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Channel: 英国式自転車生活
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ウィングナットのこと

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たまたまウィングナットのことを訊かれたので、ちょっと出しておきます。

自転車の車輪を取り付けるのに、工具が必要なナットを使わずに、チョウネジを使う場合がありました。

1970年代の前半までぐらいは趣味の自転車にけっこう使われていましたが、アメリカでバイコロジーブームが起こるにつれ、『車輪がはずれやすくて危険だ』と言う声も上がり、しだいにクィックレリーズ式のハブに駆逐されました。

フレームへの固定圧力はクィックレリーズの方が高い。

しかも、ウィングナットは定期的に緩みをチェックし、座金のヒビなどを調べる必要がある。

いわば『自己責任部品の権化』のようなものですが、私はそのたたずまいが実に好きなのです。

最初は、円形の水道の元栓のような感じのものでしたが、あまりに重いと言うことと、緩んでいるのが気が付きにくい。2方向に出ていれば、角の位置が変わっていれば、緩んでしまったことがわかる。

そこで出てきたのが丸棒を入れて溶接した『トミーバー式のウィングナット』。これも大変コストがかかる。そこでやがて鋳物で一気にカタチを作り、ネジを斬り、座金ワッシャーをかしめて留めるという3ステップでつくられるようになった。

このウィングナットには「時代の顔」がある。1920年代ならトミーバー式。20年代中頃から30年代初頭ならスクリュー型のもの。

30年代半ばを過ぎると、軽量化の穴をあけたものが多く出てくる。

もうひとタイプは、親指と手のひらを使ってゆるめたり締めたりする、英国特有の左右非対称型。

フランク・パターソンはスクリュー型を好んでいたようで、絵にはよくスクリュー型が出てくる。

カタログからの絵は1940年代のラレーのレコードエースのウィングナット。「R」の文字がウィングナットに図案化されて入っている。

フランスでは『蝶ねじ』なので『パピヨン』と言われています。

訴訟大国アメリカがマーケットの中で大きいので、安全性の観点から、たぶん、今後はますますウィングナット式のハブは見かけなくなるでしょう。

実に濃厚なヨーロッパの風情とエレガンスがあって、私は抵抗できないんですが。

ウィングナットは使いっぱなしに出来ません。イザというとき、シャフトとウィングナットが固着して、回してもシャフトと一緒にグルグル回って、片側しか緩められなくなることがある。そうなるとホイールがうまく外せない。

常にハブシャフトを綺麗にして、スムースにウィングナットが抜けるようにしておかないといけない。

ネジの変形があったらダイスを通しておく。ワイヤーブラシで無用なグリスや泥のこびりつきを落としておく気の使い方が必要です。

その意味において、ウィングナットを事故なく正しく使うということは、常に気を抜かず整備して日々乗ることにつながる。ナットやクイックシャフトなら、そのまま何か月も点検せず放置するのではないか。

ウイングナットの場合、私は乗り出すたびに締まり具合をチェックする。それが儀式としてためになる。

トゥリョ・カンパニョーロがウィングナットが外せなくて優勝を逃し、それがクィック・レリーズの発明の元となった話。じつは手がかじかんだのではなく、雪がこびりついて固着して外れなくなったのではないかな?と昔から考えていました。

ハブシャフトのネジ山に氷が詰まって、シャフトとウィングナットが一緒に回ってしまって緩められなくなったことが、私には実体験である。

手がかじかんでいても、ウィングナットは手のひらで回せますからね。

英国のEU離脱

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ゲストブックでも書きましたが、このところずっと英国はEUを離脱するだろうと私は周囲に言っていました。

それは現地の状況を見ていればわかることです。今日もずっと英国がEUにギリギリでとどまるだろうという観測をテレビや新聞がやっていたのが不思議でならなかった。

このところ、英国の若者の最低賃金は台湾のそれを下回っていた。それでもそう云う仕事を海外から移住してきた連中がとる。英国人は仕事もつけないか、最低ラインの生活へ落ちるか、どちらかを選択せねばならない状況になっていた。

そういう安い賃金でも仕事をする海外から流入した人たちがどういう暮らしをしているのか?

英国の北にBostonという場所がありますが、有名なスタンプと言われるタワーが建つ美しい街でした。いまは面影もない。歴史ある家に彼らは住み、トイレの修理もせず使い始め、床板をはがして床下に用を足すようなことをやっている。

多国籍企業は安い労働力を求めてうごめき、やがては先進国での労働賃金も安めで固定する。これは日本でも起こりつつあることだし、若い人たちはこころしておいたほうがよい。

EUとは何か?というと、私は、それは個人の民主主義のためのものではなく、『最大会社の最大幸福を追求するシステム』だと考えている。

EUではヨーロッパの人たちの生活に直接関係することのおよそ80%がブリュッセルで決められているにもかかわらず、それは個々人の集合体の意志によるものではなく、5万人を超えるロビイストと、そのEU本部のまわりに拠点を置く2500社を超える会社の利益によってあやつられているといってよい。

たとえば、フランスに大変美しい地域があり、そこを高速道路を通す計画があって、民間団体が反対していた。ところがそれを推進していた団体がEUとの2重構造になっていて、『ヨーロッパ円卓会議』なる団体が推し進めていたことがわかった。それは何か?というとドイツ、スイスの企業などが連名で名を連ねる集合体であったと言うようなこともありました。

EUの中のなまけものという評価のギリシャもドイツの餌食になっていた。ギリシャがEUに加盟した後、ドイツはギリシャに鉄道施設や地下鉄を売りまくった。ドイツの高級車もギリシャに売りまくって借金漬けにした。その地下鉄のアテネでの年間赤字だけでも10億ユーロになる(私の記憶違いでなければ)。

ドイツは自動車でも同様にローンを組ませてギリシャに「爆売り」していた。

いわば、多国籍企業の公共事業とEUがグルになっていた。

スペインにもまったく無人に近いニュータウンや、飛行機の発着していない空港が無駄につくられている。

そういう企業にとっては安く流入してくる移民は『安い労働力』として使い道がある。フランスが40年ほどまえ、労働力不足で旧フランス領から移民を大量にいれ、80年代の不況時に追い返そうとして「脚の黒い連中」(ピエ・ノワール)といって嫌がらせの限りを尽くしたのと背景は似ている。

英国はその流れにNOと言ったわけです。多国籍企業はヨーロッパの移民問題とは一線を引いているところに本拠を置いているところも少なくないので、文化的衝突などは知ったことではない。

ギリシャでは、『ドイツは第一次世界大戦の後、賠償金で借金漬けにされてたいへんになった歴史がありながら、なぜ同じことをギリシャにしたのか』とたいへん評判が悪い。

今回の英国のEU離脱でどうでしょうね。『ゲルマン・ロールス』とか『マルチン・ベントレー』などはドイツと英国でキャッチボールをやって組み立てなどは出来なくなるでしょう。ドイツはただでさえ排ガスの不正問題で揺れていたので、かなりの苦戦になるでしょう。

隣国Bはギリシャの国家財政が破綻した時、ギリシャの港湾を買いまくっていた。輸出の橋頭保にしようと狙っていたのでしょう。そのあと、英国に接近した。これは英国離脱の可能性を視野に入れて行動していたとしか思えない。

1980~1990年代、ケンブリッジでは隣国Bの学生たちが『爆増』していました。90年代には日本人の語学留学生を足した数より多くなっていたのを記憶している。

私はそのころ、日本でたまに日本語を教えるのを頼まれていたので、日本へ来ていた学生と、そのあまりの学生の質の差に驚いたことがあった。「これは技術を根こそぎもって帰らせるために、最も優秀なのを送りこんでいるな」と思った。そうとうしたたかです。

いまや、世界各国から情報を仕入れ、取りまとめ、「世界最速の電子ずのー」をつくるまでになった。

ところが日本では、今朝まで、『残留がギリギリで勝つ』と希望的観測を流していたていたらく。犬あっちイケーも株の話などばかり。目先の金のことしか頭にないのか?世界戦略が我が国は弱くないか?

