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Channel: 英国式自転車生活
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も・は・ん

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自転車の制作というのは、けっこう怪我と隣り合わせ、グラインダーを使ったり、旋盤を使ったり、ボール盤を使ったり、時にはサンダーも使う。危ないのです。あとは火傷もあるし、物を削っていて、鉄の粉が目に入るとものすごく痛い。

そうした作業なので、イライラしたり、集中力が出ない日は単純で危険がない作業をした方が良い。じつは、先月の22日に作業中に怪我をした。つい2~3日前に杖がとれた。運んでいるものも鉄の塊で数十キロと重いから、ちょっと足場が悪いと、怪我をする。

ほんとうは、歳とともに仕事はゆるやかなものへ移行するべきなのだ。

ある種の仕事、自転車もそうだが、儲けが薄くなってくる、後継者がいない、また状況変化が早く、一生の仕事にならなくなって来る。かくして、けっこうな高齢者が、キツイ仕事をひとりで続けることとなる。

絹織物をはじめとして、今後20年で多くの職人技がこの国から消えると思う。


私は定期的に緑茶と和菓子をブログアップしているが、これも緑茶の消費量が年々落ちてきていて、たぶん、絹織物や自転車製造のように、この国からなくなってゆくのではないかと考えている。

人間の個性というのは、まずひとつには人生上の経験と体験の集積がつくっているわけだが、その経験部分が、現代ではものすごく画一化していると思う。私は『画一化された生活や体験の中からユニークなものは出てこない』と断言しておく。

山奥の神秘的な湧き水をみて、それを手で汲んで飲んでみた経験のない人に、伊賀や織部の水差しの名品の味わいはわからないだろうし、再現することも出来ない。

同じ畑の中でも、木が違うと蜜柑や林檎の味は変わる。これはイチゴやブルーベリーでもそうです。スーパーの平均化された商品の野菜や果物はどれも同じかもしれない。そこには感動はない。

私は小学生の時、3mほどの道を挟んだ2人の親戚の2人の畑のカボチャの味が違うのが不思議だった。これはお茶でも同じはずで、同じ地域名のお茶でも製造者が違ったら味が違う。

ペットボトルの緑茶を飲んでいて平気という人が、その差がわかるような味覚を育てるのには、どのくらいの期間がかかるのだろうか?

今日、たまたま会った人が、このごろは緑茶が飲めなくなったと言っていた。気持ちが悪くなるときがある、という。それは私も無農薬でもなんでもないものを飲むと、やけに胃にこたえる感じは経験する。それは緑茶の問題ではなく、お茶の銘柄の問題でしょう、といくつかのお茶の製造者を推薦した。

これは150種類ぐらいの安定剤、保存剤、保湿剤、酸化防止剤、PH調整剤、乳化剤、燃焼促進剤、香料、安息剤、残留農薬などを燃やしているシガレットと、無添加の上質の葉巻の香りを同列に論じられないのと同じだろう。

そうした『むわっ』としたシガレットの煙がすべての喫煙を悪役にしたように、『胃に来る緑茶』があなどれない数の人たちを日本茶から遠ざけたということはある、と私は考えている。


ヨーロッパの場合、古い比較の対象はいたるところにある。美術館には常設で素晴らしい絵画がいつでも、曜日によっては無料で見られる。そういうところで傑作を見た後、現代絵画の駄物を見て、『ああ、これはこころを病んだ人のただの殴り書きだな』と思う人もいるだろう。

最近の『油長者のドラ息子向け』の火を噴く超車であるとか、高級車がパリを走っていたとする。信号でエットーレの孫がタイプ・ロワイヤルで隣に並んだとしよう。誰が見ても『過去のほうに勝負あった!』というのではないか?

これは建築でも家具でもそうだろう。現代のもので、過去の傑作と同じくらいすごい物を作るというのは、いかなる分野でもたいへん難しい。

本来、人間も同じはずで、さまざまな良いものを数知れず見て来た、ある程度の年齢のひとの趣味の良さや想像力、応用力にはあなどれないものがあるはずだ。

それがない、というのは、毎日単純な型にはまったルーティーンを長年繰り返しただけで、自己充電を怠って来たので、輝きがないと言われてもしかたがないと私は思う。

昨晩は懐かしく、イネス・ド・ラ・フレサンジュをYoutubeで見ていた。彼女も還暦をはるかに過ぎていまだにカッコ良い。彼女こそ『元祖・ザ・スーパー』でしょう。彼女のような歳の取り方を男性も見習うべきだと思うが、日本ではそういうタイプをあまり見ない。

そのイネスが蚤の市や骨董品を見て歩く。そこには、過去の一時代の洗練された参考資料がある。はたして、それを超える現代のものがあるのか?ないのか?なければ、『それに現代を託せるものをアンティックやブロカントのなかから掴み出す。

日本では、そうした場所が激減していると私は思う。骨董屋がリサイクル屋に様変わりしてきている。

イネスが歩いているところは、私も知っている場所でもあり、変わった部分と変わらない部分がある。しかし、英語的に言うと、日本にいると、そういうヨーロッパの堆肥というのか文化的土壌を懐かしく思う。若い人たちにこそ、見て、考えて欲しいと思う。

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