これはアレックスがよく言っていた2つのことですが、「最終的にそれを誰がいくらで売ろうと買おうと気にしない」ということ、あともうひとつはバースやコヴェントリーの大学や学校で授業記録に残っていることですが、「最大の利益にもってゆくのがエンジニアリングとデザインの仕事だ。」というようなことを繰り返し語っています。1方で、無駄なこと、過剰なことはしない。不思議なことに世間ではアレックスのことをこの逆に考えています。
「本来、すぐれた設計にデザインやスタイリングは不要」と彼は繰り返し私に語っていました。
彼は自転車旅行者や選手ではありませんでした。アルチザンでもありません。自転車に乗り始めたのも中年期からです。彼はエンジニアなのです。F1レーシングカーのステアリングホイールに「味わい」や「美」が重要でないと言うのと同じように、彼の車輌も「理論」と「設計」がいのちなのです。
私は「機械的に、整理してすっきりとさせ、また整備性も、耐久性もあげておきたい」と考える。しかし、アレックスは割り切っておりました。
初期型のフレクシターのチューブの先端は竹のように斜めにそいでありました。私はどうもそれが、フォークが斜め荷重を受けてよじられたとき「いけない」ように思われたので、「ボルトを枕頭式にして、端を丸くして、貫通ボルトの径を太くしたほうが応力分散の上でもいい」と進言しました。アレックスは「そうすると重くなる。このままでよいのだ」と反対しましたが、しばらくののちに、私の言うとおりのやりかたにしたようです。
一部で、フレクシターのサスペンションがある一定の期間を使うと柔らかくなって腰が抜けてくる、と言われました。早い場合1年ほどで柔らかくなりました。そのことをアレックスに話した時、
「R&F,ではシマノのレバーの中のプラスチック製変速ラチェットが丸まって、初期性能が落ちてくるのは何キロぐらいからだと思う?」
「5000キロぐらいからくだりはじめるんじゃないですかね。はっきりとわかりませんが。その人の変速頻度にもよるでしょうし、キロ数では出ないと思います。」
「ならワシのフレクシターも5000キロもてば良い。そう思わんか?へたったらフレームをブラッドフォードへ送り返してもらえばいいだけだ。」
私はそこがひっかかったのです。あの時から10年ほどの現時点で、すでに「送り先はブラッドフォードでなく、ストラトフォードのパシュレーになっている」わけです。それを送り返すためにどのくらいの輸送費とエネルギーが使われるか考えたら、環境にはやさしくないということになる。
これは愛好家と製造者の埋まらないギャップでしょう。愛好家と言うのはだいたい理想主義的なところをもっている。そこをつかめるものが、マニアックなものになると言えるでしょう。
アレックスは大学の講義で、自分がためしに買ってみたシトローエンの2CVのファルゴネット(商業車のバン)の写真を出し、そのサスペンションが「あまりに複雑で、このあたりの部品がきわめて高価だ」と説明していました。これはけっこう私にはショックでして、シトローエン2CVのリンク式サスペンションはこれ以上は簡単に出来ないくらいシンプルです。2CV自体、ヨーロッパでもっとも安い自動車の一つでした。「あれが複雑?きわめて高価?」彼はじつはたいへんなコストカッターだったと言ってよいでしょう。
高級モールトンの価格からわかっている部品の価格を引いてゆくと、フレームとサスペンションで100万円弱という計算になります。チューブは径が細いほど使用材料が減るので、安くなります。バテッドが入らないプレーン管で径が20mmぐらいなら1mで数百円でしょう。だいたいロウ付け個所が14箇所ぐらいあるクロモリ・パイプ製リアキャリアが3万円ぐらいであることを思うと、そのすばらしいデザインでたいへんな付加価値がつくことになります。まさに天才的。日本のメーカーは学ぶところが多いと思います。
その「キモ」の部分は何と言ってもラバーサスペンションですが、これはヴェールに包まれている。かつて文化センターへアレックスが来て講演をやった時、ビルダーの仁さんがその部分はどうやって作るんですか?と質問したそうです。
「R&Fさん、博士なんて言ったと思います?ボクは感心しましたよ。」
「何ていったんです?」
「『樹から作る』、ってましたね。詩的じゃないですか。」
そうした「デザインで最大の利益」を生み出してゆく、その出来上がったもの、それ自体の価値以上を載せてゆく、それがこれからの製品作りで正しいのか?あるいは経済的成功を犠牲にして、傑作のみを少数製作して生き延びてゆく道を選ぶのか?これはじつに重大な議論でしょう。
アレックスはFフレームモールトンがたいへんな数売れた、と講演でさかんに語りましたが、クルマのほうのミニはあれほど見かけるのに、英国の街中でFフレーム・モールトンに出くわす確率はまずほとんどゼロといってよい。機械が捨てられずに後世に伝承されるというのはどういうことなのか?機械を使い続ける機械利用者のモーチベーションや愛着とは何なのか?考える毎日です。