日本へ飛行機で帰って来ると、よく富士山が見えた。飛行機はあれを目印に飛んでいるらしい。
学生時代は少しでも安くと、隣国航空を使ったが、シベリアから日本をめざし、何を考えてか、富士山のところで大きく旋回し、南隣国へ針路変換し、あちらでワンダウン、それから成田へやっと帰ってこれた。
それが嫌で、いや!ロンドンに行くなら英国航空を使わなくてどうする!ウイーンに行くならオーストリア航空に決まっている!と選択肢を変えた。以来英国へ行くときはBAに義理立てした。
ある時、カダフィ大佐が『英国に報復する』と騒いでいて、乗ったらあの巨大なジャンボジェットに15人ぐらいしか乗っていなかった。あんなことは後にも先もはじめてでした。
パーサーが来て、
「このような時にもご利用くださいましてありがとうございます。どうせガラガラですから、こちらも目が行き届きやすいので、みなさんファーストクラスのお席へどうぞ」
と言われた。リファンダブル・エンドゥ―サメントとはいえ、こちらは『足きり安売りチケット』です。これほどの僥倖があろうか(笑)。
「Gadaffi may get few lines of the Times, but it woulddn't shake my trust in British Airways.」
といつもよりいっそう誇張した英国英語で答えたりしていた(笑)。にやけとまらず。
酒も料理も格段によろしい。椅子は巨大。それと薄々感じていたことが確信に変わった。
「ファーストクラスの客室乗務員のほうが圧倒的に美形であった!」(主観的判断です。現在のこと、他社は知りませぬ)
Work hard, buy a first class ticket.( 爆)
人によっては『処女海原航空』を好みますが、私はロンドンからバーミンガム、マンチェスターへ行く鉄道をその航空会社が買ってから、その報復として絶対に乗らない。私はあれは酷い階級制の名残に見える。昔のBR時代にはファーストクラスであろうと、セカンドクラスであろうと、セカンドクラスに乗っていても、それは「乗客の主義」で片が付いた。ところが、買収されてから、「ファーストクラスに乗らないと恥ずかしい」感じが演出されている気がしてならない。
昔、テレビのバットマンで『では、来週、また、バットタイムにバットチャンネルでお会いしましょう』というのがあったが、もうロンドンのプラットフォームから、『天女コーラ』、『天女ポップコーン』が売られていて、なんと独占キャピタリスティックな奴だ、と憤慨した。
マンチェスター訛りのジェーン・バーキン似の女性が、
「これに乗るとずいぶんみじめな感じがするわ。天女コーラがあいつの気球を飛ばす寄付になるかと思うと腹が立つから、私なんかいつも自前よ。」
と魔法瓶から紅茶を飲んでいた。
なんだか、しだいにそういうところは、19世紀の大資本家と大量の貧民の構造に近づいている気がする。
「餓えないかもしれない。働けばね。だけど今いる場所から上へ行くのは難しいのよ。」
日本もそういう風になってきている気がする。
話は大脱線してしまいました(笑)。
また、元に戻って富士山ですが。富士山は日本の真ん中にへそのようにある。その前の海には世界有数の深い海溝があり、世界でも珍しい多様な深海魚の生息地です。そこでプレートが沈み込んでいる。
世界でも有名な美しい山は、世界でも稀なところに位置している。だから飛行機すらそれを目印にする。
富士山は多いときは1000年あたり2キロ立方メートル、少ないときでも1立方キロメートルのマグマを吹きだしてきた。これがどれほど大きい数値かというと、まだ記憶に新しい雲仙普賢岳の1000年あたりの噴出は0.05立方キロメートル。富士は日本一の山なのです。
8000年ほど前には39立方キロメートルものとほうもない溶岩を出した。
江戸時代には宝永地震があり、それが引き金になって宝永の噴火になった。東京方面から見ると富士の肩の部分にちょっとガラスのかけたような尖った部分がありますが、飛行機から見ると真上とわきと火口が2つあるのがわかる。
過去1200年間に富士山は10回噴火している。しない時は300年ほどおとなしい。すでに300年ほどですから、周期的にはいつ来てもおかしくないはず。
江戸時代、宝永の噴火のあと、火山灰などで小田原藩はどうにも立ち行かなくなり、幕府が全国の諸大名に義援をさせた。なんとか片付くまで100年かかった。これは水蒸気噴火でも、自衛隊の人が首まで泥につかるほどを考えてみれば、どのくらい火山のエネルギーが大きいかわかる。
太平洋プレートをこども用のビニールのプールとすると、その下の風呂敷をありんこに引っ張らせるくらい、人間の科学力にはそれを何とかするのは無理な話です。
「え~~、基準をクリアーしておりますので~、再かどーしても平気であるとぉー、認識しております」みたいなことを誰かが言っていましたが、どんな単純な脳細胞かと正直思う。
自然は人間の定めた基準などにはまったく手加減しない。
100年どころか30年で、貧富の差から始まって、自然災害、手呂の不安、政治のことまで、80年代から、すべてが悪い方へかなり進んだ気がする。
