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Channel: 英国式自転車生活
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夏の終わり

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金曜日に母を診にきた看護師の人と話していて、『1年でしたね』と言う話が出た。考えてみると、去年の夏は毎日自転車で10kmほど離れた病院まで行っていた。

今年の暑さだったらもたなかった。空もようのかなり怪しい時だけバス、電車、タクシー、クルマで。


やがてはいつの日にか、みんな、運転をあきらめざるをえないわけだが、それまでの間どうするか。

あるいは、あきらめる日が来たらどうするか。うちの近所の人が定年を過ぎて、しばらくたったあと、目が良くみえなくなってきたのでクルマをあきらめた。完全に徒歩。かなりつらそうだ。それまでは高級スポーツ・サルーン。

もう一人、スポーツカーを手放した人がいる。その人は乗らなくなった親戚の自転車をもらって整備して乗っていた。修理や部品のことをすこしお教えした。

ところが、やはり、長年乗ってきたわけではないので、交差点での信号待ちの時、ついた足を踏み外し、わきへ転倒して、ガードレールの鉄パイプに肋骨をぶつけて、あまりの痛さに失神して、救急車で搬送された。退院して自宅へ戻ったら、家中の自転車がすべて家族によって捨てられていたそうです。

これは、やはり、にわかづくりはむずかしいということでしょう。毎日の生活で長年やって来たひとが最後は残る。スポーツカーに乗っていたから『運転する』と云う行為そのものはある程度のセンスがあるのでしょう。しかし、身体がそれについてこない。

運動神経がよいと思っているお父さんほど、運動会の親のレースで足がもつれて怪我をするのと似ている。

クルマの人が、年齢的なもの、健康上の理由からクルマをあきらめざるをえなくなると、そうとうつらい。

ある自転車店の店主が、23年ほど前から小旅行車に一切乗らなくなっている。みかけると、必ず安物の錆びだらけの買い物自転車に乗っている。クルマ同様、自転車でも、年齢とともに持ち物は買えて行く必要がある。バイクの世界でも『最後はカブ』と言うことをよく聞く。

今年の夏は、人のためのことで終わった。自分のことは何一つ出来ていない。今年は暑かったので、昆虫も生育が早く、エンマコオロギもかなりすでにデカい。盛んに鳴き始めている。

いま接近中の台風はけっこう大きく成長する見通しだという。これから、まだまだ、大きいのが来るだろう。こういう気候がいつものことになったら、自転車を楽しむ時期もずいぶん減るだろう。春は花粉と黄砂で『人間集塵機』。梅雨はムシムシ。夏は酷暑。

1980年代の頃のように、日本で乗れない時期には、ヨーロッパへ乗りに行く作戦を再び本格化しようか。あるいは、国内で手軽に自転車を列車に積んで移動。あるいは宿へ届ける。

これが、もっとも『敷居の低い自転車旅』になるのではないか?

ただし、私は折り畳みの、あの暫定的に乗っている感覚が我慢できない、ので、自分の回答をだすつもりでいる。


長年、仕事で使ったという感じの自転車を押している老人がいた。通りに出ると、慎重に左右を確認して、すべるようにゆっくりと走り去った。
『絶対にこの乗り物が必要だ。』というオーラを放っていた。

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