アレックスは日本のものが非常に好きでした。食事から思想に至るまでたいへんな日本びいきだったことは記録されておいてよい。
カイセイにチューブを頼む件がうまく行って、さらにステンレスフレームの溶接がはずれたりしたとき、など、よく仁さんのところへ修理に持ち込まれていたことから、彼のところへ行ってみようという話しがでてきました。アレックスはしばし考え、
「うん。ワシは行かないほうがいい。かわりにディヴイッドを行かせよう。」
と私はディヴイッドと援護射撃のお礼かたがた行きました。そこで「自転車界のエジソン」と言われる彼が作った自転車をディヴイッドは興味深く見ていました。走行中ペダリングピッチを変えるのに、ステップモーターを仕込んだ、モーターでサドルが前後に動くレーサーなどを興味深くみていました。
帰りがけ、ウナギの美味い店があるので、ディヴイッドに、
「ウナギは好きか?」
と訊ねました。
「ウナギは大好きだ。英国でよく食べるよ。」
英国のウナギは輪切りのにこごりみたいなもので、どちらかというと「荒くれ男のスタミナ食」のような味にはこだわらない庶民的なものです。ディヴイッドは日本のウナギにいたく感心して、
「いやァ、これはすごく美味いな。英国のウナギのイメージをくつがえすね。」
と大盛りを完食でした。
宿に着くと、アレックスが
「どうだった?」
「面白かった。きさくな非常に興味深い人だったよ。帰りがけにR&Fのすすめでウナギを食べたんだが、それがすばらしく美味かった。」
「EEL??いや、ワシは蕎麦でいい。」
アレックスは健康にたいへん気を使っていて、私が以前「蕎麦は血圧をととのえ、血管の老化をとめ、長寿食だ」と言うのを聞いて以来、
「うむ。ワシの自転車を生きている間にすこしでも完成度を高めておかなければならんからな。もっと蕎麦を食べなければならん。」
蕎麦がお気に入りでした。実際私自身、乾麺の箱をおみやげに持って行っていました。アレックスは、
「これにトマトソースをかけてみたらイカンか?君はそういうのはnot acceptableだと思うか?」
「トマトも身体にいいですからねぇ。ただ味は保証できませんが。」
「実験してみる価値はあるな?そうは思わんか?」
そののち、「寺が見たい」と言い出したので、今度は高尾山へ連れて行きました。京王線のなかで、
「う~~~ん。ケィオーの車輌のサスペンションのほうがJRのものよりよくできている。キミは同意するか?」
などとご機嫌でした。高尾山のふもとで、私のお気に入りの蕎麦屋へ。ご満悦でした。
「ホテルの近くのヤーブとはまた違った蕎麦の味だがどちらも美味い。」
彼は分析好きで何かを積み上げるのが好きでした。ディヴイッドの「ウナギ」の件があってから、私は彼をウナギと蕎麦と両方美味い店へ連れて行ったことがあります。
「この味ならワシは受け入れられる。じつに美味い。つまり英国のウナギはやたらデカイが、調理法は日本に遠く及ばない。そういうことか?キミはこの説に賛同するか?日本の調理人を英国に連れて行ったらこの味は再現可能だろうか?」
こういう確認のとりかたがアレックスの論理思考だった気がします。
彼は高尾山の山門までの道を歩きましたが、あそこには「男坂」があります。
「アレックス。たいへんなら、スロープのほうから登れるよ。」
「R&F。この坂には何か意味はあるのか?」
「この階段を一段登るごとに、earthly mattersと悩みを振り落とし、澄んだmountain airのような気持ちになってお寺に着くのです。」
「ならば、ちょろまかしはイカン。こっちを登るぞ。ワシもmountain airを吸って今日は調子がいい。」
アレックスは登りはじめました。
「キミは先に行け。I am slow。」
しかし、階段は急なので、私はあとについて登りました。
高尾山の山門は芳しいヒノキの香りがします。アレックスは、あきずにくんくんにおいをかいで、
「これはすばらしい香りがする。この木はこんなに表にさらされていて香りが飛ばないのか。寺の入り口にじつにふさわしい。日本人の自然との共存の智慧には感服するほかない。」
あまり知られていませんが、アレックスの家の庭には18世紀に出来たFOLLYと呼ばれる、ギリシャの遺跡を模した、庭の建物があります。これは「古代ギリシャの遺跡が自分の敷地にあったらいいな」と昔の英国人が、作らせたもので、小さな神殿のようなものです。アレックスはそこへベンチを置き、お茶道具の一式を隠していました。
庭で散歩中。
「よし、お茶にしよう。」
と言い始め、館に戻るのかと思いきや、がさごそと缶を取り出し、お湯を沸かし、お茶を淹れ始めました。
「昔の日本の大名みたいですよ、これは。」
「ワハハ。そう思うか?じつは日本のお茶と庭の話を読んでそこからヒントを得たんじゃ。」
彼の親日ぶりはそれだけにとどまらず、歴史観も多くの日本人には意外に思われるような意見でした。
ある時、空力学の大家で、レーシングカーの理論家として知られているウイリアム・ミリケンとアレックスと私で飛行機の話になりました。ウイリアムはダグの父で、第二次世界大戦中はグラマンの設計を手伝っていました。アレックスはやはりアブロランカスターの爆撃機の設計をやっていました。私は私の「はとこ」の父親が中島飛行機で設計をやっていました。アレックスはその集まったメンバーの奇遇にいたく喜び、
「そういう面々とその末裔がこうして集まって酒を飲んでいる。平和と言うのはじつにいいもんじゃ。」
とゼロ戦などの話に花が咲きました。私の高校時代の恩師は、特攻隊で、出てゆく2日前に終戦になった人でした。その先生がいろいろと話してくれたこと、たとえば「耳への気圧変化ですぐ耳の空気が抜けない者は、検査ではじかれた。そういう人はキリモミや急降下で気を失うからだ」などというのを話すとアレックスはさらにごきげんで、ウイリアムと二人で、日本の航空機はまったくすばらしかった。スバルもニッサンもカワサキもみんなその末裔ではないか、と盛り上がっていました。
実際、BSMにはそうした航空機の着陸時の脚のねじれどめがフロントサスペンションに、「ゼロファイターへのオマージュ」として使われています。
そのあたりのことは「9」で詳しく書くつもりです。