私は『慰めの報酬』以来、ボンド映画はEUの多国籍企業をパロっていると思っていた。「タコのマークの多国籍企業」(笑)。

そういうものと戦う男が五輪のオープニングで女王陛下と一緒に出てくるというのは、そういう国民感情に国がまとまってきているというあらわれだろうと観察していた。英国銀行はかつて仕手筋にやられているし、サッチャーが水を呼び込んだビッグバンの爆血経済にも愛想が尽きたというところだろうと思う。

目先の損をかえりみず、よく決断したと思う。あっぱれだ。今日はペール・エールで乾杯です。

栄養があってカロリーが低いもの

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いまや10代、20代のように代謝がさかんではないので、滋養栄養豊富でカロリー低め、量少な目というのが欲しくなります。

なかなかそういうものはない。私が最近「あなどれない!よくぞ考えたと思うのが『ばくだん丼』」です。

あっさりさっぱり済ませたい時は、これにするか蕎麦にするか。ばくだん丼のごはん少な目で五穀米というのがけっこういけます。海外の人にはすすめられない。『スライミーで変だ』と言われるに決まっている。

盛り上げ蕎麦は前回も載せましたが、これは店によってかなり個性がある。

ここにアップしたのはアユの天麩羅とごぼうの天麩羅がついてきました。

梅雨の時期から夏にかけては和食がしっくりきます。天候と食べ物の相性もある気がする。

夕暮れ時の鏡の田圃

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今の時期、夕暮れ時などにふと雨が止んだ時、田圃が実に美しい。

なんともいえない銀色に静まり返って、田圃に空がとりこまれたようだ。

蛙はまだ鳴き始めない。

天気予報のなかった昔、こういう景色から明日のことを思ったのだろう。

思って見ても、昔は明日の天気は明日になって見ないとやはりわからない。

自分も天気予報を見ていなかった日などに朝起きて意外に思う時がある。

こういう景色を見ていると、昔の人の時間感覚に身を浸すことが出来る。

イメージ力の重要性

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まあ、我々のように趣味と仕事がくっついている人は、毎日のように自転車に乗るわけですが、事故を起こさない人は何十年間も事故を起こさない。一方で、年中行事のように定期的に大きい落車や事故を起こす人がいるのが興味深い。

長年の観察から、これは上手いとか下手とか言うのではない。運動能力の高い低いでもない。その人のイメージ力の良し悪しにかかっているという気がものすごくする。

ヘンな話、私は『いまここでブレーキワイヤーが切れたら?』とか、『ステムが折れたら?』とか、『ブレーキのバーチカルボルトの頭が飛んだら?』とか考えることがある(笑)。

実際、PIVOやAVAのステムやハンドルが折れたことはあるし、CLBのブレーキ・チドリが『ごそっ』と振り分けワイヤーをくわえているアゴがもげたことがある。

GBのアルミのスペアポイントのステムですら、クランプヘッドのボルト部分に『ピシッ』とヒビがはいって、ハンドルバーがずりっと回ってしまってひやっとしたことがある。

それでもいまだに生きているということは、『なにかあっても、なんとかなる範囲でしか飛ばさない』という自分の性格によるところが大きいと思う。

道路に木の板が落ちていると、『気が付かない釘かトゲが出ていてそれでパンクするかもしれない』と慎重に避ける。まわりに釘が落ちているかもしれないと疑う。

プラスチックが落ちていたら、『その上で滑るかもしれない』とか『踏んだ瞬間に割れて、タイヤサイドを破るかもしれない』と思う。

それ以外にも車道から歩道へ上がる時、斜めの部分に黄色い塗料が塗ってあることがありますが、それで前輪が滑って流れるかもしれないと用心する。カーブの途中にマンホールのふたがあれば、その上でスリップするかもしれないと考える。

こういうことに注意を払う人は、めったに事故を起こさない。

こうしたイメージ力は、自転車に乗っていた先での故障にも及ぶ。

私は『ショップへ修理を頼みに入ることが難しいエリア』へ乗ってゆくときは、いつもの工具に、さらにニップル回しとチェン切り、場合によっては針金とプライヤーを持ってゆく。針金とプライヤーがあれば、切れたチェンが詰められない時でも、針金で縛ってきざ踏みで、店のあるところ、あるいはデポできるところまで走れます。左右のスポークだけでは調整できない時でも、針金とプライヤーがあれば、切れたスポークをつなげて暫定修理できる。

これは私の場合、海外旅行の時などにも、危険回避にイメージ力を大いに活用してきた。

インドで氷の入った飲み物は決して飲みませんでしたが、『牛のふんまみれの路上で切った氷ではあるまいな?』と疑ったから。実際、そういう場面をよく目撃した。

ロンドンとかニューヨークとかは危険なエリアは雰囲気でわかりますが、「あっ、ここから先は危ない」というのが国によってはわからない。

危険地帯では、その場所に溶け込む古着を買ってカモフラージュして、『現地人になりすます』。ショルダーバッグはコートの下にかけてスリ、ひったくりを防ぐ。

飛び歩いていた頃は、何かあっても、窮地脱出が出来るように、ヨーロッパではベルトの中に1000ポンド(当時は20数万円の価値があった)とパスポートナンバー、友人の緊急連絡先を書いた紙を入れ、即座に換金して数十万円ぐらいになる腕時計をしていた。これも良し悪しで、目立たないものの方がよい。

『君子危うきに近寄らず』。場所でも人でも(笑)。

インターネットは顔が見えないので、どこからどういう人が来るかわからない。そういうのが来ないように、検索にかからないようにしたりして、自分のブログではそうとう気を使って書いているのですが、私が言及を避けていたことを、私以外の他人が書きこんだことをきっかけに、そういう人が引き込まれることがある。私のブログはほとんどあれたことがないにもかかわらずです。これはたぶん、危険の先が読めないのだと思う。

武道のほうでは、香取神道流などを筆頭として、入門時によろしくない場所に出入りするな、口論するな、などと血判署名をさせられるところがある。口論は多くの場合、先を読まずにうつ将棋のようなものだと私は思う。

ヨーロッパ言語では、論争の時最後の結論まで、『ピカッと光って一筋に見えていないといけない』。日本人が苦手とするところで、自説のおかしいところをスパッとやられても、いつまでもしつこくやってくる。

