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Channel: 英国式自転車生活
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できる貧乏、できぬ貧乏

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昨日はネパールからの人のレストランで食事中話していて、たいへん面白かった。

彼はヒンドゥー教徒なのですが、13歳ぐらいまでは毎日朝水浴して、身支度をととのえて、神棚に拝むまでは水も飲まなかったという。両親は菜食主義者で肉は口にしない。酒も飲まない。

なんでもネパールの女性は酒を飲まないそうで、日本へ来て女の人が酒を飲んでいるのを見たときはビックリしたのだそうです。

その彼が言うには、いま一緒に働いているもう一人のネパール人とは日本ではじめて会ったのだが、家族同様で、ネパールに残してきた両親の健康状態などを、実の息子でもないのに、たまに電話して確認しているということでした。ネパールでは普通のことらしい。

住む家も、火事などがあってもすぐ誰かの家へ遷って行ける。家を建てるときも友人や親戚が力仕事を手伝いに来てくれる。

「ターぶーン。コレお米作るのところの文化で、ほかにあまりないネ。インドより東のアジアのコトだよ。お米は水を引いたりイロイロあって、ジブンタチだけではむずかしーのこと。ニーホンもむかしはきっとそうだったネ。いまはワカイの人、ひとはどーでもいいみたいにナッテルけど。」

その彼まだ26歳。日本の若者をかなりクールに見ています。

ヨーロッパではどうかな。私は1980年代からしばらくの不景気下で、若者たちは相互互助コミュニティのようなものを発達させたと考えています。友人のネットワークが一種の血縁の親戚のようなものとして機能する。そうでもしないとあの時期の不景気、20%に迫る若者の失業率の社会の中でみんな生き残れなかった。

しかも、これは「主義のある世の中に必要と思われる人には、誰かが援助の手を出す」ヨーロッパ的人道主義に補強されていたと思う。あの当時、見ず知らずの我々若者を、幕末ー明治の書生のように家へ住まわせてくれた英国人、ドイツ人、オーストリア人、イタリア人のけっこういたことに頭が下がります。

これはルネッサンスの昔から続いている気がします。「善の実行には金が必要だ」と言ってのけ、自分は稼ぐほうにっ徹して、当時としては無限と思える資力で芸術家を援助したコジモ・デ・メディチからはじまって、「名前をパブロ・ピカソからピカソ銀行にかえないといけないな」と言いながら、困窮した芸術家仲間にこっそり小切手や絵を送っていたピカソに至るまで。

インドに行ったとき、貧困の悲惨さの度合いは、田舎より都会がひどかった。

どうも都会とか経済発展の裏側には、そういう「失敗した時に逃げ込むエリアを完全になくしてしまう」側面があるように思えてなりません。

私の住んでいた英国のTOWNには、数人のホームレスがいましたが、住所がないので生活保護を受けられなかった。私の家主は「それは社会のシステムが間違っているのだ。うちの納屋に住んでいることにして、社会保障がうけられるようにしてやれ。」そういって庭外れにひとり住まわせていました。彼は前の道路を掃いていた。「なんかしなくっちゃあ、申し訳ないんで。」そういう彼に近所の人は卵だとか、何かしら与えていました。

私の家主はロンドンの1等地に不動産を持って、その不動産収入がありましたが、私は彼女が駅までゆくタクシー代もないことがあったことを知っています。私は最近の日本の金持ち、不動産持ちで、そこまでの人をきいたことがありません。家賃倒れでテナントが出て行ってシャッターが何年も閉まっていても、決して家賃を下げない。それはそこで赤字を出していても、節税になるので。

彼女の友人の数学者・哲学者バートランド・ラッセルはアメリカで、そうした社会制度の不備で、一切の仕事の機会を奪われ、またさまざまな追徴金なども払えず、さらにその追徴金未払いに関する罰金も支払えず、留置されるのに必要な金もない状況になって、むしろ矛盾に満ちたそのシステムを楽しんでいました。いまはもっとシステムは複雑化して、その矛盾も大きくなっている。一方でコンピューターによる管理・監視はもっと徹底し、締め付けは強化されてきている。

私がヤフーブログをあけると、「中高年のカード審査」のCMが必ずあらわれます。自由業・自営業で給料制でない中高年にはカード審査がおりない、更新が出来ない場合が多い、というのを見越してでしょう。これは「私からは見えない人に、私の年齢からどういう仕事をしているかまで、すべて見られている」ことを意味する。「そーぎ」のCMもたまにはいるので、私に高齢の家族がいることも見透かされている。

私などはもう歳も歳なので、べつにどうでもいいと思いますが、若い人たちは、これからいよいよ「隙間のないインターネット社会」で慢性万年貧乏を強いられる世界がやがてくると思う。あるいは「自分の人生」を会社組織に売り渡してなんとか我慢しながら行き続けてゆくか。ホッと出来るのは死ぬ前のホンの数年?それすら危うい。

会社の安定すら、この時代、一生のうちではわかりません。携帯の会社の社長になれるようなことは、まずゼロ。

まあ、現代の日本社会は、担任もPTAも機能していない荒れた学校のようなところがありますから、救いが少なくなってきているように見える。腹を括って、そういうなかで潰されずに息抜きをする「上手な貧乏」と、実体のあるヴァーチャルでない交流ネットワークが必要な時代かもしれません。どうせ貧乏なら、貴族的貧乏といきたいものです。

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