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Channel: 英国式自転車生活
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派手の心理

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ヨーロッパでの各国のイメージというのは興味深い。1990年代から現代にいたるまで、英国とイタリアには一種の蜜月時代とでもいう関係が続いています。政治的にではなく、若者の親近感に於いてです。

ブルームズべりなどのロンドンのしゃれた高級地界隈でもイタリア料理店は多い。英国の興味深いところは、彼らは決して英国流に調整したものを好まない。インド料理でも中華でも本国と全く同じものを要求する。これはイタリア料理でも同じ。

1980年代のはじめ、英国の珈琲は「ねこまたぎ」で、アメリカの会社によくおいてある業務用の巨大なパーコレーターで淹れたような感じでした。そこへイタリア人が多くやってきて、英国の珈琲の味はかなりレベルアップした。

そういうカフェの一つの店主、サウケッラは5時になると店を息子と娘にまかせて、決めまくってどこかへ出かけていました。それがけっこう派手。私はイタリア人の友人が多かったのでまじかに観察しましたが、彼らの積極的なおしゃれの楽しみ方は天性のものだと思った。

「おしゃれもしないで、そんなもさい格好で、異性にモテず、何のために生きているのか?」というスタンスが男からも女からも、熱したフライパンの放射熱のように伝わってきた(笑)。

ベルギーは、その人口の60%が自国は退屈で、どこか別の国に生まれていればよかった、と考えているのが統計で出ている国ですが、路上調査で、生まれ変わりたい国の人気ナンバーワンはイタリアでした。

そのイタリアが英国のおしゃれには一目置く。フランスと英国はすでにシャネルの時代から、英国的なものはフランスに染み込んでいる。シャネルは英国人、ボーイ・カぺルやウエストミンスター公の男服を引っ張り出して着て自分のデザインに取り入れていましたから。

イタリアの都市で道行く人を眺めているのは実に楽しい。これはパリやロンドンも同じ。しかし、ベルリンやミュンヘンでそういうことは感じませんでした。ドイツの有名なネクタイ?、シャツのメーカー?婦人服メーカー?思いつきません。

ドイツの有名なバイクのデザイナーに何度も会いましたが、彼がどういうネクタイをしていたか全く記憶にない。しかし、自転車のサドルメーカーのマネージャーや、皇帝ヴァレンチーノ、がどういうタイをして、どういう靴を履いていたかまではっきり思い出せる。ウーゴの息子には2度しか会っていませんが、それでも彼のタイは鮮明に思い出せる。ある意味、戦略的に成功しているのだと思う。

英国はのべつ雨が降っているので、英国人はあまり磨いていない靴を履いている傾向がありますが、あれがイタリア人、フランス人、には気になるらしい。しかし、彼らがもっと気にするのはアメリカ人や日本人が汚れたスニーカーやウオーキング・シューズをはいていること。生理的に我慢できないと言います。

あと、ヨーロッパ人全般が日本で言うこと。「カバンやバッグにあれほど金をかける日本人が、どうして靴はシェイプのUGLYな安物を履いているのか?」ということです。

これは礼を失すると思って、彼らもよほど親しくならないと言いません。

これは面白いな、と思う。カバン、バッグ、腕時計などは収入と、好み、趣味、社会的地位が一発でわかる『商標』ですから細心の注意を払う。

反面、タイに関しては、制服的な意味合いがあるので、地味な、『ドブネズミ色の無個性なネクタイ』をする。「でもこれフランスのネクタイなんだよね」というところで自己主張をしたつもりでいる。

インターネットで『トヨタのクルマの色』の話が出ていて、最新型が黄色だそうです。ネットのニュースではさも新しいことのように書いていますが、40数年前、うちにあったマーク兇魯ロームイエローでした。ブルーのダットサン、ルビーレッドのコロナ1500RT-40DKも珍しくなかった。クラウンでもブロンズ・ゴールドの実にうがった色のものがあった。

「ピンクのクラウンで権威より愛を」と書いてあったので爆笑してしまった。本気でそんなことを考えていたのか?あれは『ぺネロープ号』ではないのか?ぺネロープ号のブランドがライバル・ドイツの手に落ちたので、「対抗するぞ」とぺネロープ号のロールス・ロイスのピンク色にしたのではないのか?それにしてはグリルはドイツ車コンプレックスが強烈に見える。そもそもクラウンは山村聡の時代からオーナー・ドリヴンのクルマで権威からは脱却していた。

最近はまったくご無沙汰ですが、オートモーティヴ・デザイナーズ・ナイトに呼ばれましたが、デザイナーで、制服のように黒の詰襟とか、他のデザイナーにケチを付けられないような『引き算のファッション』のカーデザイナーがたくさんいた。

結果、クルマはどれも一列並びで似たようなカタチになり、色はすべて無彩色。渋滞すると空き缶がたくさんドブに浮いているように見える。それがむしろ1980年代から今までのちょっと特殊な環境だったのではないか?それがここへきて、あまりに無彩色・無主張だと白家電化が激しいので、色を付けてみたのが実態だと思う。

本質的に、カーデザイナーの無彩色引き算ファッションと無彩色のガステーブル色の自動車は同じ世界の産物だと思う。たまに色を付けると、「紅ショウガにミルクをかけたようなとんでもない色」をラインアップする。日本の伝統色はどこへいった?

イタリアの派手なネクタイは下品にならないように、貴族的に着こなすのはたいへんなセンスが必要。黒づくめとか黒い詰襟というのは、「スタイル発信側が考えずにすむ、どんな仕事でもやりますよ」という無彩色の世界で、熱いフライパンのようなイタリア的なパワーがない疲れたスタイルではないのか?と考えます。

あるイタリア人が言っていた。『家族とうまくいっていないかもしれない。仕事が不景気かもしれない。金がないかもしれない。そんな悩みがあっても、ビシッときめた姿で表へ出る、、それで自分の最高の部分を出す。そうすればそういうことはみんな無関係なのさ。それがイタリア人の陽気さの秘訣なんだ。」

不景気日本はおおいに見習わなければならない。

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