否定的な、うさばらしの鬱憤が背景にあると、じつに敏感に反応して、鬱憤を晴らしたい他者が果物の皮に『コバエ』がやってくるように集まってくるから不思議です。

印刷物の場合、出版社の内部で『読み合わせ』をして、校正、ねじこまれたとき反論できるか?などを一応チェックする。インターネット上では、プロと違って多くの人が先読みが出来ない。

その議論がどういう展開をするかのイメージ力が足りない人がこのごろ多い気がする。

黒い蝶は縁起が良い

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英国では黒い蝶は縁起が良い。

その黒アゲハが駅の券売機のところをヒラヒラ飛んでいました。

電車に乗ってどこかへ行くつもりらしい。

井の頭公園のほうから飛んできたのでしょうが珍しいことです。はじめてみた。

さらに、私の手の上にとまった。

瑞兆じゃ(笑)。

このごろ何でも瑞兆じゃ(爆)。

チョコは灰色の脳細胞に効く

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週末は2日半で5台分のホイールをカタチにして、1台を納車し、1台分のホイールを手渡し、あとは部品の塗装のあがりを待って、出荷待ち。

泥除けの部品が足りないかったのですが、問屋に頼むと月曜日まで待って、それから発注、出荷待ちになるので3日遅れる。まあ、仕方がないので、日曜日だけれど邊呂工芸のOTZさんのところへ買いに行った。

近所にお醤油を借りに行く感覚(爆)。

そうしたら、道すがら、何のお店かわからなかった店がチョコレート屋であることを今日はじめて発見。

疲れた時、とくに精神的疲労には甘いものがきく。

ここは原料のカカオからチョコレートにするまで、すべて自分のところでやっている。

ちょっと料理のように盛り付けて出てきました。

チョコレートの利いたカヌレのようなものの中にベリーが入っていたり、ホワイトチョコレートのカップの中にベリーが入っていたり、一皿で多様な味が楽しめる。

こういうのもなかなかいけます。

修と証

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半年ぐらい前、うちへよく来る若い自転車乗りが面白いことを言いました。
「なんだか、いろいろと雑誌の言う通りに調整して、身体を鍛え続けていれば、ある日突然股間の痛みも、首の痛みも、腰の痛みも、親指と人差し指の間の痛みもすべてまったくなくなるって信じているうちに、自転車をやめてしまう人が多いのでビックリしています。」
私は爆笑したのですが、半面残念なことだと思う。

インドで地面の中に管をくわえて頭をうずめている『行』をみましたが、正直、虚しいなと思った。インドでほかにも、何年も片足しか使わないで歩くとか、いろいろなタイプの『荒行』を見た。

お釈迦様はそういう苦行の意味のないことに、自分自身断食を続けていて、動けなくなって、村娘の介護を受けて助けられ、気が付いたと言われている。

禅では「人はみな、それぞれが夜(比喩的に光がさしてこない闇)のなかで光る玉を持っている」と考える。

その玉がいまだに光らなくても、それを手にしているのに、どうして迷うことがあるのか?

ふと、自分のこころでたしかにものが見えるようになった時、空の谷には神の声がとどろくごとくに見え、すべてのものは千の太陽に照らされたかのごとくあきらかに見えてくる。

名利とか、人より速く走ろうとか、たくさんの宝のごとき自転車を集めて世に知られようとか、私はそう言うことに興味はない。

禅的にいえば、「修」の外部のどこかよそにある「証」などには私は関心がない。

毎日身体を鍛えて、人より速くなろうと思ったところで、どこか未来で何かが手に入るものでもない。どんなに鍛えても『老い』は必ず追いつく。

自転車で水辺へ行く。自分自身のカタチを持たない水は地形により、どんなカタチにもなる。池になったり沼になったり、川になったり。その表が静かならば、大空をも映してとりこむ。

頭の中にふつふつを沸き起こる世事のさまざまなことを払い落し、水面を眺むれば、自分の有限な一生の10分、15分などという時間枠が消える。

空と自分と水にわけへだてはなく、自然と一体となったやすらぎがある。

たぶん、人がこの世を去る時に思うべきは、この自然の懐へもどる感覚なのだろう。

自転車に乗ることを荒行のごとく、あるいはそれを続けていれば、どこかで悟れるというのは少々おかしくはないか。

その自然の本体と自分が一体と感じることこそが「証」であり、果報と私は考えている。「証」は「修」を続けるかぎり手の中の珠のようにそれを楽しめる。

私はそれの手助けとなるように自転車をつくっているわけで、それに高級部品を入れれば最高無上になるとか、部品の入れ替えごときで自分がそれを生み出したかのごとくいうのは虚しくないか。

自転車に乗り、頭上を見上げれば、カナブンが樹液を争って喧嘩をしている。

ちくわをどこかから拾ってきたカラスがいる。

カナブンも所詮は巨大な樹々の手に握られている。風の声に耳を澄ますこともないだろう。

カラスは餌があるゴミ捨て場ばかりをのぞいている。

禅では『瓦を磨いて鏡を作ろうとする』というたとえを使いますが、頭や知識でひねった見方では、林や谷を抜ける風、道端の花一輪、水の表面に本当の意味で幽玄をみて感動することは難しいだろう。

忘筅者乎然則諸流位

可識若又向上者来

即更施不伝双輪妙

雲破月来池

虹いもむし

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出がけに自転車のわきに芋虫が。

氏素性不明。なにしろ芋虫は、芋虫時代に5回も6回もまったく違う姿に変わる。

この人は誰かな???

ビードロスズメかヤマキマダラヒカゲかどちらかだろうと思う。

しかし、芋虫のわきに虹が出ていた。

瑞兆だ(笑)。

毎日なんでも瑞兆だ(爆)。

食欲旺盛なビードロスズメかもしれないが、何かの役にはたっているのだろう、もしかしたら風情あるヤマキマダラヒカゲかもしれないし。

脇の草むらに放してやった。

暑い時にあつ~いお茶

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今日は驚いたことに、初アブラゼミを聞きました。

我が耳を疑った。『じ・じ・じ・じ・、、、じじっ、ジョワッ』でおしまい。

まだ、この気候ではゼンマイが巻けないのか?この時期のアブラゼミは生まれて初めてだ。

このくらいの暑さになると、私は熱い緑茶がピッタリくる。それに冷やした寒天系のもの。

裏ワザとしては、梅干しでお茶と言うのもなかなかよいものです。

汚れて完結するもの

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私の世代、小学校から中学校にかけて奇妙な習慣がありました。

床屋へ行きたての学友が歩いているのを見つけると、後ろからタッタッタと近づいて、頭の後ろを下から上へジョリっと逆なでして『お初ぅ~~~』と言って逃げる(笑)。

全国的なものかどうかわかりませんが、おろしたての靴や服、刈りたての頭には気恥ずかしいものがあった。

スコップなどはどうせ土で汚れるものですが、新品の時は塗装が垂れていたりして、どうもしっくりこない。それが使いこんでくると、いい具合に全体がしっくり行く。

これはスポングの珈琲ミルなどもそうで、使い込むほどに味が出てくる。

自動車でも農村のピックアップなどはじつに良いやつれかたをしたものがあった。最近は見ない。

私は高校時代ごろから、『自転車にもお初ぅ~~の恥ずかしさがある』というのを感じていた。

白洲次郎がどこかで「ツィードのジャケットは1年ぐらい軒下にぶら下げておくといい具合になる」と言っていた。これもやはり「お初ぅ~~」は恥ずかしいのとどこか通じる。

これはなかなか難しいことでして、『そういう経年変化に耐えるように最初から考えてある物』とそうでないものがある。

塗料一つとってもそうで、メラニン系のものは昔ながらのしっとりとした感じで、焼き物のように古びて行く。自動車で使われているものを自転車で使うと、新品の頃はきれはよいが、古くなっても味が出てこない。

