やるべきときは「大きく動き」、その動いたあと「できるだけ維持費がかからないように事前によく考えておく」というのは、たぶん「必勝哲学」の産物のような気がします。
東京の都庁舎はすでにヒビが入っているところがあり、そのビルの年間維持費が億の桁の膨大な金額であることは良く知られていますが、すでに自重でヒビが入っているところがあるものが、次の関東大震災のとき、いったいどうなるのか?私は興味深く見ています。
昔、インドに居た時、ビルがあるのに、メンテが充分でなく、中に入れず、ビルの外にたむろしているのをよく見かけました。東京では地震のあとそういう風になってしまうビルも多いのではないか?
だいたい我々は、家を買ったり、何かしたらそれでお金を使ってなくなってしまうわけですから、そのあとの維持費がほぼゼロが理想です。多くの稀少なスポーツカーであるとか、モーターサイクルが買ったあと不動車になってゆく過程も、そういう部分があるように見えます。12気筒は4気筒の3倍以上調整に手間がかかる。
昨日、仲間がデュポンのライターの修理に行ってきたところ、9000円ちょっとから1万4000円の間だろうということだったそうです。40年間の使用でそのメンテ代金であるなら安いと思う。今後30~40年は平気でしょうから、80年で1万円。1年100数十円前後。
一方でそういうライターのゴムのパッキングがダメになると、修理せず売ってしまう人がいる。日本は使い捨てライターの天下ですが、かくして全世界で使い捨てライターは年間80億個も消費される。
これは建築から乗り物にいたるまでそうなのではないか?
そういう「修理の手間のめんどくささからくる使い捨ては、どこにも歴史や人生の記憶が残らない」。街にすらも。
「いつもピカピカ使い捨て。」
日本は我が故郷なのに、町並みに自分の少年時代の記憶が残っている場所はほとんどありません。河川ですらセメントで固められ、山はステンレスの手すりが付き、鉄塔が立つ。
世界中あちこち仕事で旅をして、いつも昔と変わらずホッとするのは英国であるというのは皮肉な話です。
小さい古い家でも、「みのたけに作られ、何百年もきれいに維持されている」。
写真の左から2番目から4番目まではアメリカの東海岸のメリーランド州のアナポリスですが、英国と較べると「電柱がある」のが印象的。マッハ1が路上駐車されている。ちょっと日本に近い街づくりな気がします。残りの右端の写真は英国です。一番左は我が日本の50年前ですが、こういう町並みはいまやどこを探してもないのではないかな?