昨日もまたオオコノハズクが鳴いておりました。「昼間は目立たないところで寝ているはずだから、双眼鏡でちょっと見てみよう」と思っていたのですが、朝ははよからノコギリのけたたましい音が響きわたり、樹を切っていました。
まあ、あれでは鳥たちはみんな逃げてしまったでしょう。
こうした樹の幹や枝を燃やした灰が、立川の焼却場で捨てられないほどの高濃度の放射能で困っているというのに、みなさんマスクも付けずに作業、御苦労様です。
自然のこと、生態系のこと、放射能のこと、「科学的に考えれば、いままでのこの国でのやりかたがおかしいことがわかる」はずなんですが、それが巧く機能しないのは、日本の科学教育に問題があったのかな?とぼんやりと考えます。
写真のような樹の洞にフクロウやオオコノハズクはやってきます。そういうものがあるような木を、伐ってしまう。「擬似西洋的」に芝生のうえに木が生えたような感じに、草を刈ってゆく。昆虫やヘビやヒキガエルは消滅し、へんな虫が大量発生する。『花見』のために植えられたソメイヨシノには毛虫がつくので、大量の殺虫剤を撒く。小鳥は寄り付かなくなります。
なんでもレイチェル・カーソンを否定しようと、御用学者たちがアメリカでもかなりのデタラメなことを言ったり書いたりしていた、という上下巻にわかれた本をつい最近見ました。
これは人間が滅びるとしたら、たぶん、そういう理由、「問題の本質から眼をそらせる、にせ科学、科学万能楽天主義」とでもいうべきもので滅びるのではないかな、と漠然と考えます。
多摩川のほとりにある某研究所の社員が言っていましたが、そこでは遺伝子関連のことをやっていて、たまに「原因不明の高熱」とか、奇妙な症状とか湿疹が社員に集団で出たりするのだそうです。
気密室でやっていてもそのていたらくですから、もし首都圏に大地震などがきて、そういうものが漏れたら?
まあ、人間の自業自得だと言えばそれまでですが、それに反対していた我々なども巻き込んでもらいたくない。
いまからそろそろ1世紀にならんとする本のなかに、遺伝子組み換えの危険とか、世界中に情報が氾濫して文化が均質化して、ごくごく少数のものの一人勝ちの時代、文化の停滞が起こりうることを予言していた人がいます。
その名をバートランド・ラッセル。彼の原子力に関する発言、生物化学兵器に関する発言などは、きわめて今の日本で読むと面白い。
「怠惰への賛歌」とか、彼の1番の理解者アラン・ウッドの「情熱の懐疑家」などはおすすめです。