塗り方もいろいろで、古い英国の自転車のフレームは、ものすごく薄くといた塗料の槽のなかに何度もどっぷり漬けてくぐらせて、ある程度の厚みを持たせてから窯で焼いているようなものもあった。

それは塗装を透かして下の鉄味がみえる。そういうものはむやみに塗り替えてはいけない。

マスプロメーカーの一部には、かつて一時期の宮田のように高い電圧をかけて静電塗装をして、それを赤外線の窯で焼きつけるようなこともやっていた。なんとも吸い込まれるように美しい、表面が飴のように微妙にゆらゆらした感じで実に良かった。もう何年も見かけていません。宮田も工場を移転した時、引き込んでいる電線の電圧管理が引っ越し先では難しく、やめてしまったいきさつがある。

そういうものはメーカーですら難しかったのだから、いくらコンディションが悪くても塗り替えるべきではないだろう。スプレーガンでやったものとは風情がまったく違う。

やれて貫禄があって、汚らしい、みすぼらしい感じがせず、逆に威厳があると感じさせるように使いこむのも、また達人の証だと思う。

5年経っても10年経っても、新品に見えるというのはキャプテン・スカーレットの『ミステロンの基地みたいだ』と思う(笑)。

自分の居場所

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月曜日の夜、ある場所で「R&Fさんは今年の夏は英国へ行かないんですか?」と言われた。

「海外旅行っていう雰囲気じゃないね。忙しいし、親も高齢で具合が悪いし、海外も正直飽きた。」
「ははは。でも海外へ移住とかはどうですか?」
「どこへ???アメリカはさんざん仕事で毎年行って嫌いな国であることがはっきりしているし、オーストラリアもサーファーならいいだろうが、オレは退屈するね。話してると国中の人がロンドンのタクシーの運転手みたいな錯覚をおぼえるよ。」
「アッハッハ。」

オーストラリアもけっこう行った。しかし、美術館のレベルは低い、音楽会はあまりない。本屋もない。ブルーマウンテンへ行っても、樹々がほとんどユーカリなので、森に日本のような変化と深みがない。ずいぶん退屈した。林の中を疾走しているゲッコー(とかげ)が面白かったぐらい。自転車関係者にはじつにライフスタイルに自転車を取り入れずらい都市計画になっている。アメリカと似たところがあると思う。

中東は『思想警察みたいな宗教関係者』が耳をそばだてていて、あそこへ移住しようとか住みたいと思わない。LUXの石鹸のパッケージの女性の髪や口もとが黒いマジックで塗りつぶしてあるほどだ。

シンガポールは狭くて飽きた。タイはクルマが混み過ぎ、ポン引き多すぎ。どうも危ない感じがする。日本人でタイとかインドネシアに移住した人は自殺率が高いので有名だ。

メキシコや南米はまったく論外。私のいとこが商社の仕事で南米に行った時、空港から直接監獄へ送られ、『金を出せば出してやる』と言われた。さいわい取引先が手を回して出してもらえたが、入管の場所にまで腐敗と賄賂がはびこっているぐらいだからあとは推して知るべし。

インドもいまはどうかわかりませんが、私は空港の税関で「どうして貴男はこんなにたくさんボールペンを持っているのか?私は一本しか持っていない。貴男の持っているボールペンの半分を私にくれてもいいだろう、としつこく言われて困った(笑)。毒蛇はいるし。暑すぎる。

「イタリアはどうです?」
「北ならいいな。南フランスもいい。エクス。コートダジュールは最近ロシア人と宙獄人ばっかりだし。エクスかアビニヨンかな。」
マルセイユもかなり危ない。しかし、コートダジュールはロシアのスーパー金持ちの悪党がかなりひどい犯罪を起こすのが問題になっている。

英国はいいんですが、あまり外国へ行った気がしない。『成田の20km先』みたいな感じ(笑)。

昔、おおば比呂志氏がオランダへ移住してビックリした。私はオランダに親友が多いけれど、私はオランダ語は話せない。けっこうハードルが高い。移住するなどおよびもつかない。その国の言葉が出来ないところへ移住するという気がまったくおきません。

その国で自分はいったい何が出来るのか?

1980年代後半、東京のあちこちに英国風のパブが出来ましたが、そこに必ずフリーペーパーが置いてあった。その後ろに膨大な数の日本人女性の欧米人とのお付き合い、国際結婚をして海外移住をしたいという個人広告が出ていた。毎週何百と言う桁で出ていたのを覚えている。

これはどうなのか?自分の家が気に入らなくて、居心地のいい隣の家へ住まわせてもらいに行くようなものではないのか?

その人が家に何らかの貢献ができ、素晴らしい人格者か、才能がある人なら、『いつまででもいてください』と言われるだろう。その家の決まり事をよく守り、その家の人のようにふるまうなら、貢献ができる限りはいてもよいと言われるだろう。

英国は非常にその点がしっかり、はっきりしている。英国人と同じような服装コードを守り、教養があり、英国英語が英国人並みに話せれば、英国の人として扱ってもらえる。生まれも外観も問題ではない。

意外なことに私が『よそものでないと感じられたのは、英国とイタリアとイランである』。

スイスとドイツはダメでした。ドイツではよく「ここは日本じゃないんだぞ、もうすこしまっとうなドイツ語を話せ」と言われた(笑)。ささいな駅名の発音の間違いもドイツでは許容されない感じ。また「日本人の女性はドイツ人なみに美しいのがいるが、日本人男性はまったくダメだ」と、何人かに面と向かって言われた。英国とかイタリアでそんな無礼なことを言われたことは一度もない。

「あ~~、ドイツは絶対無理」と思った(笑)。

同じように見えてオーストリアとハンガリーは全然違う。彼らはきわめて寛大でひらけている。

語学をやっている人に密かに教えておきますと、『イタリアとオーストリアでは、正調の英国英語の神通力が通じる』。イタリアのサドル屋のメネゲッリも会って10秒で「良い英国英語を話すじゃないか」と言われた。イタリアとオーストリアでは英国英語でドアのカギが開く」。

ドイツではしばしば『英国で勉強したのか?英国人はそこで、どうしてそういう言い回しをするのか?ドイツ人はこういう風に論理的に、かつ簡略に英語を話してもしゃべるものだ』、とか言われた。

うるさいんです。彼らは(笑)。ミュンヘンへ、私の英国人のドイツの会社へ入った友人がシュトゥットガルツから来た時、そこにいたドイツの関係者が突然、
「君たちが食べているソーセージは本物ではない。とくに英国のソーセージはな。本物のソーセージを食べさせてやろう」
とお湯に白いソーセージが浮かんでいるのを出すところへ朝から連れて行かれた。
「これはこれで美味いが、英国のソーセージとは別の料理ですね。でもどうかな?日本人はこの大きさのソーセージは気味悪がるかもしれませんよ。私は日本食の量になれているから英国のものが好きだな。」
と言って、ちょっとからかってやった(爆)。

なんでもメルケル首相が英国のEU離脱で『英国のいいとこどりは許さない』と言ったそうですが、トマトやオレンジをささやかに売って幸福に暮らしていたギリシャに、ドイツと同じ貨幣単位を持ちこんで、地下鉄やら鉄道だのを大量に売りこんで財政破綻させたドイツの経済いいとこどリは許さないという気持ちが私などはある。

ロールスとかベントレーとかの名前を買い取って、ドイツ車のプラットフォームを使っておいしい汁を吸う商売もこれを機会に考え直せという感じです。

東欧の人も中東の人も、英国を目指してたいへんな人数がやって来た。本来は自分の国を争いがなく、世界中から旅行者が来たくなるくらいに作り上げるべきだったのではないか?

