4月になるといつも思い出すのですが、私は小学校時代白いハンケチにマジックでさまざまなマンガのヒーローを描いて持って歩いていたのですが、なぜかそれがヒットして「オレにも描いてくれ」という行列が出来ました。その時はなんだか「サイン会」のような具合になりましたが、クラスにもう一人同じような子がいた。我々二人は「得意分野」が微妙に違っていました。
その彼が後年、自転車仲間になった。現在は出版関係の美術の仕事をしています。
その彼ともう一人の親友はプラモデルがたいへん得意になりました。私とその二人はプラモデル作りでは校内で一目置かれていた。さすがに人のプラモデルは作りませんでしたが、最近はそういうプロに作ってもらう人もいるらしい。
何を言いたいか?と言うと、「自転車は1/1の模型ではないか?」と言うことなのです。
これにはある程度の「器用さ」が要求される、避けて通れない趣味、の気がします。
20歳を過ぎてから、木片を削って船を作るのが趣味の人と知り合いましたが、それは緻密な帆船模型を作っていました。もう船首飾りから船尾の彫刻まで克明に彫ってあって、「これはプラモデル作りでは自信があったが、とうてい敵わないな。」とシャッポを脱いだ。
「これは作ってもらうとか、買うことができるものなんですか?」
と訊いてみました。
「これは作る人たちの会があって、100万円以下では売ってはいけない規則があるんです。」
「ちなみにこれだと?」
「160万ぐらいです。」
物価上昇率を考えたら今なら200万円超級か。
私は現在の自転車のカスタムと、注文制作の自転車や戦前の自転車を直して乗るというのは、このプラモデルと手彫り部品による帆船模型の関係のように思えます。その人の帆船模型も博物館から図面や資料を取り寄せて制作していました。
たぶん、かかる時間と熟練、資料との照らし合わせ、そういうものを考えたら200万円でも安い。私には、船尾の彫刻が10円玉の裏の平等院の彫刻のように見えて、「これはこれを趣味にする人が100人いても、このレベルに到達できる人は二人ぐらいではないか?」と思えました。
私は精密機械のほうにいたので、わかりますが、精密機械の場合、個々の部品を作る熟練工がいるのはもちろんのこと、それを最終的に組み立てて調整する「組立工」がいます。この人はすべての分野のことが満遍なく出来ないと勤まりません。
経綸のほうで有名なビルダーさんは組み立て料金を10万円以上取ると聞きました。私はそれはわからないでもない。念入りにやったら3日でかたがつきません。たとえば、4日かかったとして10万円なら、駆け出しの逐次通訳の日当と同じ。自転車というものの複雑さを考えたら決して高くない気がします。私にはそれほどの請求をする度胸がありません。
一部にはかなりの高価格自転車であっても、ホームセンターで売っている組み立て家具程度のものもけっこうある。そういうものは基本「プラモデルと同じ」です。
私の友人が、古い英国の超高級車の内装を綺麗にするのを、英国のレストアの名門業者に見積もりを頼んだら「2000万円」だったかの見積もりをもらったと言います。彼は、
「それでも高くない。今のまま売れば1千数百万円でしか売れない。2000万円かければ5000万円以上でヨーロッパのオークションで売れる。日本でやったらピカピカにチャチくされるのが目に見えている。」
と言っていました。
さて、我が自転車界はどうでしょうか?私のまわりで、もっともそういうことが上手いひと、センスの良い人はそれを職業にしていない。自転車に対してキッチリした仕事しようと思うと、とても割が合わないのです。画家が二人。デザイナーが3人。職人が4人。こういう人たちの器用さと技術はプロショップのはるか上をいっている。
アマチュアが自分の車輌に時間をかけるのは、原則制限時間はありません。だから自分で手をかけた車輌はプライスレス。プロはそうはいきません。だから、アマチュアにしか出来ない趣味がある。「高級ハンドビルト自転車と言うのは、現代では、産業構造的にそうならざるおえなくなっているのです。」古い自転車も同じです。
昔、ある雑誌にCHIBAさんがルネのことについて書いていたのを思い出します。「こういう部品にちゃんと手を入れる気力がないのか、リオターのペダルはガタガタのまま付いてきた、、」と言うようなことが書いてあった。
ルネにしてみれば、「そこまではとてもやっていられない。ここまでやったんだから、あとは持主が調子を出すのが自転車だ。ペダルのダメなのはリオターのせいだ。シクロ・タンクのペダルはリオターよりよかったが、もうないメーカーのことを言われてもしょうがない」、というところでしょう。
ルネの時代ですらそうだった。今はもっと難しくなっている。
自転車はどれひとつとして乗り味に関係していない部品はありません。しかし、それらすべてを自家製していたらたいへんなことになります。
かつての名自転車ゴールデンサンビームは20世紀初頭いくらしていたのか?RRのボディなしシャーシーの10分の1していました。自動車に比して自転車は本来、量産してもそのくらいの価格になる。今の貨幣価値に換算したら300万円とかになるでしょう。
いくらサンビームであろうと、それは現代ではとうてい一般の人には受け入れられない価格です。ならば、自分でどうにもならないところのみを、人に頼むほかないでしょう。そのためには自分で調べ、学び、独力解決する姿勢がないと手に入れても自分のものにならない。
自師賢覚とはある弓の職人に聞いた言葉です。自らが自らの教師となり賢く悟る。良い言葉だなと思う。
安い自転車は本当は自転車ではないのかも?と思うときがあります。きっと何か別のものです(笑)。
今日は戦前の英国自転車の泥よけのステーはどこで買えますか?と訊かれました。ブルーメルの松葉ステーは戦前の古いものと戦後で太さもギロチンボルトも違います。もらった電話になにごとかと返信したら、その質問と自転車のオリジナル色に関する質問で長電話。その方私からもらった電話でいままでにトータルで3時間半以上長電話された。こっちは携帯だし、私が売った車輌でもないのに、なんで私がレストア相談をしてやって何で私が自分の携帯で長電話しなければならないのか。古い車両はそれを自分でなんとか整備して乗り続けられる人のみに許された趣味だと思う。いやはや、雑誌はヘンな方向へあおるし、『ドラエモンを頼るのび太文化」の困った世の中です。
右端のグリーンのフレームはオリジナル塗装。線引きは鳥の羽でやるフェザーライニングです。車輌は『凱旋門』という名のフランス車。これはもう部分塗装と磨きこむだけでしょう。「レストアします」と剥離してしまったらしい。信じられない。「遺影」です。二つ目は私が乗っていたものを「ぜひとも欲しい」と言われ譲ったのですが、これも「レストアする」と剥離した。これも遺影。「レストアという名の破壊行為」。左端のハブは1920年代のペリーですが、これも磨くと良い鉄味になる。こういうものも「壊し屋」はバフかけて再メッキしてナンカイのコースターハブと見まごうものにしてしまうでしょう。