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ここ数日の当ブログを読まれた方は『一連の流れ』を感じると思いますが、手作りの自転車というのは『別カテゴリーのもの』ということが言えると思う。
ガン吹きでスプレーで塗っているわけだから、静電塗装や粉体塗装のようにはゆかない。何重にも重ねて塗るわけで、そのたびに乾燥工程が入るため、どうしても垂れた部分やひっつきの部分も出来る可能性がある。「ここ垂れているので塗り直してください」というのでは塗師も怒る。
それをそういうものだ、と理解し、それ以外の自転車の乗り味であるとか、そういうところに重きを置く人にしかハンドビルトのものはむかない。
大きな誤解が、ハンドビルトを求める、最近雑誌やネット上の情報で入ってきた人たちの間にあると思うのですが、それは、
「自転車はレゴのようには出来ない」、と言うことです。
逆爪のフレームに日本のフルチェンケースは付けられません。日本のフルチェンケースは正爪のトラックエンド用で、スポーツ車のロードエンドには付けられない。車輪が入りませんから。
フレームサイズ460mmでカンティブレーキを付けてくれという人がいた。通常付きっこないんです。振り分けワイヤーの引きしろがなくなるんですから。その人『私はそう云うのを見ました』と頑強にいっていましたが、たとえミキストでそれをやっても真ん中のバックフォークでやれば、ブレーキにかかとが当たる。
うちでやった下引き直付け以外に道はないし、そういうサイズでの製作例はうち以前にはない。それは本来たいへんな話で、『考案』と『試作』までが含まれている作業といってよい。バケツの水を右から左に移すような作業で、問屋に電話して部品を取り寄せてできる話ではない。
昨年、「AのCHIさんのところで作ったんですが、気に入らないんでキャンセルしました」という人が来た。
CHIさんもたいへんだったろうな、と同情を禁じえなかった。材料費を価格の半分ほど使い、100時間以上のただ働きになったわけですから。経済的にも、心理的にもそうとうなプレッシャーだったでしょう。
本来ならば、通常やっていないスペックのものをオーダーされたら、3台作らないといけないはずです。
一台は強度試験を通して、もう一台は試乗してテストして、不具合を見て、3台目を納品するのが理想ではないのか。現実、そんなことをやっているオーダーメーカーはどこにもない。「3倍です」とはみんな言えないでしょう(笑)。
「パラトルーパーを10段変速にして、山岳用に使いたい。泥除けも付けたい」という人が来た。
完全に『レゴ発想』のド素人考えです。リアを5段の変速にするだけでもたいへんだ。中央部のフレーム・ジョイントをわきに伸ばさないと変速器が折りたたんだフロントホイールの中にぶつかってからまる。変速ワイヤ~をどう処理するかの考えもない。フレーム・ジョイントをわきへ伸ばせば、こんどは膝がしらが金具に当たる。
そもそも山岳用のMTBは頑丈に出来ている。分割機構をフレームに持つ自転車を、大きい負荷がかかる山岳で使おうという発想が誤っている。
28号にチェンケースを付けて欲しいという人もあとをたたない。
5000ページにならんとするこのブログでチェンケースの付いた28号と言うのは1台もない。私がそういうものに乗っていたという事実もない。それにもかかわらず、どうしてそういう注文が来るのかわからない。多段変速ではチェンが左右に動き、またローの側では上へ行きトップの側ではチェンが後ろ下がりに下がる。それをクリアするようなハーフケースは馬鹿でかくならざるおえない。そういう多段用変速用の一枚チェンケースと言うのも市場に存在しません。
「上半分しか覆わないタイプでも無いよりはいいんでお願いします」と言うのですが、1960年代から70年代、よく見たあれが廃れた理由は、右のズボンのすそがギアの上の部分でチェンに喰われて、ギアとチェンにはさまれることがあり、そうするとハーフケースがあるためにズボンを抜くことも出来なくなり、自転車から降りることも難しくなる。たぶんそこまでは考えていないのだろうと思う。
だからあの手のハーフガードは、フランスでも1950年代後半から1960年代初頭で息絶えている。最後までやっていたのはプジョーの婦人車だった記憶がある。それも72年ぐらいまでだったのではなかったか?背景には女性はスカートでスラックスで乗るばかりではないから許容範囲と考えたのだろう。
量産車でガード付きリア変速器式があるのは、数万台規模で量産するからできる。それがカッコ悪いからもっとカッコ良いものをオーダーでというのは無理がある。
もし、ズボンをかまれて抜けなくなり、それでアタフタしているところへ、後ろから自動車に引っ掛けれた時は、注文者と製作者とどちらの責任になるのか?そういう人は、耳年増の部品の知識だけ先へ進んだ限りなくシロウトに近い人だから、『製造物責任』とか言ってきかねない。
大御所、マイク・バロウズも多段変速が中に内蔵されたフルチェーンケース付きの自転車を台湾の会社に提案したが、ついに生産されることはなかった。世界最大のメーカーでもどうにもならなかった。
技研にいた故井上重則さんもそうとう苦しんだあげく西陣織で布のチェンケースを作りましたが、通常の多段式にはできなかった。プーリーが一つしかない変速器を使っていた。あれはチェンがコマ飛びする。苦肉の解決策といえる。それでもそうとう大き目だが、これがもしプーリーが2つある通常の変速器ならケースは巨大な物になる。このシングルプーリーは力をかけるとチェンがコマ飛びするので、現代の普通の変速器に慣れた人には使えないと思う。
『客の言う通りに作る』というのは、80年代から90年代にかけて、MTBなどの新興勢力に押されて、喰えなくなった一部のオーダーメーカーが「どんな面倒なことでもやります」と始めたことにすぎない。
これは微妙な問題を含んでいて、ひとつのオーダー車は注文主の自転車であるとともに、製作者のものでもあるわけです。顧客の注文通りカッコ悪いものを作ったら、『あそこの自転車はカッコ悪い』となる。
それを気にしないビルダーもいるし、気にするビルダーもいる。
いま、ものづくりとか言われていますが、いざ、始めてみると若い人たちには仕事がなかったりする。自転車という業種自体が、利益面で余裕がない。石にかじりついて頑張っている団塊の世代が一斉に抜けたらかなり大きな変化になるのではないか。
1960~1970年代、スチールのオーダーフレームで壊れるものもずいぶん見た。私はとても1年2年3年のビルダーに溶接をまかせる気になれない。あまりに怖い。イタリアで修行した某ビルダーさんも使用人の溶接の選手のフレームが壊れた時があって、すべての人を解雇して、自分一人で再出発したことがありました。規模拡大はハンドビルトの性質に本質的に合わないと私は思う。目が届かなくなる。
また、ハンドビルトと言えども、量産品のパーツの一部を流用しているわけで、その部品を『流用・転用不可能なスペック』で大勢が作り始めたら、そういうビルダー志望の若い世代も動きようがないだろうと思う。部品のスペックがほぼ同じになったら、より手間のかかるスチールフレームで労働賃金の安い国の製品と競争することになるわけですから。それを真っ向勝負を嫌って1960年代、70年代の部品でやろうというのは、半世紀も前の部品で新品を作ろうとすることになるわけで、とても通常の製品にはなりません。