私もそう言っている以上、ぎりぎりまで日本で頑張る。

爆笑EU問題

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なんでも今日の午後のニュースで、EUの公用語から英語を外そうという話が出ているらしい。

英国の離脱でEUもさすがに困ったんでしょう。主要言語をドイツ語とフランス語にというつもりなのでしょうが、ずいぶんヒステリックなことを言い始めたものだと笑ってしまった。

EUの加盟国の中にはアイルランドなどは第二次世界大戦中ヒトラーをサポートしていましたが、彼らが登録しているゲーリック語がヨーロッパで通じるはずはない。またEUとの公式文書でフランス語やドイツ語ですべてをやれるほど、この2か国語が出来る数の人員はいない。

EUと貿易をしている国々のアフリカ諸国、インド、中東諸国がこれからドイツ語をやりますか?無理でしょう。

これは日本でも同じなのではないか?半年ほど前、日本のモーターサイクル・メーカーの人でイタリア在留の人がうちへきましたが、あるレストランへ一緒に行って、イタリア人の方に紹介した。イタリア語がほとんどできませんでした。

みんな国際語は英語なのです。

ギリシャの人や、第二次世界大戦中にドイツにやられた東ヨーロッパの人たちがドイツ語をやるはずがない。フランス語も歴史的に縁がない。

しかし、どうでしょうね。私はフランスとイタリアもEUから離れて行くのではないか?という気がする。

今ですら、ベルギーに伊須羅武京都(なかなかいい誤変換だ)が増えていて、フランス、オランダへ逃げ込んでくる人があとをたたない。ベルギーはあと15年ぐらいで過半数が伊須羅武京都になると予測されている。そうするとEU本部の存在も変わらざるおえないでしょう。

そうなると、どこへ移すかで、たとえフランスが残留しても、ドイツとフランスの綱引きがはじまるだろうし、フランス、ドイツ、どちらが優勢になってもオランダは面白くない。イタリアも面白くないでしょう。自動車産業でイタリアはさんざんドイツにやられましたから。一方でドイツにはコーチビルダーがいなかったので、伝統的にマスプロ前の試作車のボディの叩き出しはイタリアの職人をあてにしてきた。

日本のメーカもドイツのメーカーと提携して、ドイツが日本のものを吸収しただけで、ドイツの技術は何一つ日本へ渡さず提携が空中分解したのはご存じの通り。

ドイツの自動車メーカーは英国のロングブリッジの工場でもっとひどいことをやった。

日本では30年ぐらい前から、『数年後にヨーロッパの言語はドイツ語一色になる』と言われてきましたが、そういう日はいまだに来ていない。あのころ、アメリカ語でなく英国英語をやっていた私はさんざんドイツ語派にバカにされていたものでした(笑)。

あの時代の先読み派はみんな60過ぎて引退時期だから、日本も対応できないしょう。

書類仕事が煩雑化し、ギリシャ、東欧圏はますますEUのお荷物になると私は思う。EUの公共事業で無人のニュータウンやクルマの来ない高速道路をばかばか作った借金まみれのスペインも同様、お荷物でしょう。

国の産業における自動車産業の比率はドイツは英国やフランスより突出して高い。日本の隣国Bでもバブルがはじけつつあり、若者の自動車離れがはじまっている。それに加えて排ガス不正問題をかかえている。ドイツの自動車メーカーは日本の隣国Bに大規模進出しているのはご存じの通り。日本は隣国がドイツの技術で安い価格でぶつけてきた時のことを考えておくべきだろう。

EUはドイツの泥船になりかねない。

私はもう晩年なので関係ありません。若い人たちはどの外国語を選択するかで明暗分かれるでしょう。

私はいまさらドイツ語を学び直す気はさらさらない。やったところでドイツ文学の巨匠に、私が面白いと思う人はいない。ヘッセはティンエ―ジャー向けだし、ニーチェは翻訳で全作品読んだからもういい。

今、ちまたで噂のフリーメイソンだった、ゲーテぐらいしか巨匠が思い浮かばない(笑)。

シェークスピアなら、彼の作り上げた人物フォルスタッフに、今こう言わせたかもしれない。
『英語をEUから追放する?それはこの知恵とユーモアあふれるフォルスタッフを追放するも同じ。この世界から地球を追放するようなもんです。』(爆)

夏越の祓

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タイトルは「なごしのはらえ」と読みます。正月から溜まった罪穢れを、これからくる夏に備えて清める。

毎年6月30日に行われます。

茅の輪をくぐり、人形(ひとがた)に名前を書き、息を吹きかけてそちらによろしくないものをうつすと言ったらよいのでしょうか。それを祓って清めてもらう。

不思議なもので、似たような習慣はヨーロッパにもある。自分の痛いところを釘でさすり、その釘を材木などに打ち付けて、そちらへ悪いものを移す。

これから夏に向かい、悪い流行り病も昔は多かったでしょうから、この時期に家をきれいにして、自分の身も神社で清め、心機一転する。理に適っていると思う。

雅楽の生演奏もはいって、なかなか風情があります。

いつも寄る店の主人と雑談。今年は神社の裏に生えている榊の葉の色がよくないという話をした。

ずいぶんぷちぷちと茶色になっているものが多い。

「へぇ~。榊が植わってるんですか、知らなかったわ。」
「神社はいつも使うから、そういう木々がないと困るでしょ。」
「私は、お花屋さんで買うんですよ。」
「売ってるんだ。」
「でも、なくなるときもあるし、いまはほとんど1日しかあげてません。お水をかえて、切り花用の薬を入れても2週間かな。15日と月に2回はあげたいんですけどね。ごめんなさいで、出来ない時もあります。」
「ベランダで家庭榊育てるとか。」
「いいかもしれない!スマホで調べちゃいますよ。」

私は植えた榊から、その木がなくなってしまわないペースで枝をもらうというシステムは素晴らしいと思う。人間の生活には自然がかかせず、その消費と、それを可能にする背景の自然のバランスが崩れた時、神さまにも不義理をするという教訓が含まれていると思う。

なんとか早めに仕事を終えて、午後5時からの大祓の神事に間に合いました。久しぶりに28号のフロントギアをアウター(52T)にいれてとばしました(笑)。

路地の野生

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たとえばですよ。銀座通りにねこが歩いているのを見かけたことがありません。

