うちのブログへよく来られる方のページへ行ってみたら、良寛さんの句が出ていて、それに月が詠まれていた。
月は見れば見るほど不思議で、宙にポッカリ浮かんでいる。
そこには巨大なヒキガエルがいると昔の人は考えたり、ウサギと天女がいると考えられたり、秋の夜長には思いを巡らして倦ことがない。
西遊記の『ぱ~ちぇ』、八戒は、仏弟子になって8つの『戒』を受けたので八戒なわけだが、かれはもともと天上界にいた。それが月の女神にセクハラをして、地上に落とされ、豚の腹に入って生まれてああなった。
もとは天の川を管理する天蓬元帥(てんぽうげんすい)。孫悟空は天上界で馬小屋の番人をおだてられてやらされていた(だまされて)ので、天上界で孫悟空と八戒は会ったことがある。
タイトルは中原中也の詩の一節ですが、むか~~し、この詩にあわせた朗読音楽があった気がする。どういうアルバムに入っていたのか忘れてしまった。
月は神秘的で、ヨーロッパでもやはり月は女神で『ダイアナ』になる。シェークスピアはフォルスタッフに『俺たちは月の女神ダイアナと一緒に行動している』と言わせていた。
禅では月は『真理』の暗喩。すべての説明は『月を指さしている指にすぎず、説明が月そのものになることはない』。真理は説明を超えたもの。宇宙の原則そのもの。
月のまわりに『雲があるかのように見えるが、そんなものは実際にはない。自分の目と月の間に雲があるだけで、月は月だけで雲無しで浮いている』。昔の人はそこまで正確に、認識論を積み上げていた。
その月へロケットを飛ばして、民間人が行くという。
正直、私はしらけている。『バナナのまわりを飛ぶ小さい虫』のように、あの月のまわりを人を乗せたロケットが周回するのか、と思うと、神聖な夢を壊される気がする。
私はいまだに強烈に覚えているのだが、スペースシャトルのチャレンジャーが空中爆発したとき、たまたまワシントンD.C.に仕事でいた。アメリカの高級ホテルでは、当時、新聞を毎朝、無料でドアの下に差し込んでくれていた。朝、たまたまそれを引っこ抜いて開いたら、チャレンジャーの爆発の写真がトップに踊っていた。あの新聞はいまだにどこかにとってあるはずだ。
親戚にスペース・シャトルの納入部品の関係者がいて、スペース・シャトルの翼などに使う特殊なタイルのデモ・ヴイデオを見たことがある。タイルをガスバーナーで真っ赤に焼く。そのオレンジ色になった塊を素手で掴み、咥えた煙草にあてると火が付くのだ。すごい素材が出来たな、と感心した記憶がある。
しかし、あれから、その素材が我々の日常品の何かに応用された気配はない。
ひとり90億円とも100億円とも言われているようだが、それの8人分とか数人分ならたいへんな金額だ。私なら、もっと別の世の中への使い方をする。
ピカソの名前が出されていたが、彼は大金持ちになってから、貧しい生活苦の芸術家に毎朝、人知れず、小切手と自分の絵を、売られるのを承知で送っていたのは知られていない。彼は朝の恒例の『小切手にサインをしてゆく儀式をやりながら』愛人に言った『いずれ名前をピカソ銀行に変えなきゃいかんな』。
また、彼は自分の愛犬が危篤になった時、獣医に連れて行くという周囲に、『薬や治療で延命させ、あげく、知らない場所で命果てるようなことがあってはならない。ここで、いままで一緒だった他の動物や家族と一緒に終わらせてやれ』と言って、獣医へ連れて行くのに頑強に反対した。
そういう人が、巨額の金のかかるところへ、新奇な画題のネタを求めて行かないだろう。
シャネルは『匂いの悪い人たち』に、『あの人たちは自分の臭いで平気なのよ』と情け容赦のないひとことを言っていた。宇宙ロケットの中は、窓を開けて換気などということが出来ないので、強烈に臭いらしい。シャネルもその空気の匂いでアウトでしょうね。
薬人間のバスキアは、1週間もロケットに閉じ込められていたら、妄想を見て暴れてロケットを壊すだろう。どうぞ、第二のバスキアとお出かけしてください。
さて、地上の日本では栗の季節。良寛の歌にこういうのがある。
『月読みの光を待ちて 帰へりませ 山路は栗のいがの多きに』
月がポッカリ出たら、その月明かりで、足元が見えるようになるから、それまで、いましばらく庵にとどまっていてはどうか?と友人を引き留めている歌。
『真理のまわりに飛ぶ小虫』はいらない。