最近のデジタルはけっこう切り貼りしたり、加工ができますが、フィルムをブラッシングなどで修正すると昔はよくわかってしまったものです。
いまだにフィルムそのものの修正は難しいはず。
このあいだ、友人と話していて、写真は「写したものの何が記録として興味深いものになるか、撮影時にはわからない」という性質があると思います。
その当時、写そうとしたものより、逆に背景のほうがのちに意味深くなっていたりする。
残念なことに、私が小学生2~3年のころ乗っていた光の自転車を中心に写した写真は残っていません。そんな、銀ラッカーを塗ったハンドルの中古自転車が深い思い出になるとは思いもしなかった。
こうして見てみると、昔のこども車は「おとなの自転車と変わらないくらい手間とコストがかかっている」のがわかります。ロッドブレーキ、サドルは本革で『飛行機ハンモックサドル』、ハンドルは溶接組み立て。
じつは、これより前にもう一台、これより小さいサイズの自転車を「近所の人のおさがりで借りていた」。奇妙なもので、そういう巡回していた先々の人の名前は覚えている。
その小さいほう最初の一歩はブルーの自転車。佐々さんから借りた。写真のうちのは私が乗らなくなってから、サイズがピッタリの大平君のところへ行った。この写真のわきに写っているのはその大平君で直立不動(笑)。小学校3年の時です。
小学校4年の時、杉並のお店で宮田を買ってもらった。そのころはツインヘッドランプでしたが、そうそうにリアキャリアをはずし、アップターン・ハンドルをKEIりん選手のKRTさんのところでセミドロップにひっくり返してもらった。このころ、三田の高橋ちょうびんさんのところでプジョーを見て、シートステーのさやのフタが白く塗られていたのを見て、自分で工作ラッカーで白く塗った。シートチューブに何やら貼ってある丸いのは、トワイニング紅茶の陶磁器容器に付いていた金色のエンボスの封印。
このころ、写真でわかるとおり、ウイングナットをすでに入れている。馬鹿力で締めまくって曲げたり、ワッシャーをずいぶん割りました。わざわざ吉祥寺まで買いに行って「またワッシャー割ったか?」とあきれられた。はっきりと思い出せないけれど、あの時代アトムのハブが2300円ぐらいでノルマンデイのハブが4000円ぐらい、カンパのハブが6000円ぐらいだったと思う。ウイングナットは500円ぐらいだった。
しかし、そうして何個か買っているうち、ユーレーのウイングナットに2通りの大きさがあるのに気が付きました。字体もつながっているのと別れているのがあった。まさにウイングナットが『ベーゴマ』に取って代わった時でした。
そのころ、近くの中学生のやはり自転車少年が、珍しいアルテンバーガーのハブを使っていて、それはワイマン(当時はワインマンとは言わなかった)のウイングナットと合わせられていて、それは丈夫で決して曲がらないと少年たちのあこがれでしたが、超希少品で、売っているのを見かけることはまずありませんでした。
しかし、小学生というのはずんずん大きくなるもので、小学校5年の終わりには、もうステムがフレームの中に残らず、KRTのおじさんが「もう、君のサイズでは危ない」と言われた。KRTさんはFUJIを扱っていたので、「これはどうだ?」とFUJIを見せてくれましたが、好みに合わなかった。たしかサドルはグレーの藤田かなにかのプラスチックサドルが付いていた。
そういう写真も残っていたら面白かっただろうにと思う。
ぎりぎりまでその宮田をドロップにしたり、フロントをユーレーのリジドにしたりして、中学で一気に仁さんのところのフレームにした。こどもながら、KRTさんのところで買わなかったのが気まずく思えて、「ごめんなさい」と謝りに行った。
「いや、これはうちで買うはずないよ。ナベックスのラグで、クラウンまでナベックスじゃないか。しかもエンドはカンパだ。ひとっとびにすごいの買ったね。」
と腕組みしながらにこにこして褒めてくれた。
じつは、私はエイショウのラグで注文した。「似てるけどデザイン的にぬけてるから、同じ値段でナベラグにしてあげる」ということだった。出来上がったフレームは国産エンドのはずがカンパだった。「こっちのほうがものがいいし、めっき映えするから」。差額なし。彼はそういう人だった。
そのとき、うれしくて仕方がない中学1年の少年に、「2流品だね。1流はやっぱり片倉とT社だ」と言った店主がいた。それが誰だかは言うまい。