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Channel: 英国式自転車生活
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古い世界の記憶

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経済の原則で、たくさん作れば作るほど単価が下がるということがあります。

自動車の場合だと一つの生産ラインに何十億円もかかる。それをいかに安くするかで、まったく新規に作らず、組み合わせを変えたり、違う自動車で同じトランクやボンネットのパネルを使ったりします。

メーターやシート、カラスのウインドーなども同じものを違う車種で使ったりする。エンジンも共有します。それを販売戦略とブランドでマーケティングする。

もうそろそろ10年になる昔、あるイタリアの自転車を超ド級のスポーツカーと写真を撮ろうとしたことがありましたが、それはストップがかかった。

ディ―ラーに問い合わせたら、それはやってはいけないと自動車メーカーに釘をさされているという話でした。

「だから、携帯電話でもマークを使って、『音』はCMで流れているけど、クルマの画像は使われていないでしょ」と言われた。たしかにそうでした。

「ああ、それならもうひとつのほうの会社のクルマと並べるなら問題ないのじゃないかな。それも『路上遭遇』のかたちにすれば。』
問題ないとのお墨付きをもらって、「得るネスト」の自転車と「振るっチョ」の自動車を並べて写真を撮りました。

撮影中に自転車が倒れたら、、、、たいへんな悪夢になる。なにせ、ウインドーシールド(フロントガラス)も一台づつ違うと言われていましたから。

結局、みんなビビって、サイドヴューで並べる撮影はできませんでした。

あがった写真を見てみると、なんだかヘッドライトが意外に普通な気がした。どこかで見たような。

後で訊いたら日本のスポーツカーのものをそのまま流用しているのだとか。そういう超ド級の自動車でもすべてをオリジナルでつくるのは実に難しいということです。

そう考えてみると、1965年ぐらいまでの工業製品はものすごくコストがかかっていると思う。60年代の彼のクルマは楕円の見たこともないヘッドライトが付いていた。

こういうことを言うと、「いったいいつの人だ?」と言われるかもしれませんが、私が小学生の時、家に氷を入れるタイプの冷蔵庫があったのを思い出します。

上に大きい氷の塊を入れ、それが溶けるとブリキの皿の上に水がたまる。下の開きが冷蔵庫として使えるようになっていた。木製でたいへん作りが良く、金具もブロンズでずいぶん凝っており、あるデパートの名前が刻まれた立派なプレートが付いていました。

なければないなりに、けっこう人は生活するものだと思う。その氷は重量運搬車(自転車)で運んできていました。氷屋さんはVの字型の大きい爪で氷を挟んで動かし、冷蔵庫に入るサイズにするのに、ノコギリで切って納めると、また、ひょうひょうと自転車で帰って行った。それで生活が出来た。

その冷蔵庫、造りが頑丈だったので、私が10代の終わりまで工具入れとして使っていました。引っ越しで捨てなければ、まだ工具入れとして使えていただろうと思う。

同じタイプの氷屋の自転車を最後に見たのは根津で、15年ほど前に見た。感動しました。

私が小学生のころ、近くの建設現場に「冷たい飲み水が出る機械」が入れられて、それが面白くて、我々は自転車に乗ってよく「水のませてくださ~~い」と行ったものでした。普通は学校の校庭で蛇口を上に向けて飲んだ。ところが生ぬるいので、まず手を洗い、顔を洗い、地下水をくみ上げるウイ~~ンという音がし始めるとやっと冷たくなった。

いまはコンビニでミネラルウオーターが買える。家にも電気冷蔵庫がある。しかし、あの地下から上がって来る水の冷たさ、機械から出てくるさらに冷たい水、手押しポンプでくみ上げる流れ落ちる地下水の美味さにはかなわない気がする。

明日は雨だと言うので、夕方、住宅地を自転車で徘徊しました。私の祖母は散歩でよその家や庭を見るのが好きで、飽きないと言っていました。いまやそういう通りがけに見て面白い家は減っている。

朝顔を育てている庭、へちまやひょうたんを育てている庭、ダリアとかひまわりをそだてている庭、ほんとうに少なくなりました。時間がないのかもしれない。家もどこか電気冷蔵庫のようにどれも同じになってきている。

ヨーロッパの古い都市へ行くと、いまだに人の家を見て散歩するのは楽しい。しかし、それも徐々につまらなくなってきているとぼんやりと感じる。

どうも「儲かるように」と「商品」としてよく出来上がったものでは人は幸福な感じにならないのではないか?

誰にでもそれが安く行き渡り、便利になることはよいことだとばかりは単純にいえないように思う。「大量生産とともに物の生命が死んで来て、便利さだけの即物的なものになってくる」。

便利になる一方、商店街を歩いてこどもが興味しんしんということはなくなった。昔はこどもは商店街を歩くと、氷屋が氷を板の間の上で切っていて、焼き鳥屋がいて、古本屋がいて、豆腐屋がいて、畳屋がいて、おもちゃ屋がいて、餅菓子屋がいて、手芸屋がいて、テーラーがいて、蕎麦屋の出前がいて、まったく歩いていて飽きることがなかった。

いまはただただ商品が並んでいる。おびただしい数の商品が。

振るっチョの自動車は『商品ではない』感じがした。彼は自分の会社が「頭資グループ」に乗っ取られたとき、「こんな自動車を知らない奴らに任せてはいけない」と熱弁をふるった。

経済はうまく回っても退屈で救いのない、商品をあてがわれるだけの世界はつまらない。

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