「ツイードラン」なるもののことを最初に聞いたのは、銀座のはずれにある某ホテルの眺めのよいバーででした。サドルでおなじみの会社のアンドレアからでした。
「面白いものになる、期待していてくれ。」
彼は試作品のメッセンジャーバッグを持ち歩き、なかにはパソコンとパイプのセットを入れていました。イタリア人ですが、きわめて英国的な嗜好のひとで、彼のパイプを見て、
「サビネリか?」
と私が聞くと、二ヤッとして、
「英国物さ。」
「オレのはもっぱらバーリングと古いスリービーだが。そっちのは英国物でもなんだ?」
なんてパイプ談義をやっていました。
実にセンスのよい男で、彼なくしては、トスカーナの「エロイカ」も「ツイードラン」もありえなかったでしょう。彼は外洋クルーザーを持っていて、バカンスの時にはそれに乗っている。そういう趣味人なので、はじめてそういう発想が出てくるのがよくわかります。完全に自転車ドップリな人ではない。
やがて、その第一回目のツイードランの写真が送られてきてビックリ、なんだローナがいる、ジンジャーがいる、ほとんどが知り合いでした。
ずいぶん前のことになりますが、自転車のプロの選手だったマリオンが古い自転車を治して動体保存する研究会を作り、そこから多くの愛好家が生まれました。ほかには「ベンソン」などという、本当にパイオニア期の自転車でしか参加できないクラブもあった。こういう世界は英国では奥が深いのです。
そういう集まり、特にマリオンのところは、招待状に「ブラック・タイ」と書かれるように「ピリオド・コスチューム」と書いてあったものです。それでもやはり、ナイロンのウインドブレーカーを着てくるような「無作法者」がいたり、「第二次世界大戦より前の車輌」と書いてあるのに、なぜかモニュメントのアルファベット・フレームで来るような「勘違い人間」にてこずりました。
やがて、なんとか規律がうまく統一がとれて、迫力が出た頃、BBCの取材が入り、一気に5000人ほどから、自分もそういう趣味をやってみたい、という問い合わせがきました。
ツイードランはその延長線上で、「歴史的車輌なしでも、洋服だけツイードならよし」(できれば革サドルで?)という緩い規格でできたものです。
一般に生活している人は、特に最近は、そういう「ピシッと決める場」が少なくなっている。きわめて「唯物的に、物さえあれば、服装はどうでもよい」という風潮が強い。
ある極東の島国で、自動車のパーテイーで「ブラックタイ」と書いて招待状を送ったら、「喪服で来たヤツがけっこういた」と言いますから、油断もすきもありません。
私はかれこれ30年ぐらい、サイクリングなどでツイードを着ていますが、なんとか流行らせたいと、1995年に第一回の走行会をやり、以後、定期的にやってきました。ある時は安曇野で、ある時は諏訪で、ある時は関西で。
しかし、それでもツイードのピリオド・コスチューム(自転車にあった時代の服装)をしてきてくれる人は、半分ぐらいでした。やっと、服を仕立てて来てくれるような人が7割を超えたのは2005年ぐらいから。
それが、いまや「アンドレアとB社の世界戦略」が当って、日本でもツイードランが行われるようになってきました。
しかし、これも難しいのです。ロンドンやトスカーナなら、「邪魔にならない風景がある」。しかし、日本の場合、現代の建物がやたら眼に入る。しかも、自転車には詳しくても洋服には詳しくない人が少なくない。
かつて、映画監督のセシル・B・デミル監督(だったか?)が、ローマ時代の風景を撮影している時、何千人かいる群集のエキストラの中の一人の女性が、腕時計をしているのを発見し、「すぐにはずしなさい。その小さな一点で、魔法が解けて、観客が現代に引き戻されてしまうではないか」と言ったそうな。
これは私の場合、いかに高価な古い車両に乗っていても、ホンの少しの服装や靴、あるいは首にかけた最新型のデジタル一眼で夢が破れてしまう。
さらに言えば、「ファーロウズ」のニッカーホースなら良いのですが、日本の山屋で買ったものでは、「70年代、ヤブコギ峠越え」に見えてしまう。
さらには「ツイード」というからには、スコットランドかアイルランドのものでしょうが、そこへニッカボッカが日本の「山岳用、ハイキング用のコンチネンタル・プラス・ワン」では決まらないと思う。
さらには、1960年代、1970年代、1980年代を「リアルタイムでサイクリングをしてきた人間」には1960~1980年代の車輌にツイードを合わせられると、なんだかしっくりこないのです。その時代は、むしろ、70年代ファッションで乗っていたものでしたから。
「通学用スポーツ車に『紙の付けひげ』付けてツイードを着ればよい」というのでは、あまりに軽い。それでは竹とバナナの葉で飛べない飛行機の模型を作っているのと同じなのではないか?
こうしてみると、ツイードランのむずかしさがわかってくると思います。「現地を知らない人の鹿鳴館時代」になりかねない。
そして、現代の薄く、目の詰まっていないツイードでニッカボッカをつくると、1ヶ月ぐらい乗っていると、内股がどんどん薄くなって、向こうが透けて見えるくらいになります。
そうだとすると、どういう生地で作れば良いのか?どういう形状で作れば良いのか?車輌はどういう風情にしたら良いのか?これはたいへん難しいことです。
友人数人が土曜日の日に行われた、大阪でのツイードランのもようの写真を送ってきました。こういうのがもっとあちこちで行われ、自転車と同じくらい洋服のほうも気を使われるきっかけになるといいなと思います。
一方で、「べつに英国のモノをやらなくても、自分の工夫でいいんじゃない」という気もします。「自転車のカッコよさ」は自動車と違って「乗り手が7割」ですから。
ツイードを着る以上は、シャツも「タッターソール」とか、いろいろとこだわってみて欲しい。タイもウールタイが基本です。「最初から肘あてや肩につぎしてあるジャケットは英国では成金の邪道」です。「生半可なパチもん」は極東の街中では、むしろ鬱陶しく見える。私の場合、「英国式に身を固めた場合」、八面鉄壁斜め正眼で、誰に話しかけられても『英国英語でしか答えない』可能性があります(爆)。
写真はホリイさんの「大正時代風」ですが、カッコいいと思います。彼女、本家英国でこのスタイルが気に入られて、本家B社のHPに写真が載っていました。