あるいはビッチリとビルが密集しているエリアにいるねこは不幸だろうなと思う。

意外なことに外神田や御徒町にはねこがいる。しかしまったりする場所もなく、ノラと店ねこの半々ぐらいの生活らしい。

今日、自転車で抜けて行ったあたりには路地がある。そこそこの小さい自然があって、店先で寝ていても、スマホで写真を撮る人はいても、だれも追わない。

昔ながらの日本の商店街ののどかさがある。

こういうのは徒歩か自転車でないと出くわさない。

あとをついてゆくと、いつも面白いと思うのは、『ねこは咲いた花を眺める』ということ。

香りが面白いのかもしれませんが、たしかに眺めている。

ねこですら、残されたわずかな自然を愛でている。

流行り廃りのサイクル

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先週末に自転車を納品した時、いろいろな話を喫茶店でしたのですが、その時に『角目ジャギュアが意外によく出来ていて、最近評価が上がっている』という話になりました。

『でもあれは計器がデジタルだから、経年でメーターが逝っていたら難しいでしょう?』
という話をした。

ヴィカレッジに持ち込んで、ウッドパネルをやりなおし、スミスかイェーガーの丸メーターにする話をしていました。

サー・ウィリアム・ライオンズが承認した最後のデザイン。あのあっさりした、直線基調とも曲線基調とも言い難いなかにある気品は、私は英国ならではだと思う。英国の18世紀の家具にも通じるライン。他国のデザイナーでは決して出てこない。

ここ1週間ばかりポンドが下がったので、自転車の部品を英国から買いまくった(笑)。

何の部品を買ったかは、ブログで教えると『闇夜の斬りあい』になるので教えない(爆)。

私の周りの仲間にも何を買うべきか教えた。

おととい、『何にほんとうの値打ちがあるのか?何を持つべきか?』という話を夕食の時にしていました。

私はだいたい『見捨てられているものの中から砂金を見つける』のをやってきた。

1986年頃、私がHETCHINSをよく買っていたのは、『安かったから』。ぺィヴィの親爺のところに行くと紙巻の未使用のものが4~6万円であった。当時、日本で3倍だしても互角のものはむずかしかった。

ずいぶんたくさん買って勉強させてもらった。

私はいつも、評価されないうちに買って、値段が出たら手放し、残すべき上澄みだけを手元に置く。

流行り廃りはサイクルがあり、『所有してみると飽きて、学習して、手放す』という流れで、しだいにある種の評価と情報が拡散してゆくものだと思う。

英国人はそのあたりはかなりクールに見るので、HETCHINSとかサンビームは何のためらいもなく売る(笑)。残そうとするのは1929~1930年のスポーティング・サンビームぐらい。

ジャグもジョン・イーガンがいた時代の電気部品の接点改良をしたころのものは人気だが、ほかの時代のものはけっこうク-ルに見えている。良くない部分をしっかり認識しているので、イーグル・スピードスターのようなものを造る。

英国のアンティックで価格が下がったことがないのは、シェークスピアの時代のオークの家具。

これは『階段』のように、ず~~っと横ばいで、ある時ストンとあがる。

これはどこの国でも同じなのではないか?ボッティチェリの後世の加筆のない作品などは、まず売り物がない。レオナルドやミケランジェロの絵も金銭的な価値を超えている。フェルメールなども同様です。

一方で、いま徐々に『超細密写実』がじわじわと上がってきて、ある種の抽象画がじわじわと後退してきてる。画廊が逃げ切ろうとしてけっこうポップなものとかを売りに出している。

コンテンポラリーのものが必ずしも将来安定しているとは言えない。

自転車の世界でも、19世紀末のクリムトの時代のユーゲンシュティールのウィーン時代のラッオネのヘッドランプ付きなどは入手は不可能。

1980年代、モーターサイクルの古い物が異様に安くなっていた。それは英国の不況と、『今後、内燃機関のついた乗り物はねうちがあり続けるのか?』という疑念が根深くあったからでしょう。

それがのちにバブルの波がきて、余剰の金が行き場を求めて内燃機関付き乗り物の価格を押し上げた。それが下がって、また21世紀になって上がって、と上下動を繰り返している。

しかし、どうでしょう。私はいま内燃機関付きの乗り物にほとんど興味がありません。『観れればいい』ぐらいで、自分で所有しようという気が起きない。これは自動車の大幅消費拡大が起こった隣国ですら、若者の自動車離れが起こっている。日本もモーターサイクル人口は激減中。ホンダがサーキットのミュージアムを閉めたぐらいですから。

60~70年代の自転車部品の価格を、その時代に少年期を過ごした団塊世代が支えたように、いまの内燃機関の高価格のものは、いまの40代のスーパーカー世代が支えていると思う。あと10年、20年後その世代が自分の余命を意識し始めたころ、私はそれらは『恐竜化する気がする』。自転車の『ラテン部品の高価格の終焉』と同じ道筋だろう。

私は英国で人頭税が導入される騒ぎの時、ロンドンで高級車が(特にドイツの)みんなひっくりかえされ火をかけられているのを見た。これは世界各地で貧富の格差が広がるにつれて、そういうステータスの示し方が通用しなくなることの極端な例ではなかったのか?

トップギアのクラークソンがウィンブルドンのあたりでカメラを回し、ドイツのA-TTがやたら多いのを記録しながら、あいつはきっと蕪屋かふどーさん屋だというので笑ってしまった。

これから世界が大不景気時代に入るようなことになれば、マリー・アントワネットがパンに餓えた民衆のあいだに金色の馬車で行くようなものだろう。

実際、私の知る『日収』100万円超級の人たちは、みんな国産車に乗っている。ノッテイングヒルの1区画を持っている英国人はフィアットの小さいのに乗っている。

今の時代人目を引くことは仕事の上でプラスにならないのではないか。

このあいだ、携帯が鳴って、都内の一等地に広い自宅を持っているうちの自転車に乗っている人が、「1年後ぐらいを目安にR&Fさんのほうへ別宅を構える計画をすすめています」と言ってきた。

都心の家は仕事での生活圏のみ。金曜日からは郊外で自転車生活をするということでした。

私などが考えるに、都心の自宅を海外からの企業の重役用に貸してしまえば、そこのあがりで、一週間のうち5日は郊外で自転車に乗ってこどもたちとほけほけしていられるのにと思った(笑)。

その彼が、引っ越し業者と相談したとき、海外からの超高級の輸入家具のブランドが、ねこも飛脚も運んでくれないという話をしていた。運送中に壊れることがあまりに多いらしい。「取扱いお断り」なのです。

その家具ブランド、うちのポストにも折り込み広告を入れるようになっている。ずいぶん変わったものだ。

私は漠然とした感覚をもって考えていたことがあるのですが、それは、

あとしばらくしたら、『醜くて便利なもの』が終了する、という感じです。

これは私の少し後の「巨大ロボット世代」特有の審美感覚で、これは時代遅れになると思う。

ここ数年、ロボットのようにゴッい時計で有名だったメーカーが、いま青色吐息で、自転車仲間でもそこを辞めたのがいる。

兎山の4駆自動車の系統も醜くて便利なロボット系に私には見える。あそこも円安に振れた時ですら、唯一苦戦していたメーカーだった。

自転車に関しても、私はメカメカしいものは廃れて行くと考えている。これからのクオリティのある生活のキーワードは『自然』だと思う。

どういう人たちであるかの発信

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長年、海外の人たちとの仕事や交友関係があった関係で、自国の文化をどう発信するか?というのは常に重要課題でした。

日本のことがずいぶんおかしく伝わっていることがあるので、海外で大論争もした。

塩苅峠の映画がケンブリッジで公開されたとき、一部の向こうの学生が、「自己犠牲はキリスト教のもつ独特の思想だ」ということで塩苅峠のなかの列車を止める話の感想を述べていたので、それは違うと反論した(作者はクリスチャンですが)。仏教のなかにも武士道の中にも「忘己利他」という思想があると反論し、説明した。

禅宗はなぜ武士の間で流行ったのか?とよく訊かれた。

日本の学校教育の中の知識で、その理由を英語で答えられるだろうか?

