前のページで「原発再稼働反対デモ1」と書きましたが、つづきは違うタイトルにしました。それは現場へ行って、私の耳に入ってきた「大合唱の声」を聞いたから、、、それは「福島かえせ!」でした。
福島の方もたくさん来ておられた。
ネットのデモのニュースのコメント欄に、誰が書いたのか「サヨクに扇動された」とかありましたが、勘違いもはなはだしい。あるいはそういうレッテル付けをして、これ以上の拡大をとめようとでもいうのか?
東北の避難地域の人、除染すれどもすれども山から流れてくるもので、またもとのもくあみになってしまう地域の人たち、そういう人たちは原発に対して、どうしようもないくらいの怒りを持っているでしょう。
もっともらしく、「原子力発電がなくなれば、貿易赤字が増える。こどもたちに貿易赤字を残すな」とかいう書き込みもありました。石油の赤字よりも、「どうしたら輸出が増やせるか考えたほうがいい」。日本で売れている自転車の94%ぐらいが中国・台湾を中心とする輸入です。貿易赤字をウンヌン言うなら、アジアからの安物輸入自転車を買うな、アジア製の日本印の洋服も電化製品も買うな。
しかし、こういう「上から目線で、貿易のバランスシートのことを言うのは市民ではない」でしょうね。
私はもちろんサヨクではない。会社員時代、私の輸出のお得意の相手会社はアメリカのLittonの子会社でした。だからこそ、合衆国政府は私に20年間有効のマルチプル・エントリー・ヴィザなどという、とてつもない、お出入り自由のヴィザをくれていたのです。
簡単な話です。なんびとも、経済的理由で、広範囲の住人の生活基盤をすべて数百年の規模で破壊する可能性のあるプロジェクトを、民意に反して巨大組織が、あるいは国の作り上げた権力であっても、推し進める権利は持っていない、ということです。「国家のために国民は存在しているのではない」。「国民のために国家は存在している」。もし国家が国民の健康も生命もないがしろにするとなれば、「その機構は何のために存在しているのか?その機構のためにのみ機構が動いているのが問題なのではないのか?」
海外で、この件がけっこうな話題になっているのには、その日本特有のトップダウンのやりかたに先進国らしからぬ、民主主義的でないところがあるからに他なりません。
先週、スピーディーの使用に関しての問題が提起されていました。事故のとき、スピーデイーの情報が公表されなかったため、人々はわざわざ放射能汚染濃度の濃いほうへ避難していた問題です。
誰も責任を取らない体制の中で、すべては行われてきた。補償もなにもかも税金を使う、消費者への値上げで、問題を起こした当事者たちの懐は痛めない。
そして、メルトダウンを起こした真の理由は地震そのものによって、緊急時に作動するべき配管が壊れていたらしいというのがNHKの番組でやっていました。同様の設計のものは日本全国に20以上ある。
原発推進、擁護の書き込みをした人には言ってやりたい、「Who is your evil paymaster?」
今回は、ゆっくりと国会議事堂のまわりを自転車で2時間ばかりぐるぐる回り、途中で初対面の人たちもあとに連なって、周回しました。7時半ごろ、議事堂前で歩道へ出た人たちを警察が押し戻そうと、交通を閉鎖して、周回が出来なくなったので、「ここまで」と区切りを付けて、我々は誘導にしたがってUターンして、それぞれ帰りました。
あちこちでビデオを撮る警察関係者の姿がみられましたが、それを見て私がぼんやりと思い出したのは、天安門広場での事件に抗議して、日比谷公園で中国からの留学生がデモをしていたとき、大使館員がビデオを撮っていて、あとから呼び出された学生たちが本国へ送り返され、そのまま、高価な私物を残したまま帰ってこない者が多数いたこと。私の教え子にも何人かいました。小競り合いの時の証拠として撮っていたのかもしれませんが、嫌な記憶がよみがえってきました。