日曜日に友人と話していて、みんなの最近の動向を知った。いままでの揺り返しが来ている人がけっこういる。
『揺り返し?』と思う人も多いかと思うが、いままで集めに集めてきた人は収拾がつかなくなったり。まあ、30年、40年集めてきたものは、1年や2年ではなかなか片付かない。下手をすると、片付けるだけで晩年の20年が終わってしまいかねない勢い。
『片付け』というのは『生産的でない』わけで、ただ分類して、捨てて、処分して、それだけで時間が過ぎて行く感じのことが多い。
健康に関してもそうで、若い頃の身体の使い方やハードな運動の『つけ』が来ている人も多い。
20年、30年の不摂生はなかなかとり返せるものではない。私もかなり『経年劣化』しているが(笑)、まだましなほうなのは、40代から『このまま出来る限り平行線で、落ちないようにする』(笑)、というのがいくらか効いたのかもしれない。私が横ばいを続けているうちに、本来私より生まれつきの身体的なものがよかった人が、下へ落ちて行った。
シャーロック・ホームズの話に、屋根裏部屋に住んでいるロシア人の話があるが、あの屋根裏に身を潜めて煙草ばかり吸っているような人がいた。あの話と同様、最高の煙草を吸っていた。それこそアレキサンドリアのラムセスの紙巻を吸って、ヴイクトリア朝のキャラバッシュのパイプで、ボウルの入り口は銀で仕上げてあって、中身は天然の石(泡石)をくりぬいて嵌めてあった。なんでそんなに細かいことを知っているかというと、もともとは私がロンドンの某有名なコレクターから買って使っていたのだが、『どうしても譲ってほしい』とねだられて譲った。最近の中にコルクが入っているものとは、まったく同じ葉でも味が違った。
まあ、その彼はひっきりなしにそのキャラバッシュをふかし、休ませるために次の日はスリービーを吸い、その次の日は古いダンヒルという具合で、そのすきまにラムセスを吸っていた。
それを長年続けた果て、もう体中ボロボロで、特に血管のぐあいはひどく、脳溢血をやり、2度目のときにはこの世の人ではなくなった。私といくらも違わないはず。健康のために自転車に乗る、と決意を固めたまではよかったが、すでに体力が弱まりすぎていて、息が持たなかった。
これは酒でも同じだろう。。。とここまではわかる。しかし『美食も同じだ』というと、多くの人が『そんなことは!』というかもしれない。しかし、私には、ある種の美食や嗜好品は似たところがあると感じている。
その煙草の人は、化粧品関係の利権でまったく働かずに煙草ばかり吸っていられた。ある意味金持ちなわけです。これが同じような具合で酒にはまる人もいる。同じようなパターンで同じような末路の人を4人知っている。
これがRA-MEンと煙草の組み合わせの人もいた。長年脂っこいRA-MEン、一杯で一日分の塩、そこへJTの添加剤煙草みたいな人がいて、私にもそうしたRA-MEン店をすすめていたのだが、私はそういうものはほとんど食べない。たま~~に食べた後は、『今日一日は塩抜き』みたいなことをやっていた。
そのRA-MEンの彼は心臓にきた。
これは、じつは運動でもそうで、『ゆりかえし』で、歳をとってからどうしようも無くなる人もいる。
ひとたび、状況があまりに悪くなると、運動することも、自転車に乗ることも、散歩をすることも、難しくなる。
現実の話、自転車に乗れなくなってしまった自転車趣味の人も何人かいる。身体の具合で乗れなくなったり、必要最小限度の体力がなくなったり、腰や首、膝などの、どこか一点をやってしまった場合。
私なども、左足首は若い頃のスキーの古傷であることがわかっている。なんだかカパカパに歳とともにあそびが出て関節が弱くなって、ねん挫しやすくなっている。しかし、いま振り返って、『スキーをさんざんやったからいいや』とはなかなか思えない。『いまいましい。アバルマンがなんだ,増速ターンがなんだ!』と思う。今どき、ギルランデ、とかブラッカージュとか言って通じるやつなどいない、なんであんなに無理やりやってたのかな?と、やりすぎた思い。
自転車も、そうした意味で、自戒をこめて、反動やゆりかえしのこない乗り方で、歳とともにおだやかに乗るようになった。
