この場所から数百メートル行ったところに平安時代、馬に水を飲ませていた湧き水の場所があります。いまだにまだ湧いていて、傍らには馬頭観世音がある。もうしばらく上へ行くと馬洗橋という、いかにもかつては朝廷の放牧場だった名残を感じさせる地名がある。
この川沿いに10年ぐらい前は、古い巨大な木造の造り酒屋があって、じつによい風情でした。
そこで日本酒を作っていたということは、水が良かったのでしょう。
鷺がいて、亀がいて、カルガモがいて、たまにタヌキが水を飲みに来ていたのを見かけました。2mぐらいのアオダイショウもよく見ました。
いつしか、造り酒屋の建物は消滅し、ここ3~4年で河岸はすっかり上流までセメントととなり、鷺も亀もカルガモもタヌキも見なくなった。
先日、川の水が白くなっていたので、「誰がこんな汚水を流したのか?」とちょっと遡ってみました。6kmほどの長さにわたって水が白濁していた。立方メートルでいったらどのくらい大量の白濁水なのか?見当も付きません。地下や土壌にも吸い込まれるでしょう。
この水はやがては多摩川に流れ込む。ついには東京湾へたどりつく。
途中で立て札を発見。
「自然豊かな川だと思っていたのは下水施設にされていた」のですね。
これほどの下水が流れ込むのですから、かつては徳川将軍への献上鮎の漁場だったところも、家康公が河岸で瓜などの果物を栽培させる指導をした、ここより下流の多摩川も、水は正体不明の薬品で汚染されているということでよろしいでしょう。
大地震が来た時、縄文~平安時代、江戸でも、家が倒壊しても、井戸が崩れても、こういう川へ魚を獲り来て、鳥を射って食料となし、川の水を飲んで生き延びたことでしょう。
今ではスーパーへ、ペットボトルの水を買いに行くしかすべはないでしょう。
タヌキのつぎは人間の番??