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Channel: 英国式自転車生活
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この一台でお相手仕る

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得物と獲物は違います。得物とは『自分が得意とする武具』のこと。そこから派生して『得意技』の意味となる。

江戸時代の剣術修行者の日記を見ていたら、さまざまな他流の道場を各地で訪ねると、『青天井』(屋根がない)だったり、下が泥の土間だったり。

それをまた、「これもよい修行になる」とぬかるんだ道場で練習試合をしたりしている。逆に、板の間で、長い竹刀を使っていたりすると、実戦の場では、板の間のようなすり足は出来ず、あのように長い刀では、その重さの為に,竹刀の時のような動きはできまい、道場での見栄えの為の姑息な技に終始している、と手厳しい。

昔の人は、それぞれ得意な武具はあったろうが、体格や自分の向き不向き、あるいは地位や年齢によっても得物を変えた。槍などが、敵の刀によって先が切り落とされたら、こんどは、その棒となった槍を、棒術として戦い続ける。技がまったく変わるわけだから、刀を持った敵はペースを乱され困惑する。


大将ぐらいになると、襲ってきた敵と刀を合わせることは、かなり格下の相手と同じ土俵に立つことになるので、軍配をもって、これを抑える。相撲で行事が持っているあの軍配で戦うというのは不思議な気がするかもしれないが、これも、そうとう練り上げられた技で、見ていて感心します。雑兵はそうした技など見たことがないでしょうから、技を見た時は自分がやられている。


うちへ定期的に来ている方のブログで、自転車の台数の話が出ていました。私は常々不思議に思うのだが、ヴァイオリンでもチェロでも、自分の楽器は一台だけです。何台も集めるひとはいない。ピアニストでもせいぜい3台ぐらいまでなのではないか?ベネディッティ・ミケランジェリなどは、いつも使っている特殊な調整のピアノ以外では演奏できなかった。

これは、たとえば木刀でも、いつも使う物は決まっているのではないか?

ところが、自転車の場合は20台とか、甚だしい場合は50台とか(歳の数だけ)持っている人がいる。たしかに、自転車は単一機能のものだから、数台必要なのはやむを得ない。しかし、多くの場合、マニアと呼ばれるタイプの人は、ほとんど同じものをいくつも持つ場合が多い。

まったく同じ寸法、まったく同じハンドル、まったく同じサドルで、変速器だけがサンプレのものとユーレーのものとか、変速器も同じでクランクがTAかストロングライトの2台とか、同じイタリアのレーサー
で、変速器もハンドルもホイールもすべて同じ、フレームだけが違うとか、かくして、なかには100台ぐらい持っている方もいらっしゃいます。

ここまでゆくと、自転車界のマリーアントワネットで、毎週末違う自転車に乗っても、全部違うのに乗るのに2年半かかる、、とか言う具合になる。つまり、2年半に一日しか乗らない車両は、いつまで経っても『馴染みのない、当たりの付いていない車両で、自分の得物にはならない』。つまり、いつ乗ってもビギナーの試し乗り、みたいな具合にならないか?

事実、室内自転車競技の人たちは、通常、ただ一台の自転車しか練習でも試合でも使いません。車両が変わったら調子が出なくなる。

私なども、もういい歳だし、これから体力も落ちて行くだろうから、どんどん得物を変えてきて、最近はもっと歳をとった時への対処用に、また一台、入れ替えようと思っている。そして、常に3台ぐらいにおさえる。

自転車の数が増えると言うことは、愛着の分母が増えることだから、1台のかけがえのなさが薄まると私などは思いますがね。

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