『揺り返し?』と思う人も多いかと思うが、いままで集めに集めてきた人は収拾がつかなくなったり。まあ、30年、40年集めてきたものは、1年や2年ではなかなか片付かない。下手をすると、片付けるだけで晩年の20年が終わってしまいかねない勢い。
『片付け』というのは『生産的でない』わけで、ただ分類して、捨てて、処分して、それだけで時間が過ぎて行く感じのことが多い。
健康に関してもそうで、若い頃の身体の使い方やハードな運動の『つけ』が来ている人も多い。
20年、30年の不摂生はなかなかとり返せるものではない。私もかなり『経年劣化』しているが(笑)、まだましなほうなのは、40代から『このまま出来る限り平行線で、落ちないようにする』(笑)、というのがいくらか効いたのかもしれない。私が横ばいを続けているうちに、本来私より生まれつきの身体的なものがよかった人が、下へ落ちて行った。
シャーロック・ホームズの話に、屋根裏部屋に住んでいるロシア人の話があるが、あの屋根裏に身を潜めて煙草ばかり吸っているような人がいた。あの話と同様、最高の煙草を吸っていた。それこそアレキサンドリアのラムセスの紙巻を吸って、ヴイクトリア朝のキャラバッシュのパイプで、ボウルの入り口は銀で仕上げてあって、中身は天然の石(泡石)をくりぬいて嵌めてあった。なんでそんなに細かいことを知っているかというと、もともとは私がロンドンの某有名なコレクターから買って使っていたのだが、『どうしても譲ってほしい』とねだられて譲った。最近の中にコルクが入っているものとは、まったく同じ葉でも味が違った。
まあ、その彼はひっきりなしにそのキャラバッシュをふかし、休ませるために次の日はスリービーを吸い、その次の日は古いダンヒルという具合で、そのすきまにラムセスを吸っていた。
それを長年続けた果て、もう体中ボロボロで、特に血管のぐあいはひどく、脳溢血をやり、2度目のときにはこの世の人ではなくなった。私といくらも違わないはず。健康のために自転車に乗る、と決意を固めたまではよかったが、すでに体力が弱まりすぎていて、息が持たなかった。
これは酒でも同じだろう。。。とここまではわかる。しかし『美食も同じだ』というと、多くの人が『そんなことは!』というかもしれない。しかし、私には、ある種の美食や嗜好品は似たところがあると感じている。
その煙草の人は、化粧品関係の利権でまったく働かずに煙草ばかり吸っていられた。ある意味金持ちなわけです。これが同じような具合で酒にはまる人もいる。同じようなパターンで同じような末路の人を4人知っている。
これがRA-MEンと煙草の組み合わせの人もいた。長年脂っこいRA-MEン、一杯で一日分の塩、そこへJTの添加剤煙草みたいな人がいて、私にもそうしたRA-MEン店をすすめていたのだが、私はそういうものはほとんど食べない。たま~~に食べた後は、『今日一日は塩抜き』みたいなことをやっていた。
そのRA-MEンの彼は心臓にきた。
これは、じつは運動でもそうで、『ゆりかえし』で、歳をとってからどうしようも無くなる人もいる。
ひとたび、状況があまりに悪くなると、運動することも、自転車に乗ることも、散歩をすることも、難しくなる。
現実の話、自転車に乗れなくなってしまった自転車趣味の人も何人かいる。身体の具合で乗れなくなったり、必要最小限度の体力がなくなったり、腰や首、膝などの、どこか一点をやってしまった場合。
私なども、左足首は若い頃のスキーの古傷であることがわかっている。なんだかカパカパに歳とともにあそびが出て関節が弱くなって、ねん挫しやすくなっている。しかし、いま振り返って、『スキーをさんざんやったからいいや』とはなかなか思えない。『いまいましい。アバルマンがなんだ,増速ターンがなんだ!』と思う。今どき、ギルランデ、とかブラッカージュとか言って通じるやつなどいない、なんであんなに無理やりやってたのかな?と、やりすぎた思い。
自転車も、そうした意味で、自戒をこめて、反動やゆりかえしのこない乗り方で、歳とともにおだやかに乗るようになった。