学生時代は少しでも安くと、隣国航空を使ったが、シベリアから日本をめざし、何を考えてか、富士山のところで大きく旋回し、南隣国へ針路変換し、あちらでワンダウン、それから成田へやっと帰ってこれた。
それが嫌で、いや!ロンドンに行くなら英国航空を使わなくてどうする!ウイーンに行くならオーストリア航空に決まっている!と選択肢を変えた。以来英国へ行くときはBAに義理立てした。
ある時、カダフィ大佐が『英国に報復する』と騒いでいて、乗ったらあの巨大なジャンボジェットに15人ぐらいしか乗っていなかった。あんなことは後にも先もはじめてでした。
パーサーが来て、
「このような時にもご利用くださいましてありがとうございます。どうせガラガラですから、こちらも目が行き届きやすいので、みなさんファーストクラスのお席へどうぞ」
と言われた。リファンダブル・エンドゥ―サメントとはいえ、こちらは『足きり安売りチケット』です。これほどの僥倖があろうか(笑)。
「Gadaffi may get few lines of the Times, but it woulddn't shake my trust in British Airways.」
といつもよりいっそう誇張した英国英語で答えたりしていた(笑)。にやけとまらず。
酒も料理も格段によろしい。椅子は巨大。それと薄々感じていたことが確信に変わった。
「ファーストクラスの客室乗務員のほうが圧倒的に美形であった!」(主観的判断です。現在のこと、他社は知りませぬ)
Work hard, buy a first class ticket.( 爆)
人によっては『処女海原航空』を好みますが、私はロンドンからバーミンガム、マンチェスターへ行く鉄道をその航空会社が買ってから、その報復として絶対に乗らない。私はあれは酷い階級制の名残に見える。昔のBR時代にはファーストクラスであろうと、セカンドクラスであろうと、セカンドクラスに乗っていても、それは「乗客の主義」で片が付いた。ところが、買収されてから、「ファーストクラスに乗らないと恥ずかしい」感じが演出されている気がしてならない。
昔、テレビのバットマンで『では、来週、また、バットタイムにバットチャンネルでお会いしましょう』というのがあったが、もうロンドンのプラットフォームから、『天女コーラ』、『天女ポップコーン』が売られていて、なんと独占キャピタリスティックな奴だ、と憤慨した。
マンチェスター訛りのジェーン・バーキン似の女性が、
「これに乗るとずいぶんみじめな感じがするわ。天女コーラがあいつの気球を飛ばす寄付になるかと思うと腹が立つから、私なんかいつも自前よ。」
と魔法瓶から紅茶を飲んでいた。
なんだか、しだいにそういうところは、19世紀の大資本家と大量の貧民の構造に近づいている気がする。
「餓えないかもしれない。働けばね。だけど今いる場所から上へ行くのは難しいのよ。」
日本もそういう風になってきている気がする。
話は大脱線してしまいました(笑)。
また、元に戻って富士山ですが。富士山は日本の真ん中にへそのようにある。その前の海には世界有数の深い海溝があり、世界でも珍しい多様な深海魚の生息地です。そこでプレートが沈み込んでいる。
世界でも有名な美しい山は、世界でも稀なところに位置している。だから飛行機すらそれを目印にする。
富士山は多いときは1000年あたり2キロ立方メートル、少ないときでも1立方キロメートルのマグマを吹きだしてきた。これがどれほど大きい数値かというと、まだ記憶に新しい雲仙普賢岳の1000年あたりの噴出は0.05立方キロメートル。富士は日本一の山なのです。
8000年ほど前には39立方キロメートルものとほうもない溶岩を出した。
江戸時代には宝永地震があり、それが引き金になって宝永の噴火になった。東京方面から見ると富士の肩の部分にちょっとガラスのかけたような尖った部分がありますが、飛行機から見ると真上とわきと火口が2つあるのがわかる。
過去1200年間に富士山は10回噴火している。しない時は300年ほどおとなしい。すでに300年ほどですから、周期的にはいつ来てもおかしくないはず。
江戸時代、宝永の噴火のあと、火山灰などで小田原藩はどうにも立ち行かなくなり、幕府が全国の諸大名に義援をさせた。なんとか片付くまで100年かかった。これは水蒸気噴火でも、自衛隊の人が首まで泥につかるほどを考えてみれば、どのくらい火山のエネルギーが大きいかわかる。
太平洋プレートをこども用のビニールのプールとすると、その下の風呂敷をありんこに引っ張らせるくらい、人間の科学力にはそれを何とかするのは無理な話です。
「え~~、基準をクリアーしておりますので~、再かどーしても平気であるとぉー、認識しております」みたいなことを誰かが言っていましたが、どんな単純な脳細胞かと正直思う。
自然は人間の定めた基準などにはまったく手加減しない。
100年どころか30年で、貧富の差から始まって、自然災害、手呂の不安、政治のことまで、80年代から、すべてが悪い方へかなり進んだ気がする。