かつて、ポール・ヴァレリーが絵画が建築から切り離されてしまったことを嘆いていました。
ボッティチェリの絵を日本の建売にかけてもどうしようもない。イタリアの石造建築においてはじめて真価が出る。
クリムトの絵はやはりウィーンの19世紀末の日が沈むような沈黙が似合う。ナポリではピンとこないでしょう。
フェルメールの絵を四国の太平洋岸の陽光で見たらやはり何かが消し飛んでしまうと思う。
本来はこれはすべてのモノに関して言えると思う。
写真は私が一時期、真剣に日本へ持って帰ろうと考えていたローヴァ―P4ですが、これは日本へ持って帰ってきたら、もう、それこそミスマッチというか、日本の風景にまるで合わないと思った。乗ると最高なんですが。
私「は観音開きのドア」が何のためか、トヨペット・クラウンの初期モデルを見て意味が分からなかった。英国へ行ってはじめてその役割が分かった。後ろヒンジでドアが開き、下りる人の後方を楯のように守る。同時に足元は広く開く。前方もドアがシールドして、プライバシ―を守る。劇場や舞踏会、音楽会などでは、ロングドレスでもOK.
東京では、当時都内最高の上野の東京文化会館では、クルマで入口へ横付けできませんでしたから、コンサートの後は混雑した山手線で、駅の乱雑なアナウンスを聞きながら帰ることになりました♪。
『この写真のような世界は日本では不可能』だと思う。ライフスタイルの反映がデザイン。
安売りスーパーへ、『すぅぱあ、ずっら~~~い』を箱で買いに行くのに向くクルマもあります。
この時代の日本の自動車といえば、トヨペットクラウンの『観音開き』ですが、使い道としてはタクシーだったり、鉄人28号の大塚署長のパトカーだったり、この写真のローヴァ―のような風情と格調が醸し出されたショットをみたことがない。事実そういう使われ方をしていませんでしたから。私の父の友人で乗っていた人が2人いるので、私ははっきり様子を覚えている。
これはモノの背景を考えるうえで実に重要だと私は思います。ものだけでは完結しない。
最近の日本車がまったく若者にアピールしないとか、多くの人に魅力がない、と言われる背景には、そうした『風景から切り離され、世界中どこででも売れるように、個性も何もない無色透明化が進んだからだろうと思う』。正直、自動車好きの私がみて、マークを見てすらどこのメーカーの日本車かわからない(笑)。
自動車単体をいくらドイツ車風に見せかけようと、イタリア車風に見せかけようとしても無駄。
あとは、『都市の風景をここまで、冷蔵庫の裏のようにした建築家たち』にも責任の一端はあると思う。
このローヴァ―、なぜか「Auntie Rover」と英国では言われる。乗っているのはみんな男性のそこそこの人たち、むしろ、かなり男性的なクルマの部類です。理由を英国でクルマ好きのロビンに訊いた。
「それはじゃな、つまり、スポーツカーなんていうのは、『ミストレス(mistress)』みたいなもんで、毎日一緒に暮らすようなもんじゃないんだよ。mistressとは手を切るかもわからんが、おばさんは厄介払いできないだろう?そういうのと、どこへ行くのも一緒というのが幸福というもんじゃ。」