店で夕食。表に出ると雨が降ってきている。自転車は当然濡れています。
「風が強いし、どうせ通り雨だろう。うちでシェリーでも飲んでいかないか?」
かくして、サドルにビニール袋をかぶせ、ひとっ走り。夜10時ごろまで、シェリーで一杯やりながら雑談。葉巻をふかしてみたり。
そういう時、イスは布張りではないんです。自動車のシートがそうであるように、革のソファーというのは、ホコリがすぐ払えるので、屋外との距離感が近いのです。ちょうど馬の鞍が革であるように。
そういうときのジャケットはツイード。それもハリスツイードの古いものは霧雨のシャワープルーフぐらいにはなりますが、最近のツイードは雨に弱い。
こういう自転車の使い方は、日本、フランス・イタリア、などではないだろうと思います。
英国で生活したことがあるひとなら、懐かしいと思うでしょうが、これが最も英国の普通の自転車の使い方だと思います。そういう時にドロップのクラブモデルということはありえません。
「自分は歳をとってもドロップ」そういう奇妙な頑張りは、もっとも非英国的なことだと思います。
それは「年齢を重ねて熟成することの否定」につながるから。
さて、そういうライフスタイルに学びつつ、それを日本で、自転車をすべての軸に据えてライフスタイルを構築するにはどうしたらいいか?そのための道具として作ったのが28号なのですが、いまや、ロードスターの本物すらあまり乗らなくなりました。
だいたい28号の寸法みたいな英国車は自転車の歴史で、ただの一台もないんですが、みなさん、あれが「日本のオリジナルだと認めてくださらぬようです」(笑)。