テレビを見ていて、『ああ、どうしてこういうクルマを引き合いに出したのかな』と違和感を持った。『最新型を出せばいいじゃないか』と思った。
撮影場所は、千葉の香取の界隈だと思うのですが、そこに、そういうクルマがいるのがずいぶんおかしい。
日本だと、そのクルマを『富の象徴』ととらえて、あまり実用にせずという感覚なのでしょうが、1950年代,1960年代のヨーロッパでは、超特急や飛行機がわりの実用品だった時代があった。
たとえば、英国からイタリアやフランスの地中海側にヴァカンスに行くとする。家やフラットはむこうにあるとして、social respectabilityを保つための、着替え、ドレスや正装、身づくろいの一式、そう云うものを、現地で買うわけには行かない場合がある。日本で旅先で紋付、それも自分の家の家紋が入っているサイズの合うものが調達できないのを考えてみたら良い。
カジノ・ローヤルでダニエル・クレイグがホテルで、ヴェスパーにディナー・ジャケットをプレゼントされるシーンがある。
『世の中には、どこにでもあるディナー・ジャケットとザ・ディナー・ジャケットがあるのよ。これはあとのほうよ。』
『これは、しかし、あつらえだぞ。』
『貴方のスリーサイズは最初に会った時に目視で計ってるわ。』
着てみるボンド。ピッタリ。私の好きなシーンだ。
そういう一式をひと夏分持ってヴァカンスへ行く人たちがいる。現地のホテルの支配人やレストランのヘッドウェイターなどは、1年のうち夏と冬の2か月以上顔を見せるので友人たち。
そういう時、英国からどうやってモンテカルロやリヴイエラに行くのか?昔、スーツケースをぶら下げてパリの北駅の長い回廊を歩くのもたいへんだったし、駅を降りてからトラムに乗るまでもたいへん。ヴイラフランシュ・シュール・メールのあたりに着いた時はへとへと。それでも25kgぐらいのスーツケースひとつだ。『ひと夏のワードローブなどはとても無理』。2度目からマルセイユまで友人に迎えに来てもらうようにした。
大陸(英国人はヨーロッパをそういう)のほうでは、乗り換えのつなぎにものすごくエネルギーをとられる。時間もかかる。TGVなどなかった1960年代、もっとも疲れない、楽な大陸横断旅行はファンタムやシルヴァークラウドだっただろう。飛行機の替わり、鉄道の替わりだったのだ。現実問題として、より早く、より楽で、たぶん飛行機でニースに入るより安上がりだったはずだ。
実際、同様の英国車(フライング・スパー)でロンドンからセント・ぺテルスブルグまで走って行っていた人の話は以前に書いた。この逆はドイツにはなかった。つまり乗り物文化が違うと思う。
そうした『使い方をアピールするために』、有名なレーサー、トニー・ブルックスに運転させ、RRのクラウドは(2週間だったか?)毎日ヨーロッパを一日に1200km壊れずに走って見せた。あれは個人用特急列車だったのだ。
そういう使い方のクルマは日本ではついにあらわれなかった。あくまで、人より速いとか,他社のものより馬力があるとか、加速が良いとか、ハンドリングがよいとか、相対的な話に終始していたと思う。
ヨーロッパにも金のある人から無い人まで、さまざまなグレードのヴァカンスがあるわけだが、ほんとうのミニマムなヴァカンスは巨大なバッグパッキングで徒歩。そこにもうすこし機動性を加えたい人たちは自転車に巨大なバッグパッキング。しかし、自転車の場合はヴァカンスではなく、多くの場合、彼らは『サイクリング・ホリディ』という呼び方をする。
ヴァカンスだったら、彼らは自転車をクルマの屋根などに積んでゆく。自転車を持って行って、『現地乗り』という使い方なのだ。
そう考えてくると、夏にどこかへ出かけても、ホテルに泊まっても、海外へ旅行に行っても、ちょっと日本の場合、『ヴァカンス』とは違うのではないかな?という気がする。
写真のクルマはライセンス・プレートの上にGBと書いたプラックを付けているので、ヨーロッパへ行く個人急行列車であることがわかる。
『空港までもウォータールー駅までも行かなくていいんだから、余裕のよっちゃんだよ』(笑)