Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

酒は世につれ2

$
0
0
今年の1月1日の深夜は、甲州街道がやけにすいていました。私のこどものころにタイムスリップした感じがした。

かつては甲州街道を走って自転車で長野まで行く。この道を辿って遠くへゆけるという意識がはっきりありました。「諏訪からは中山道で、、」などとは、いまやそんな気がしない。あまりに自動車が多くなりすぎた。

自転車で長野までは自転車でよく行っていましたが、親もそれをとがめはしなかった。「笹子のトンネルだけは気をつけるように」というのと「下りでとばすな」という二つの注意だけでした。いまでは八王子や府中に出るのも甲州街道はほとんど使いません。走る環境が悪化しすぎた。

いまやこういう感覚は過去の物となったでしょうが、「昭和の中期」(笑)に自転車で走っていて、場所を示す目印はじつは酒の看板だった気がする。

真っ暗な夜明け前の甲州街道、あるいは緑の山や畑の中に目障りでない感じで酒の看板が立っている。銘柄を知らない人には、それが酒の看板であることすら気がつかない。そんなものでした。

なかにはもうすでに看板だけになってしまっていたところもあったのかもしれません。ずいぶん甲府には種類があった気がする。

電信柱などにも小さい看板が付いていた。今思いだせる山梨の銘柄は、七賢、甲斐駒、白雀、一古盛、金峰、甲斐娘、笹一など。それが白州を抜け富士見のあたりへくると、諏訪文化圏。映画監督の小津安二郎が愛飲したというダイヤ菊、舞姫、真澄、麗人、神渡、など、伊那谷にさしかかると七笑、岸の松、井の頭、黒松仙醸の看板が目に付いた。

いまでは町名は電信柱に書いてありますが、昔はそうした看板のほうがその土地に入った気にさせた。

道を訊く人とて歩いていないところでは、自分は確実にそちらへ近付いていると言う目印は看板だった。

いまや、そういう宣伝方法はしなくなったのでしょう。看板も消え、人もナビを使い、看板など気にしなくなった。上に出した銘柄も、いまでは発泡酒に転じたり、販売専門になったり、したところもあります。商品ラインアップがずいぶん私が知っている時代から変わっているところも多い。ネットで探しても出てこないところはたぶんやめてしまったのでしょう。

銘柄の名前も変わっている。味も変わっている。大正時代の記録によると、正月の宮中の屠蘇には、キジの肉を焙り焼きしたものを入れたキジ酒が用いられていた。秀吉は清酒が嫌いで、濁り酒を納入するように書いた書簡が残っている。

このあいだいただいた長野の美味い酒の話を、老職人と話していたら、「ああ、それはたぶん、昔の『金時』のことじゃないのかな。あそこのは旨い。」知っていました。その職人、私に県人会に入れと言う。「だってオレは長野で生まれてないもん。」「同じようなもんだ。どうみても長野県人だ」酒飲みの理屈(笑)。

やがては酒も時代に翻弄されて変化を余儀なくされるのかな、と思う。

うちの近くにかつて酒造所がありました。平安時代には朝廷に献上する馬を育てていたあたりで、そこから近いところで温泉が出た。何か水がよかったのだろうと思う。私が越してきたころにはすでに無人でしたが、大きい屋根で、上に水鳥の瓦が一対載っていた。

そういうものは、作るほうばかりが頑張っているばかりでは残らない。消費者・受け手のほうもささえないと、みんなその短い機間のヒヨったものばかりになり、本筋が弱まりやがて全滅するおそれがある。

酒なども最近は英国の酒の会社が日本企業に買い取られ、東南アジアで作られて日本へ入ってくる。日本酒メーカーには頑張って欲しいものです。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>