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Channel: 英国式自転車生活
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なぜ自転車なのか?

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私が自転車!と思い詰めてから45年以上が経過しました。やり始めた頃はアメリカで自転車が登り坂、島野も輸出でずいぶん潤って、それを注入して、三光舎やサンツアーへの遅れを取り戻したいと思っていた時代でした。

今から思うと、あの時代、多摩丘陵はどんどん崩されて、豊かな自然環境が消滅して来ていた。それを最も敏感に察知したのは、サワガニ、ザリガニ、亀、ヘビ、昆虫類などの『遊び仲間がどんどんいなくなってきた』のを感じたこどもたちであったと思います。それが私たちの世代。

あの頃、前のトーデンの会長のカツマタさんらの世代は、若手エリートでバリバリでそういう路線を推進する最前線にいたはず。それからしばらくしてタナカカクエイらが出てきて「日本列島を改造する」とぶちあげた。いまだに覚えていますが「我々はこの地球を作る彫刻家、芸術家だ」と、のたもうていた。

いまから考えると「かね」と書いた焼きゴテ当てて醜い傷跡のこしたんじゃないの、と言う気がする。

いまや、その世界にも稀な美しい自然を壊してつくったニュータウンは、すでに時代遅れ。どこの商店街もシャッター街。高齢者は孤独死する。学校は廃校となる。正味20年かそこいらしか活躍しなかったものを建てるのに失った『豊かな自然環境』の大きさになんともいえない寂寥感があります。

サンショウウオもサワガニも、キジもリスももはやいない。

1970年代、ラルフ・ネーダー氏やマスキー上院議員が言う「環境汚染」は、「まだ理論上のものに思えて、誰も自分の身にせまる身近な害としては意識していなかったと思う」。

あれから40数年。すぐ隣のビルが汚染大気で見えなくなるくらいの隣国の写真を見るようになり、それが日本まで到達するようになって、かなり『身近なものになったのではないか』?

この40年間いったい何をやってきたのか?

アメリカはAMCがペーサーとか小型車を作ったりしたがAMC自体が消滅した。大戦中ゼロ戦を分解してそれを検証して、対抗機種を作ったように、アメリカのビッグ3は日本車を分解して、ネジ1本までコストと品質を調べ上げ、『サターン計画』とか言って、「席巻する日本の小型車を打ち負かす」とぶちあげていたが立ち消えた。結局大型車のほうが儲かるから。あげく今では我が国の政府が日本の軽自動車の首をアメリカの言うままに締めようとしている。

米も安いものが無税で流れ込んでくるのを受け入れようとしている。そうなれば、さらに写真のように自然と調和した米作風景も自然環境も消滅するでしょう。100年前、イザベラ・バードらが、日本はどんな山奥に行っても庭園のように、田圃を軸として手入れがされている、と絶賛されたそういう風景が消滅する。そういうものが消滅したあと、ただ原宿以上の混雑した富士山を行列して登りに来る人だけで、観光立国なんて成立すると思いますか?おおよそ馬鹿馬鹿しい。京都の清水寺の前のみやげもの屋の雑踏ですら、先進諸国からの観光客からは顰蹙を買っている。

私が大学生の頃、社会人になった頃、「まだ自転車やってんの?」とあきれられた。

なかには自動車会社に入った仲間がいて、「自転車なんかじゃFUN TO DRIVEとかいう至上の楽しみはわからないでしょう」と言ってきたのがいた。「いや、自動車なんかで走っていても、スキーのように風の音だけで山を下り、グライダーのようにコーナーリングを滑空感覚で旋回する醍醐味、小道で花の香りに季節を感じることはないだろう。」とやりかえした。

そして隣国がやがては北米並の市場になると、自動車をガンガン輸出、現地工場を建てた。向こうは経済力をつけ威圧してくる。そういうふうに育てた産業界・経済界の人間がこの国にいる。

青空に壁は作れないから、いまやそういう排気ガスから世界の工場の汚染大気からすべてがやってくる。一年を通じてマスクをして歩く人がけっこう目に付く。自然環境は破壊され、雑木林は消え、植林した針葉樹林ばかりになり、それの枝払いもできず、春の花粉量は数十倍になった。春は花粉症、夏はスモッグとヒートアイランド現象、秋と冬はやはりPM2.5.それにゲンパツの汚染が加わって、冬は土ぼこりでセシウムも舞い上がる。

自動車を飛ばしまくって、家へ帰れば完全空調・オール電化生活で幸せなのか?

ところでその「FUN TO DRIVE発言の友人」、数十年たった今、もはやクルマの運転も出来ぬくらい健康が衰えてしまった。仕事でかかわりのあったある高名な自動車評論家の方は、肥満その他でもう成人病のデパート。ふとしたことから、その方が糖尿病の眼底出血で目がほとんど見えていないことがわかりました。そういう人は免許を返上するべきなのではないか?

それに対して、バイクと自転車と両方やるような人、自動車と自転車と両方やる人はだいたい健康です。

電気使いまくり、自動車乗りまくりで行き着く社会は不幸が一杯に見える。吸い込む空気が身の毛もよだつほど汚染され、魚も山の水も放射能汚染され、そこで幸福とハイタッチできるなどとはかなりオメデタイ。そんな世界には住みたくない。

「自転車を木の幹にする生活」としてみれば、滲み出る味わい深い生活がそこにある。自然と環境、自分の健康のありがたみがわかる。どんなに高級車なスポーツカーに乗っても、自分の体調が悪ければ楽しくないはず。

自転車はその健康を維持し、何か異変があれば警鐘を鳴らしてくれる。

そういう生活は、じつは花鳥風月をともとした過去の賢者たちの生活と深く一致し、その伝統の延長線上にあるといえる。自転車を選ぶということは、文明の方向にひとつの決断を示すことなのです。

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