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Channel: 英国式自転車生活
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モンテカルロへの登場方法2

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モンテカルロがディートリッヒの映画のようになったのが何時のころか?というのはよくわかりませんが、英国では保養地BATHがひとつのありかたを決定したと思う。

昔の国王は領地に城をいくつも持ち、そこを転々と目を光らせて移動していたわけですが、反乱も心配ないとなると、暑いときは涼しいほうへ、寒い時は暖かい方へというのが当然でしょう。

遊び好きで頭もよかったボー・ナッシュが、それではBATHのようなところで、決まったシーズンに貴族たちが、王が居城を移るように、みんな一堂に会して、親睦を深めたり、情報交換をしたり、流行にアンテナを張ったり、そういう場所として貴族のために発展させたらどうか?とつくったのがBATH.

そこでは広大な屋敷も土地も関係ない。こじんまりとコンパクトでよい。しかし、王族が来てもおかしくない格調を持たせる。

それが、産業革命でうるおった中産階級が貴族階級と同じようなことをやりはじめ、トーキー、ファルマス、ブライトンなどのようなところが発展したという図式でしょう。

19世紀より前は、旅行は馬車によるか船で、そう簡単ではなかった。19世紀の英国は産業革命のリーダーで羽振りが良かったので、『ヴイクトリアン』(ヴイクトリア女王下の英国人)は世界旅行者としても有名でした。日本へ来たイザベラ・バードもトラヴェラーズ・チェックで有名なトマス・クックもそういう英国人です。

フィレンツエなども19世紀には英国人がずいぶん行っていて、その人口比率はたいへん高かった。私は密かに、コートダジュールもそうだったのではないか?という気がしている。ヴイラ・フランシュのサン・ピエール礼拝堂のわきに古い「英国屋ホテル」というのがありました。ニースの開発には英国人がかかわっていた。

そう考えると、なぜジェームズ・ボンドがのべつコートダジュールにいるのか理由がわかる気がする。

話は変わって、私がペルシャにいたとき、毎晩かつて王女の宮殿だったホテルの庭の喫茶エリア(巨大なモザイクのアルコーヴで、前には涼しくなるように噴水が出ていた)。毎日、夜9時から夜中の1時まで、そこでお茶を飲んだり水ギセルを吸ったりしていました。べっこう飴のような砂糖の板が純銀のお盆に一緒に出てきたお茶が20円ほどだった。

彼の国ではいくら使っても、使ってもお金が使い切れませんでした。表でビン入りジュースを買うと1本2円ぐらい。ほかのところにも、たとえば400年前の橋のアーチの部分がいくつもの喫茶店になっているような場所はありましたが、あきらかにその「噴水の前のアルコーヴ」は格が違いました。来ている人たちはほぼみんな英語が話せ、面白い人たちだった。やがて、年中顔を合わせているので友人になる。さまざまな情報が入って来る。「ここは昔は中東のパリと呼ばれていて、このホテルには広大な地下室があって、そこにはミラーボールがさがり、むかしはダンスが出来た。今は立ち入り禁止だ」とか。

年中来ている人たちは、絨毯商人だったり、貿易商だったり、水の利権を持っている人だったり、さまざまでした。なかにたいそう美人がいて、LOIS & CLARKの新スーパーマンに出ているテリー・ハッチャーにも勝てるだろうという人がいた。もとは北米に住んでいて、ある有名ヨーロッパブランドの女性服店のマネージャーをしていたとのことでした。家へも呼ばれましたが、家ではミニスカートをはいていたので2度ビックリ。彼らの戒律では家では何を着ていてもいいのだとか。

表へ出るとコートにスカーフですから、おしゃれの余地がない。いったん国外に出て、また入国する時に、スカーフと香水をずいぶん頼まれた。ボトルのジュースが2円のところで、ブランドの香水は数万円闇市でしていた。

私はあそこでの「お金の使いで」は、たぶん富豪のモンテカルロでの金銭感覚なのだろうな、と思った。

また時間の過ごし方自体が、かなりヨーロッパの上質生活と似ている感じがした。イタリア人の技術者が近くのプラントに来ていましたが、彼らもそう言っていた。

日常から切り離されて、自分をリセットする、そしてあらたな人脈を作る。そういうリゾートは今の日本ではなくなった。バブルの前までは確実にあった。それは高級でもよし、金がなくても何とかるのどかな自然の中でもよい。私はどっちでもいい。

ある山の中の温泉で私はガッカリした。芋を洗うような混雑、やかましい館内アナウンス、自動販売機やゲーム機がたくさんあり、床などもなんだかヌルヌルして、白癬菌をもらいそうな不潔な感じがした。いくら名山が見えようと私は2度と来たくないと思った。

それでも表に停まっているクルマは安いクルマではない。これが日本によくありがちな光景に私には思える。

心身リセットできず、行くまでも、行ってからも混雑で疲れ、お金を使って貧しくなり、それがどこか日々の延長なら意味がない。これは行くまでのクルマが速くなっても、施設が大きくなってもこの虚しさは消えるものではない。

それならば、誰も人の来ないような山奥の温泉へ自転車で行ったほうが良い。

どうもバブル以後、観光地は『経済のため、発展のため』の金取りランド化しているように見える。まず第一に『御商売のため』というのが透けて見え、『自然発生的にたのしいからやるというのではない』。それに乗るほど、来る人はとろい人ばかりではない。

私がたまにレストランで出くわす日本へ観光客を呼ぶ政府関係の仕事をしている人は、話の中で、客の数と、客が落す金額の話しかしない。1年中いつも濃紺のウインドブレーカーを着ている。

美しい自然が破壊されて、がさつなリゾートに化けて行くのと、そうした『計算たかく貧乏くさい』のとは裏表の気がする。

ほんとうの『保養・休息の地』は、「アリエル・アトム」とか「パガーニ・ゾンダ」とかで行く場所ではない。荷物が積めるツアラーであるべきでしょう。人眼をひくことなく、それでいて乗る人の趣味性、人となりがすべてみえる。それを自転車でやったらどう表現すべきなのか?そういうことはもっと考えられていい。中型ボストンバックも入らないスーパーカーは、ボンド御用達にはなれない。同様にに着替えも持ち運べない自転車はその同類なのではないか?前傾姿勢にリックサックでは『ねこにランドセル』と同じくらい背中に悪いと私は思う。

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