私がいつも答えていたのは、武術では2人で練習することが多く、相手がいて、はじめて練習が可能になる。もちろん、練習だから、どちらか片方が『負ける役』、受けに回らなくてはいけない。

自分は負ける側になるのは嫌だ、、ということでは向上することもかなわない。これは「負ける側の身にもなってはじめてわかることがある」。柔道などでもふっと技が決まって、投げられ宙に浮いた時、何とも言えない爽快感がある。負けて、やられたっ!というなかに勝ったほうにはわからない爽快感がある。そしてパシーーンと畳を打つ心地よい音。剣術もそうだと思う。

これは体験からはっきり言えるが、禅の問答や公案の「一本取られたっ!」という感じと極めて近いと思う。そこで、ぐずぐず、「いやまだやるぞ」とくいさがらない。それは禅でも武芸でも不必要の『我』であるから。

『水には骨も筋肉もないが、岩をも砕く』と昔の人は言った。

映画で男の人が歩いていて、女の人が後ろを歩いているとかよく言われた。

『物陰から突然襲われるかもしれない。だから男が先を行くのは安全のため。斬りかかる相手の刀をしりぞいて避け、抜刀するまでの間合いが必要だ。だから妻は邪魔にならないよう、その間合いの分後ろを歩く。いざとなれば、荷物を投げるなどして、夫のために加勢する。』
そう言うとみんな納得する。

そんなことを言ったところで、すべては過去かもしれませんが。

イタリア人は自分の国がスリと麻府射亜ばかりだとは思われたくないはずですが、日本はどう云うわけか、このごろ、海外で知られている現代の映画はそういうものばかりだ。あの暴力的な描写にはうんざりする。

お隣の国は英国に足がかりをつくろうと交流訪問を盛んにやっている。

Youtubeで The Royal Edinburgh millitary Tatoo 2015 で出ます。スコットランドの人たちは絶賛しているようですが、マスゲームの好きな人の演出で、日本とはずいぶん性格が違うなと思う。

龍が出てきたりして、彼らは大喜びしていた。

スコットランドもみんな軍楽隊なので、日本も自衛隊を送ればいいのにと思う。自衛隊は『サンダーバード』がオハコだからスコットランドでウケるだろう。しかも女性だからソフトなあたりで、しかも戦闘系が前面に出ていない。『国際救助隊』の音楽をやるくらいです。善玉のイメージが一発で決まる。

龍が出てきて喜ぶなら、日本はゴジラを出せ(笑)。ネス湖もあるからスコッツは喜ぶ。

自衛隊は伊福部昭の作曲のゴジラのテーマも得意としている。

ハリウッドも一目置いたゴジラだ。

ゴジラVS龍(爆)。何か言われたら『キングギドラのつもりでした』で良いのではないか(笑)。

ちょっとボンベイ・サファイアを飲み過ぎているのでこのへんで(笑)。

自然の中での目覚め

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毎日、だいたい4時20分ぐらいに眠りが浅くなる。今の季節、鳥たちはだいたいこの時刻に目覚め、カラスが御出勤。残されたヒヨは家の周りでうろうろして鳴きかわし、虫でも取っている様子。

庭へ出て素振りと少々ひとり稽古。30分ばかり。

春になると蟇蛙があらわれるのが、『地の精』のようで、大地が目覚めてきた感じがするが、毎朝のこの時間は森が、山が目覚めてきた感じがする。

この自然との距離感の中で、朝目が覚めるのが実にかけがえのない幸福感がある。

英国にいた時、フレンチ・ウィンドーを開くと前は鬱蒼とした森だった。その意味で、今の日本の生活はそれほど英国時代とかけ離れたものではない。

山静如太古

15年ぐらい前までは、よく山梨の低山に登りに行っていましたが、沢があったりする鬱蒼としたところで鳥が鳴いていたりすると、エデンの園の昔と言うか、始祖鳥の昔と言うか、原初の森に戻ったような、現代生活のけがれたものが剥落してゆくように感じた。

たぶん、人間にはみな、太古の密林生活の記憶が残っているのだろうと思う。

それが暗闇が晴れて、朝もやが煙る中の鳥の声で刺激され、こころがリセットされ、何とも言えない気力の充実を感じる。自分にとっては、いかなる現代の便利生活も、この鳥の声でますます樹々の緑の幽寂が深まる中での幸福感には取り換えることができない。

ピューターコップの中に氷河の水のミネラルウォーターをいれ、冷蔵庫の中に入れて置いたものを飲む。

水は甘く感じる。

紅茶にしようか日本茶にしようか迷うことがない。ほうじ茶にしようか緑茶にしようか迷うこともない。

水の味は本質的な味。真味であって一生飽きない。

生活も真味であるべきだし、乗り物も持ち物も、私は真味のものがいい。それどころか、真味の生活があれば、不都合のない自転車があれば、自分には他の乗り物は不要だと思う。

臭いで退散

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いまではもう「からかさ」などは使っている人はほとんどいないでしょうから、コオロギに蛇の目傘を食べられてしまって困る、などということはないはず。

たぶん塗られている油が彼らにとって美味かったのかもしれない。

コオロギは意外に果物にもうるさく、悪い物は食べなかった記憶がある。一方で鰹節も好きでしたが、あまりに時間が経って古くなったものは食べなかった。

人間もある種の人たちは、アゲハの幼虫がサンショウの葉っぱばかり食べているように好みがはっきりしている。それは偏食というのではなく、ある種の食べ物から本能的に遠ざかっている感じ。

担任が教え子の顔を見たいというので、同級生の何人かに週末電話をしましたが、「なんでも食べる派」とか「出来合い簡略食派」はみんな身体を壊していた。

私とラーメンを食べに行って目撃した人は多いと思いますが、私はいつも「スープ薄くしてね」となじみのところでは言う。多くの場合濃すぎる。だいたい一杯で、人間が一日に摂取してよい塩の量を超えてしまうものが多い。

まあ、私はほとんどラーメンは食べませんが。

この週末はじつは災難続きだった。食事はすべてハズレ。

土曜日、インド料理屋での食事、ハズレ。「料理方法変えた?」と思わず訊いてしまった。残した。

日曜日の朝、親戚が買ってきたチーズ発見。レッド・チェダーなのですが、アメリカのものでした。言語道断のまずさ。「ルートビアのジェリービーンズ食べた後用のチーズじゃないのか?」という味。

ふと、『ハーシーのチョコレート』『臭い』で検索してみたら、驚くほどの量の罵詈雑言を発見して、「ああ、日本もまだ捨てたもんじゃない」とホッとした(爆)。私はハーシーのチョコレートは一欠片でも食べられない。

