その日も天善は明け六つに起き出し、飯炊き、掃除、洗濯を済ませ、さすがに世の中は休みの日であるからと、少々の朝寝を半時ほどした。
その眠りを破ったのは、錬鉄入道よりの知らせであった。
「拙者、六所宮まで遠乗りにまいった故、双輪術精進に必要なるもの拝領したき故、天狗山まで馳せ参じたく、、、」というものであった。
昨日は、紅毛人の旅の見送りに、早朝より、成田山の先の異国行きの空中船舶の港へとんぼがえりをしたばかりであった。病みあがりの身には堪えたが、六年ぶりの再会、はじめての来日、三日間のみの滞在となれば、見送りに行くより他はない。
錬鉄入道に細かなる細工物を渡し、夕刻よりは高幡山へ萬燈会へおもむく。これも、家に寝付く者おりしゆえ、祖父母、父の墓参もかなわぬため、手近なる寺にて、灯明と塔婆などたむけ、回向せんとするがため也。
高幡山の五重塔は提灯の火がともり、山門脇には茶の宗匠の薄茶のふるまいが行われていた。傍らには我が國最古と言われる嵯峨古流のいけばながあった。
「茶も菓子も仏教よりおこった。いけばなももとは神仏へのささげものからおこったわけであるから、これらのものから切り離してこれらの文化はない。
寺に来るとそれらのいにしえの文化が息づき、そこに豊かな日々の模範が見える。かつてはそこからの枝の上に個々の家、屋敷があり、部屋の中には仏壇や神棚が祀られていた。いまやそれも少なくなった。
それどころか、家へ入れば、『えれきてるじかけ』のものばかりが満ち溢れ、電子の薄箱からは絶え間なく商売の話とつかのまの享楽の嬌声が聞こえてくるばかりである。この広いところに塔を眺め、一服の茶をすするはなんと贅沢な時であることか。」
天善は塔を眺めつつ、茶を味わった。鉄馬は茶屋の裏の『馬だし』に繋いであった。その鉄馬だけが徳川様の時代にはないものであった。もっとも最後の徳川将軍は前の車輪の大きい『達磨車』に、脇に従者を「かち」でともなって乗る晩年であったが、遠い記憶である。
御前様が笙の音をともなって、御練で五重塔へ向かう。やがて火が起こされ、それが種火となって、五重塔の周りに蝋燭が燈される。
この日は天善にとって、何回か目の萬燈会であったが、初めての奇妙なことがあった。それは塔の四方が開けられたところへ掛けられた書画のうち、本堂の側に掛けられた弘法大師様の尊影の額にひとすじ汗が流れていた。天善は即座にそれに気がついた。最初は一寸ほど、それがやがて壱尺ほどの長さとなり、はじめは「影であろう」と思っていた考えが変わった。
読経を済まされた御前様も気がつかれたようで、お付のものにそれを指差し、上のほうを調べ、不審なお顔でそこを後にされた。
天善は蝋燭の願文をかくのにずいぶん迷った。この国の行く末、いまだ解決せぬ東北のほうしゃの毒のこと、それに苦しむ農民や漁師、まつりごとの秘密とそれの是非を検証する民の動きを封じる悪法のこと、それは国家安泰というような一言ではまとめられなかった。
未来のまがまがしきことを取り除かんと、お大師様が一心不乱に努力され汗をかかれたのか。この寺の不動尊は徳川様の時代「汗かき不動」と言われていたのをふと天善は思い出した。
東北のひとびとのいまだ解決せざる苦境のために天善も祈った。
ふと振り返ると、うら若き乙女と、若侍が立っていた。装束はだんだら、それは武士が死ぬる覚悟のときに穿く袴の色でもある。
「御免。つかぬことをお訊ね申すが、御手前の肖像を電脳瓦版に載せてはなにか不都合がござろうか?」
「いや、いっこうにかまわぬこと。して、その瓦版はいかなるところであがなうこと可能なりや?」
「それは英吉利式双輪生活、哉風武魯具なるものにてござれば、電子万能印籠にてもつきとめられよう。」
「承知。屯所に戻りますれば、探して拝見つかまつる。」
法要も済み、うら若き乙女たちと若侍、ともに池田屋の方角に向かいたれば、天善はきびすを返し、五重塔を離れ、群青流したる闇の川原の道を、一条の光を智剣となし、闇を切り開き、天狗山へと走り去った。