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Channel: 英国式自転車生活
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その流派の宗祖は健康か?

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あと2週間ちょっとで平成も変って行くわけですが、自転車界の重鎮、鳥山先生も100歳超えになるはずです。

私は85歳以上まで到達した人はたいしたものだと思います。いかなる分野であっても、その方がある程度シャッキリした頭脳でおられる時、その歳までの人生の蓄積には、どこかでよほどのバイアスがかかっていないかぎりは、傾聴するに値する。

90歳を超えるとなると、多くの場合、さすがに老いがその発言にも感じられる場合がほとんどだが、なかには明晰な方もおられてビックリする。

そろそろ、鳥山先生の業績も正当に評価されつつあって、インターネット上のオークションなどでも、鳥山先生の著書が出品されると売れている。鳥山先生ほど広範囲に自転車のことを書かれた人は珍しい。一般には知られていませんが、WW2の前に軽井沢で小系自転車に乗っておられたほどです。その頃には、スターメーの内装ハブはひととおり使っておられ、WW2のあとは、フランス式のライトウェイト車両を日本ではじめて持ち込まれた。

今の若い世代はご存じないかもしれませんが、1960年代末から1970年代前半に、アメリカでバイコロジー運動が起こって、自転車が大流行した時、シマノは内装3段ハブやコースター・ブレーキでずいぶん潤った。そのとき、三光舎は60年代末には屋台骨が傾いていたが、長年の競技用外装変速器のノウハウがあり、サンツアーもツーリング用の部品に加えて、競技用のグランプリもコンペテションもやっていた。『本格的なものをやりたい』ということで、鳥山先生が相談を受けて、ずいぶん手伝われた。

ゼファーで、鳥山先生が鳥山研究所の試験結果を説明している場面をしばしば目撃した。

今となってはかなわぬことだが、鳥山先生は勲章を受けるに充分な功績があったと私は思う。現陛下が皇太子時代に乗っておられた白い車両は鳥山先生の設計である。

どうして、地位ある自転車業界の人やシマノは鳥山先生を推挙しないできたのか?私は理解に苦しむ。


何年か前、鳥山先生の作ったポジションを出す『計算尺のような大きな定規』をあるフレームビルダーのところで見る機会があった。『不思議と、ほとんどピッタリに出ますよ。』と言っていた。私のもやってみたがほぼ正確に出て、自分のものと寸法が一致した。

90歳を超えられても、杖無しで当時の中野のご自宅から駅から数キロの吉祥寺のCセンターまで歩いて来ておられた。自らの自転車の理論の正当性をみずから証明しているようなものだ。

どうですか、あとから出てこられて来た方たちは?みなさん、『ガラスの腰』になっていたり、『首の支えが危うくなって、乗るのにドクターストップがかかった』り、鳥山先生の半分に満たない年齢で、自己管理不足から自転車が乗れない健康状態になったり、硬いクランク、固いフレーム、重すぎるギア比、で撮影場所まで移動するのに、痛みに涙を浮かべるくらい膝を壊していて、こがずにロケ車につかまってゆくほどだったり。

それは、一般の人には、お手本にならないのではないか?


帰納法で考えれば、その言い出しっぺが上手く行っていないやり方からは、距離を置くのが自然だと私は思いますね。

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