あのチョコレートにこのチーズありというところか。

アメリカがチョコレート界を世界制覇して、全世界のチョコレートの味が北米の味になったら、私はチョコレートを食べるのをやめるだろう。

ココアは修道女印のドロステ、チョコレートはノイハウスとシャボネルをもらっていれば私はおとなしい。

土曜日のカレーがハズレだったので、日曜日は仲間と昼飯にカレー屋へ行った。う~~~~ん。Cがいない。まずいので私が敬遠しているAJで働いていたBが厨房にいた。
「あれっ、Cはどうした?」
「コドモガビョーキ。」
「それでなんでBがいるの?AJ辞めたの?」
「AJヲセンゲツヤメタ。」

う~~ん。不合格。これなら自分で作った方が美味い。

口直しに珈琲でも、と思って喫茶店へ。
暑かったのでアフォガートを頼んだ。

これはいけませんね。エスプレッソもダメだし、アイスクリームも甘すぎる。『イタリアの大人の香ばしい味』が出ていない。

イタリアへ行ったことのない日本人は納得しても、イタリア人と一緒に住んでいたR&Fの舌は許さない。
「甘いね~~。」とだけ言って出てきました。

同行していた仲間が「ちーずっ臭くてやりきれませんでしたね」と一言。この暑いのに隣のテーブルでフォンデューをやっていた。

あれはもともと古くなったチーズを溶かしてワインを入れ、これまた焼いてから少々時間が経ったパンを浸してたべることからはじまって、やがて、野菜を浸したりするようになった。もともとは兵隊が鉄兜でチーズを溶かしてパンをなすって食べたという説もあるぐらい。ケーゼ・ブロートのほうがまだ格が上だ。

ほんとうによいチーズは使わないものだ。逆に本当に美味いチーズを知っていたら、ワインが入ったエメンタールが好きになるはずがない。

飯店で炒飯がなくて、普通のご飯であるように(炒飯は残りもので作る)、古くなったチーズにワインを入れたり、あるいは牛乳を足して、もったいないから何とかする家庭料理。

私はブルーチーズでもスチルトンでも、かなり匂いの強いチーズも、味で食べますが。フォンデューの匂いだけは許せない。

あれは『ハーシーのチョコレートの臭いと同じくらい我慢できない』。

家に帰ってヴェローナの老舗ペリーニのアラビカ種の珈琲で自分でエスプレッソを淹れ、先月もらった冷蔵庫の奥深く秘蔵のシャボネルのチョコレートで口直ししました。やれやれ。

旅道具として

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会社員時代からほとんど『旅が仕事』でした。それも一度出かけると半年家に帰ってこないことも珍しくなかった。

これは私の道具に対する考え方に少なからぬ影響を与えていると思う。

家から持ち出せないものや持って帰れないものは、うちでのんびりしている時にのみ使う。

イランを離れる時、洋服や靴のほとんどはホテルの人にどうするなりと処分してくれ、と残してきた。インドでも同様。手元には防弾チョッキと同じ生地で作ったカバンだけ。これより軽い旅行カバンはない。

軽いかさばらないカメラと、あとは経験を記憶した自分自身があればいい。

このカメラは、自分の場合、『雑誌の左右グラビア印刷の画質に耐える』というハードルがあり、ながらく機械式F-1とM-3を2台持ちで使っていたが、途中から重量が3分の一になるのでZEISSのジャバラにした。

いまはブログ用がメインなので、小型の初期のルミックスしか持っていない。大日本印刷のひとに以前、このカメラだと5cm×8cmぐらいのグラビアまでしか使えませんと言われたが、それでもB5変形サイズの本なら充分。ジャバラのZEISSは記録用の決定的なものが必要な時だけ登場させる。

道具は『運動会の借り物ゲーム』のようなところがある。

今自分で乗っている自転車は『こういう乗り味で使い勝手のもの』という、自分の欲しい物のイメージがあって作ったわけだが、いわば『自分が乗りたいもの』が根っ子にある。

このブログも開設から8年が経過した。ページはまもなく5000ページになる。

アップハンドル、キャリア付の自転車のライフスタイルの可能性は充分もう書いた。

道具はかなり生活の枠組みを決定しますから、ちょっと違う枠組みのためのサブ自転車も要るなと、このごろ思い始めている。

頭の中のどこかで、「いまは外国旅行をする時代ではなくなってきている」と言う思いがここ2年ばかり消えない。世界情勢がそういう雰囲気ではない。これは理屈ではなく、体感温度で感じるようなものだ。

もし、私がヨーロッパ在住であったら、列車にそのまま28号を積んで国境を超えてどこへ出も行けるわけで、良いのですが、国内旅行では、もっと出かけるハードルを下げて、「手荷物3.5kg」で自転車旅行をしたいと思う。それは3.5kgの自転車を作ると言うことではない。

前にE.H.さんが号令をかけて駅のコインロッカーに入る自転車というのを設計させたことがあるが、図面を見ただけで、とても乗って楽しいものとは思われなかった。

一方で彼は21世紀にイタリア製大型バイクにアルミタンクの改造をやっているのを見たが、地球環境的に私はそういうことはよろしくないし、ライフスタイルの創造とは遠いと考えている。

自転車は間に合わせで乗るものではない。

ライフスタイルを補佐するものでない、コスメティックなデザインはデザインの堕落というのが持論だ。

大型バイクで東名を走って東京から京都、翌日寺巡りと、新幹線と、ねこか飛脚にホイールと重量物をまかせて同じことをする旅行はどちらが楽でカッコ良いのか?得るものが多いのか?これは目的地が出雲、九州、あるいは東北と、遠くへ行くほど自転車の有利がモーターサイクルに対して決定的になる。

大型バイクを2時間半で東京から京都へ運ぶテレポーテーションでも開発されれば別だが(爆)。

私は『自転車に乗っている爽快感』が好きなのであって、折り畳みの『暫定的に、とりあえず走っている感じが大嫌い』なのだ。そうかといってA点からB点まで人力でできる限り速く移動というのではない。「旅」を求めているので、レーサーも私の中で却下です。

自動車輪行も、渋滞、走るフィールドに到着するまでの退屈さ、デポしたところへ帰ってこないといけない伝書鳩ルート、疲れたあとに運転して渋滞の中を帰ってこないといけない。自動車のマイナス面もそのまま取り込むことになる。運ぶ自動車が速ければ速いほど、渋滞時のストレスも大きい。

列車での輪行なら、道すがら珈琲を飲んで目的地の歴史に関する本を読んでいても到着できる。

多くのフォールディング、あるいはセパラブル・自転車はミシミシ・ギシギシいっている。乗って楽しい乗り味では私にはない。距離も伸びない。

出先で輪行しようかな、と思ってもロードレーサーでさえ、面倒だからそのまま乗って帰ろうとなる。その意識が逆転する道具が欲しい。

乗って28号とほぼ同じか80%ぐらい。30秒でたためる。これが今年の後半の自分の課題です。

私は濃厚に旅マインドなので、東京の西半分の川や池の水辺だけ走っているのでは日常生活の延長に思える。日常が充実しているのはまず一歩で、そこから先の旅が必要なのだ。
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