このぐらい暑くなると、どうも紅茶も珈琲もピンとこない。
昼飯時にまたしてもドインド・カレー。
食後に『今日はチャィ、現地味でね。』
『ハイッ。リョーカイデース。』
これで通じるんだからスゴイ(笑)。こういう日はslow sipping teaでないといけない。水は入店してから出るまでに10杯ぐらい飲んだのではないか?
帰ってからも、紅茶、珈琲の気分ではない。キンキンに冷えた水をピューターで飲む。マレーシア、シンガでピューターのゴブレットが大量に作られているのは、錫を算出するばかりでなく、あの気候も関係していると思う。
そして、ピシッと引き締まる感じの緑茶を練り切りとともに喫する。
アイスティーとかアイスコーヒーのたぐいは、『水を飲む』ということと、『喫する』ものがごちゃ混ぜになっているところに問題がある。インドでもチャイは『喫する』もので、盃ぐらいの小さいカップで出てくる。
水は水、お茶はお茶。そして甘さは最上等の砂糖を和菓子で味わう。甘ければよいと云うものではない。
そう言えば、イランでもそうだった。砂糖はべっこう飴のようなすごく薄いもので美味いのが、銀の皿に載って別に出てきた。茶の中に入れない。のどの渇きは水で癒す。
骨董仲間の骨董屋(ややこしい言い方だ)から暑中見舞いの電話。
『露店市行ってる?』
『いや、行っていない。自転車製造花盛りだしな~。だいたい、最近は骨董品の物欲足りてるし。』
『へー。全部そろったんだ。』
『そろったというのか、今あるもので支障がない。日本茶は備前の急須で淹れ、紅茶は銀のポットで淹れ。じつに美味くはいるから満足してる。』
『それは銀のポットで淹れてるっていう雰囲気の問題でしょう。』
『いや、そんなことない。熱伝導が違うから、魔法瓶の中で抽出しているようなもので、同じ茶葉で淹れても、銀のポットで淹れると、まったく味が変わりますよ。』
骨董屋の彼も知らない。同じことは備前の急須でもそうで、中がつるつるの磁器で淹れると、備前の急須のようにははいらない。不思議なものです。
水は水、お茶はお茶、甘さは甘さ。これを一度にペットボトルから摂ろうとするのはスタイルがないと思える。